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第12話 現実のクローゼット
土曜日。
午前十時十三分。
立花湊は現実のクローゼットを開けた。
「……少な」
知っていた。
自分の持ち物なのだから。
知っていたはずだった。
それでも、扉を開いて真正面から見ると少なかった。
シャツ。
パンツ。
上着。
部屋着。
季節用。
現実で仕事へ行く機会が減ってから、服を買う回数も減った。
会社は基本的にLinkcity。
友人と会うのもLinkcity。
買い物もLinkcity。
ゲーム。
イベント。
旅行。
多くがLinkcity。
現実で外出するときに必要な服はある。
散歩。
病院。
現物を扱う用事。
現実旅行。
天候が穏やかな日の買い物。
だから、まったく必要ないわけではない。
でも。
以前のように毎日違う服を着る必要もない。
湊はハンガーを一つずつ動かした。
「十一、十二……」
数える。
十九着。
季節外のものを収納箱から出しても三十着ほど。
「こんなもんか」
端末が鳴った。
宮原結衣。
通話。
「もしもし」
「今暇?」
「クローゼット見てる」
「何それ」
「整理」
「現実の?」
「そう」
「珍しいね」
「服少ないなって思って」
「何着?」
「全部合わせて三十くらい」
「普通じゃない?」
「結衣は?」
「現実?」
「現実」
「待って」
物音。
何かを開ける音。
「二十五くらい」
「俺より少ないじゃん」
「だってそんなにいらないし」
「Linkcityは?」
「知らない」
「知らないって」
「数えたことない」
「見てよ」
「ちょっと待って」
数秒。
結衣の声。
「四百八十二」
「多っ」
「そんなあった?」
「俺に聞くなよ」
「買った記憶はあるんだけど」
「四百八十二着分?」
「毎回一着ずつ買ったわけじゃないから。セットもあるし、イベントでもらったのもあるし」
「現実の約二十倍じゃん」
「そうなるね」
湊は自分のLinkcityクローゼットを開いた。
アバター。
衣装。
所有。
百七十三。
「俺も百七十三あった」
「意外と持ってるね」
「買った記憶ないの結構ある」
「イベント報酬じゃない?」
「トロフィーでもらった服もある」
「あるある」
現実。
三十。
Linkcity。
百七十三。
比べると差は大きい。
でも。
不思議ではなかった。
Linkcityの服は場所を取らない。
収納家具も必要ない。
洗濯もしない。
乾かさない。
傷まない。
季節もあまり関係ない。
真夏に厚いコートを着ても暑くない。
冬に薄い服でも寒くない。
雨で濡れることもない。
物理的な重さもない。
「今日さ」
結衣が言った。
「何?」
「新しい服見に行かない?」
「今、服多いって話してたよな」
「だから行く」
「どういう理屈?」
「現実の服を整理したらLinkcityの服が欲しくなった」
「逆じゃない?」
「行こうよ」
「見るだけ」
「そう言う人が一番買う」
「お前だろ」
昼。
Linkcity。
湊は普段用アバターで接続した。
淡い茶色の短い髪。
黄緑のシャツ。
灰色のジャケット。
茶色のパンツ。
結衣から転送招待。
参加。
景色が変わる。
ファッションストリート。
巨大な通り。
左右に衣装店。
個人ブランド。
企業ブランド。
生成AIブランド。
利用者が自分で作った衣装。
昔の現実衣装を再現した店。
アバター専用の、現実では作れない服。
建物より大きく広がる袖。
歩くたび形が変わるスカート。
身体の周囲を植物のような装飾が回る服。
重力を無視して布が上方向へ流れ続けるコート。
現実なら歩くことすら難しい衣装が普通に並んでいる。
「来た」
結衣が手を振る。
長い紫色の髪。
今日はいつもの黄色の上着ではなかった。
紫色の短いジャケット。
黄緑のスカート。
足元には小さな光の粒が追いかける演出。
湊が見る。
「それ新しい?」
「昨日買った」
「昨日も買ってるじゃん」
「これは昨日」
「今日は?」
「今日の服は今日」
「日付で分けるな」
結衣が店へ向かう。
「今日、新作多いよ」
「何で?」
「トレンド更新」
「またAI?」
「そう」
通りの中央に巨大な表示。
