花純が少し落ち着いたところで壮馬が言った。
「調子が良かったら、今日は荷物の整理でもするといい」
「荷物の整理?」
「君の部屋のクローゼットは好きに使って構わないから」
その言葉の意味がよく分からず、花純は壮馬に聞き返した。
「あの…クローゼットって…?」
「昨日大家の瀬川さんから電話が来てね、あのアパートはもう元に戻すのは厳しいので取り壊しして建て替えるらしい。建て替
えた後は以前住んでいた人に優先的に入ってもらっても構わないそうだが、新築物件なので家賃は跳ね上がるだろうとも言って
いたよ。
もし他の物件へ引っ越す場合は、初期費用と引っ越し代を持ってくれるそうだ。あとは仮住まいのホテル代や、駄目になった家
財道具等についても保険会社が調査後に保証してくれるらしい」
その話を聞いて、花純はガックリと肩を落とす。
「やっぱり元には戻らないんですね」
「そうみたいだね。延焼の範囲が大きかったからな」
分かっていた事とは言え、やはりショックだ。あのアパートのように、立地が良くて安い物件が今後見つかるのだろうか?
ここ最近、あの辺りのお手頃価格の古いアパートはどんどん建て替わっている。
もしかしたら、あの街にはもう二度と住めないかもしれないと思うと、残念な気持ちでいっぱいだった。
花純はフーッと息を吐くと、壮馬に言った。
「今日にでもビジネスホテルへ移動します。二晩もお世話になり本当にありがとうございました。ただ…..大変図々しいお願い
なのですが、あの子達……いえ、植物達はもう少しこちらへ置いてもらう事はできないでしょうか?」
花純は申し訳なさそうに言う。
「ホテルへ行く必要はないよ。新しい部屋が見つかるまでここにいればいい」
その言葉にびっくりした花純は慌てて言った。
「いえ…でもそれじゃあ…」
花純が言い終わらないうちに、壮馬が被せるように言った。
「言ったろう? 部屋は余ってるって。それにあの植物達の世話を俺に全部押し付けるつもりかい? 俺は忙しいし頻繁に出張
もあるからうっかり枯らしてしまうかもしれないぞ? だったらこのまま君がここにいて世話をすればいい」
「でも…」
「この話はもう終わりだ。今風呂の用意をするから、食べ終わったらゆっくり風呂にでも入りなさい」
壮馬はそう言うと、キッチンへ行き壁についている風呂のスイッチを押した。
そんな壮馬に、花純は念の為もう一度聞く。
「本当にご迷惑ではないですか?」
「大丈夫だ、問題ない」
「すみません…ありがとうございます」
花純は申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら、頭を下げてお礼を言った。
その時ある事が閃いた。
「あ、あの……だったら、せめてこの家の家事は全て私にやらせていただけないでしょうか?」
花純の申し出に、今度は壮馬が目を丸くする。
「…それは構わないけれど……でも無理する必要はないぞ」
「いいえ、やらせて下さい。大したことは出来ないかもしれませんが、『一宿一飯の恩義』のお礼くらいは…」
「随分古めかしい言葉を使うな…」
壮馬は笑いながら言った。
「あっ、いえ、祖母の口癖で……」
花純が顔を真っ赤にして言うと、
「分かった、じゃあ頼むよ。ただし俺は夜は外での会食が多い。俺の夕飯がいらない時は君だけ自由にしたらいい。あまり義務
的に頑張り過ぎないように。また倒れられても困るからな」
「わかりました」
花純は少し納得がいったのか、ホッとした様子で残りのトーストを食べ始めた。
そんな花純の事を、壮馬は優しい眼差しで見つめている。
家事を請け負うと言ったものの、
その日の昼食は、また壮馬が蕎麦を茹でてくれた。
花純はまだ本調子ではないので、今日いっぱいは家事をするなと言われた。
仕方なく花純は朝風呂に入った後自分の部屋の片づけをすると、それ以外の時間は用心してベッドでゴロゴロとしていた。
そして夕食も壮馬が宅配を頼んでくれた。
好きな物を選べと壮馬が出したチラシの中から、花純はピザを選ぶ。
そのピザの店は、花純が一度食べてみたいと思っていたイタリア本格派ピザの店のものだった。
夕食は、テレビを見ながら二人で食べた。
壮馬はビールを飲みながらピザを美味しそうに食べている。花純も初めて食べるサクサク生地の香ばしいピザに舌鼓を打った。
そして食後に処方された薬を飲む。
もうほとんど全快に近い状態の花純は、壮馬が風呂に入っている間に明日の朝食と弁当の準備をした。
今日は壮馬の家にある食材を使わせてもらったが、明日は帰りにスーパーへ寄ろう。
そう思いながら炊飯器のタイマーをセットする。
勝手の分からない他人のキッチンでなんとか準備を終えると、ちょうど壮馬が風呂から上がって来た。
Tシャツに短パン姿の濡れた髪の壮馬は、妙に艶っぽい。花純はその時初めて『男の色気』というものを見た気がした。
それは、エプロン姿の壮馬と同じくらい衝撃的な姿だった。
(なに見とれてるのっ!)