今週のLinkcityファッショントレンド。
第一位。
動的模様。
第二位。
非対称構造。
第三位。
植物装飾。
第四位。
半透明素材。
第五位。
歩行反応型エフェクト。
湊が見上げる。
「先週と全然違う」
「先週は小型装飾だった」
「そんなの覚えてるの?」
「好きだから」
表示の下。
次週トレンド予測。
生成AI分析。
動的模様。
継続。
植物装飾。
上昇。
大型アクセサリー。
急上昇予測。
「まだ来週じゃないのに売ってる」
湊が言った。
大型アクセサリーの店。
すでに混雑している。
結衣が笑った。
「予測が出たから」
「予測なのに?」
「来週流行るってAIが言った」
「だから今日買う?」
「そう」
「じゃあ今日から流行ってるじゃん」
「そうなるね」
湊は立ち止まった。
「それ、予測?」
「何が?」
「来週流行るって予測したから、みんな今買うんだろ?」
「うん」
「それで本当に流行る」
「うん」
「AIが当てたことになる?」
「なるんじゃない?」
「自分で流行らせてない?」
「それ、よく言われてるよ」
二人は店へ入った。
試着。
Linkcityでは速い。
選ぶ。
押す。
着替わる。
結衣のアバターに巨大な帽子が現れる。
横幅が身体より大きい。
湊が一歩離れる。
「でかい」
「来週流行る」
「入口通れる?」
「Linkcityだから通れる」
「人にぶつからない?」
「表示優先度で透過する」
「便利だけど帽子としてどうなんだ」
「かわいいでしょ」
「存在感はある」
「買おうかな」
「昨日も服買ったよな」
「帽子は服じゃない」
「その理論やめろ」
価格。
二百八十。
結衣が購入。
「買った」
「速いな」
「湊も何か買えば?」
「見るだけ」
「まだ言ってる」
二人は次の店へ。
その途中。
人だかり。
小さな店。
店頭に一人の女性アバター。
紫の長いコート。
黄緑の細かな模様。
現実では作るのが難しそうなほど細い布が何層にも重なっている。
動くたび模様が変化する。
でも。
周囲の店とは少し違う。
流行中の動的模様。
植物装飾。
どちらも入っている。
それなのに。
どこか落ち着いて見える。
結衣が止まった。
「この店知ってる」
「有名?」
「昔からある」
「昔って?」
「Linkcityが今みたいになる前から」
店名。
FUMINO。
店内へ。
衣装。
少ない。
周囲の大型店なら何千着も並んでいる。
ここは数十着。
女性が二人を見る。
「いらっしゃい」
八木沢文乃。
デザイナー。
湊は店内を見る。
「全部作ってるんですか?」
「基本は私です。生成AIにも手伝ってもらいますけど」
「プロンプト?」
「最初の案には使うこともあります。最後はかなり触りますね」
結衣が一着を見る。
紫色のコート。
肩から黄緑の植物模様。
「これ、今のトレンドですよね」
「植物系?」
「はい」
「そうね」
「AI予測を見て作ったんですか?」
文乃が笑う。
「逆」
「逆?」
「これは三か月前に作ったもの」
「え?」
「植物模様は前から好きなの」
結衣がトレンド表示を見る。
「じゃあAIがあとから?」
「世界中の利用者を見て予測するからね。私だけじゃないと思うけど、似たものを作っている人が少しずつ増えていたんでしょう」
湊が聞く。
「昔はどうやって流行ってたんですか?」
「人」
「人?」
「デザイナーが作る。誰かが着る。それを見た人が気に入る。雑誌が紹介する。店が似たものを作る。また誰かが着る」
文乃は一着の衣装を持ち上げた。
「時間がかかった」
「今は?」
「AIが見つけるのが速い」
世界中。
何億という利用者。
購入履歴。
検索。
試着。
保存。
アバター。
イベント。
ワールド。
どんな服を何分着ていたか。
何と組み合わせたか。
どの店で立ち止まったか。
そうした膨大な流れから。
次に増えそうなものを見つける。
「便利ですよね」
結衣が言う。
「便利よ」
文乃はすぐ答えた。
「私は昔に戻したいとは思わない」
「そうなんですか?」
「売れそうなものが分かる。作りすぎなくていい。小さな店でも世界中の人に見つけてもらえる可能性がある。昔より楽になった部分は多い」
文乃は少し間を置いた。
「ただ、みんなが予測を見るでしょう」
「見ます」
「企業も見る」
「はい」
「予測で植物が来ると言われたら、企業が植物を作る」
「買う人も増える」
「そう。するとデータ上でも植物が増える」
湊が言う。
「さらにAIが、植物が流行ってると判断する」
「そういうこと」
結衣が笑う。
「さっき同じ話してた」
「よくある話よ」
文乃も笑った。
「予測しているのか、作っているのか」
「どっちなんですか?」
「両方じゃない?」
即答だった。
「人が最初の小さな流れを作ることもある。AIがそれを見つける。企業が大きくする。利用者が買う。その結果をまたAIが見る」
「ぐるぐるしてる」
「そうね」
文乃は店の奥へ歩いた。
そこには。
トレンド外。
そう表示された棚がある。
結衣が近づく。
「こんな表示あるんだ」
「自分で付けてるの」
「売れます?」
「あまり」
「正直」
「売れないものは売れないから」
文乃が一着出した。
グレーの長い衣装。
袖の一部が黄緑。
模様はほとんどない。
歩いても光らない。
形も変わらない。
今の流行とは遠い。
「でも好きだから置いてる」
「AIに合わせない?」
湊が聞く。
「全部合わせたら、私が店をやる意味が薄くなるでしょう」
結衣が試着する。
紫色の髪。
グレーの衣装。
黄緑の袖。
派手な演出はない。
「どう?」
結衣が聞く。
湊は少し考える。
「さっきの巨大帽子より似合う」
「比較対象がおかしい」
「本当」
「これ買おうかな」
文乃が笑う。
「トレンド外ですよ」
「知ってます」
「来週、大型アクセサリーが来るらしいですよ」
「帽子はもう買いました」
「買ったんだ」
「はい」
「なら両方持てばいい」
結衣が購入。
クローゼット。
四百八十三。
帽子を含めれば。
さらに一つ。
「増えた」
湊が言う。
「Linkcityのクローゼットだから」
「現実だったら?」
「置く場所ない」
「だよな」
文乃が言う。
「私も現実の服は少ないですよ」
「デザイナーなのに?」
「昔は多かったけどね」
文乃が現実側の写真を少しだけ見せる。
小さなクローゼット。
ベージュ。
茶色。
グレー。
必要なものが並ぶ。
「Linkcity側は?」
結衣が聞く。
「二千を超えたところで数えるのをやめた」
「二千?」
「試作品も含むから」
「それでもすごい」
湊は自分の百七十三着が急に少なく感じた。
「現実の服って減りましたよね」
湊が言う。
「人によるけど、在宅中心の人はかなり減ったでしょうね」
「仕事用いらないし」
「アバターが着るからね」
「今日も俺、現実では部屋着です」
「私も」
結衣が言う。
文乃も笑った。
「私も」
三人とも。
Linkcityではそれぞれ違う衣装。
現実では。
部屋着。
「変な感じ」
湊が言う。
「何が?」
結衣が聞く。
「今ここ、ファッションストリートだろ」
「うん」
「何万人もすごい服着て歩いてる」
「うん」
「現実ではみんな部屋着かもしれない」
「それはある」
「想像すると面白いな」
文乃が笑う。
「昔なら、服は外へ出るために着るものでもあった」
「今は?」
「見せたい場所で着るものになったのかもね」
湊は店の外を見る。
巨大な帽子。
光る靴。
植物が身体の周囲を回る衣装。
動く模様。
長いコート。
現実では作れないもの。
作れても着られないもの。
洗えないもの。
重すぎるもの。
Linkcityなら。
着られる。
「現実の服はなくならないですよね」
結衣が言う。
「もちろん」
文乃が答える。
「身体は現実にあるもの」
「外出もするし」
「旅行もね。現実だから着られる服もある」
湊は朝のクローゼットを思い出す。
三十着。
少ない。
でも。
足りている。
Linkcity。
百七十三着。
こちらも。
必要というより。
好きだから持っている。
役割が違う。
店を出る。
文乃へ礼を言う。
ファッションストリート。
結衣は買ったばかりのグレーの衣装に着替えている。
巨大帽子は使っていない。
「帽子は?」
湊が聞く。
「あとで」
「来週流行るんだろ?」
「来週使う」
「本当に流行るかな」
「AIは八十二パーセントって言ってる」
「外れたら?」
「私が使う」
「ならいいか」
二人は歩く。
巨大なトレンド表示。
来週。