壮馬に目を奪われていた花純は自分に喝を入れる。
「お風呂、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
花純はそう返事をすると、そそくさと自室へ着替えを取りに行った。
その後花純はバスルームへ行って身体を洗い終えると、ゆっくりとバスタブに浸かる。
「ふーっ、広いお風呂気持ちいい」
思わずそんな呟きが漏れる。
それにしても、一昨日の火事騒動以降目まぐるしい日々だった。
昨日の記憶はほとんどなかったが、あっという間に二日が過ぎていた。
熱が下がり冷静な思考に戻った今、の状況にギョッとしている自分がいる。
(凄い事になっちゃったわ……)
夢でも見ているのではないかと思うほど、この数日間は花純の人生においてかなり衝撃的であった。
(でも、『むっつり無口』な副社長が、こんなに色々してくれるなんて思ってもいなかった…)
花純はそう思いながらフフッと笑みを漏らす。
一方リビングで新聞を読んでいた壮馬は、一昨日からの状況を一つ一つ思い返していた。
花純の具合が悪くなり家へ送るという状況は、プロジェクトの責任者として当然の事だと思っていたが、まさか彼女のアパート
が火事になっているなどとは予想もしていなかった。
そして具合の悪い花純を放っておけず、つい自分の家に連れてきてしまった。
今まで何があっても、自宅に女を入れた事はない。
一年付き合った麗華でさえ、このマンションには一度も入れた事がない。それが元で、麗華とは何度も喧嘩をした。
壮馬はこれまで、自分のプライベートなテリトリーに他人を入れた事はない。
なぜなら、プライベートスペースだけが本当の自分に戻れる場所だったからだ。心からリラックスできる場所には、誰一人入れ
たくなかった。
しかし、花純を連れて帰った時にはなんのためらいもなかった。
「不思議だな…」
壮馬はそう呟くと、熱にうなされていた時の花純を思い出す。
汗で湿っていた花純の服を、壮馬は自らの手でパジャマに着替えさせた。
着替える際には軽く体も拭いてやった。
こんな事をしたのは初めてだ。
まるで、子供の頃に飼っていた子犬の世話をするような、そんな愛おしい気持ちが溢れてくる。
もちろん他人に対してこんな気持ちになるのは初めての事だった。
その時壮馬は、想像よりも華奢だった花純の身体を思い出していた。
花純の下着姿を見た壮馬は、思わずその美しい身体に見とれてしまった。
白くて手に吸い付くようなきめ細やかな若い肌は、もうちょっと触れていたいと思わせるほど柔らかだった。
花純が熱にうなされていなかったら、自分は冷静でいられただろうか?
今花純の身体を思い返してみても、身体の奥から熱い疼きが湧き出て来る。
若い花純の身体は、40近い男を興奮させるには充分過ぎるほど清らかで美しかった。
(チッ、俺は一体何を考えているんだ……)
壮馬は自分を戒めるように胸の内でそう呟く。
自分のあまりの変わりように、壮馬は少し戸惑っていた。
それと同時に、
「彼女を守ってあげたい」
という思いが溢れてくる。
庇護欲……一言で言えばそんな感じだろうか?
もちろん、女性に対してそんな気持ちになったのも初めてだ。
(俺の心はすっかり持っていかれちまったな…..)
壮馬はフッと笑みを浮かべると、手にした新聞の文字を再び追い始めた。
コメント
3件
普段の壮馬さんなら、看病どころか 女性を自分の家に入れることすらありえない....🤔 やはり花純ちゃんは 彼にとって「運命の人」で特別なのでしょうね....😍💘
ホントに花純ちゃんが可愛くて守りたくて仕方ないって完全に恋に落ちましたね💞 お着替えは壮馬さんでしたか… 理性がキープできてよかった🤭
子犬花純ンと狩猟民族壮馬さん💞 🪴しか興味がなかった花純ンが壮馬さんのエプロン姿や風呂上がり姿にドキッ💕としたり壮馬さんが花純ンの下着姿にドキドキ💓したり、躊躇わずプライベート空間に居させるなんてお互い惹かれあってる以外ないでしょ😅 花純ンも対男性はお初だから戸惑っても素直に自分のできる事をしたら良いね😊👍