大型アクセサリー。
急上昇予測。
その下。
リアルタイム購入数。
増えている。
一分前。
二万。
現在。
二万四千。
湊が指差す。
「もう増えてる」
「予測見た人が買ってるんだよ」
「じゃあ八十二パーセントより高くなりそう」
「たぶん次の更新で上がる」
数秒。
表示更新。
大型アクセサリー。
流行予測。
八十六パーセント。
二人が止まる。
「上がった」
「ほら」
「これもう予測じゃないだろ」
「でもまだ来週じゃない」
「来週の流行を今日作ってる」
「そういう時代なんじゃない?」
湊は少し笑った。
トレンド表示を閉じる。
「何か買わないの?」
結衣が聞く。
「俺?」
「見るだけで終わる?」
「その予定」
「百七十三着あるし?」
「そう」
そのとき。
おすすめ。
あなた向け。
トレンド外。
湊が止まる。
「何?」
「おすすめ来た」
「何の?」
「服」
表示。
グレーのジャケット。
袖に細い黄緑の模様。
シンプル。
今のトレンドとは少し違う。
制作。
FUMINO。
「さっきの店じゃん」
「AIが見てたな」
「店で滞在したからでしょ」
「買えって?」
「おすすめしてるだけ」
「予測じゃない?」
「湊が買う予測」
「怖い言い方するな」
試着。
湊のアバター。
淡い茶色の髪。
グレーのジャケット。
黄緑の細い模様。
「似合う」
結衣が言う。
「本当?」
「今のより好き」
「今のも悪くないだろ」
「悪くないけど」
「いくら?」
「自分で見なよ」
価格。
三百二十。
湊は少し考えた。
購入。
クローゼット。
百七十四。
結衣が笑う。
「見るだけ」
「うるさい」
「買わない」
「言ってない」
「言った」
「忘れた」
「AIは予測してたかもね」
「やめろ」
夜。
湊は自宅ワールドへ戻った。
クローゼット。
百七十四着。
現実へ意識を戻す。
机。
キーボード。
マウス。
コントローラー。
灰色の部屋着。
立ち上がる。
朝開けたクローゼット。
もう一度。
扉を開く。
三十着ほど。
静か。
動かない。
光らない。
模様も変わらない。
でも。
手で触れられる。
布の感触。
重さ。
洗濯する。
乾かす。
畳む。
傷む。
古くなる。
現実の服。
端末を見る。
Linkcityのクローゼット。
百七十四。
一瞬で着替えられる。
場所を取らない。
洗わない。
傷まない。
現実では作れない服も着られる。
どちらが上でもなかった。
役割が違う。
湊は現実のクローゼットから一着取り出した。
明日。
天気は比較的穏やか。
現実へ買い物に行く予定。
着る。
必要だから。
そのあと。
Linkcityで結衣たちと会う。
そのときは。
今日買ったジャケットを着る。
好きだから。
端末に通知。
来週トレンド予測更新。
大型アクセサリー。
九十一パーセント。
湊は笑った。
「また上がってる」
通知を閉じる。
その下。
あなたへのおすすめ。
大型アクセサリー。
「いらない」
非表示。
数秒後。
別のおすすめ。
トレンド外。
小型アクセサリー。
「そっち出すのか」
AIは。
湊が大型アクセサリーを拒否したことまで見ている。
流行を予測する。
好みを予測する。
買うものを予測する。
でも。
最後に押すのは。
湊だった。
買う。
買わない。
流行っている。
流行っていない。
似合う。
似合わない。
好き。
好きではない。
そこまで全部。
予測通りにする必要はない。
湊は端末を置いた。
クローゼットを閉める。
現実。
三十着。
Linkcity。
百七十四着。
明日になれば。
増えるかもしれない。
減ることは。
たぶん。
あまりない。
そしてLinkcityでは。
来週の流行を予測する数字が。
また少し上がっていた。
コメント
1件
第12話めっちゃ良かった……! 現実30着、Linkcity174着って差がもうリアルで、でも「どっちが上じゃない、役割が違う」って湊の考えにすごく共感した。特に文乃さんの「全部AIに合わせたら私が店やる意味が薄れる」っていう台詞、刺さったわ。AIが予測して流行を作る循環も面白くて、でも最後に買うか決めるのは自分って締めが好き。服の話だけど、アイデンティティとか選択の話になってて深かった。次回も楽しみにしてる🔥