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黒い喪服に身を包んだ人々の中で、俺は静かに手を合わせていた。
まさか、こんな場であいつの顔を二年ぶりに見るなんて、思ってもいなかった。
俺達は高校卒業後、それぞれ違う大学に進学した。
お互いがいない、非日常的な毎日にも慣れてきた二年目、事故は起こった。
空の通う大学で、エレベーターの故障による事故が起きたのだ。
中にいた五人のうち、三人が負傷。
そして残りの二人が帰らぬ人となり、その中に、空も含まれていた。
遺影の中の彼はぎこちない笑顔で、でもそれがいつもの彼で、どこか安心してしまっていた。
涙も出そうになった。
まさか、倒れるどころか本当に死ぬなんて思ってもなかった。
そういえば、あいつから預かった小説をまだ書き上げていない。
忘れていたわけではなかった。
ただ、書き終えてしまえばあいつが完全に過去になってしまいそうで。
もう俺にはどうすることもできないのだと、思い知らされるのが怖かった。
俺は葬式を終えると、自宅へと帰ってきた。
鍵を閉め、靴を脱いで上がると真っ先にデスクへと向かった。
デスクの棚の、一番上の引き出し。
開けると、当然のようにそこにいた。
空があの日俺に託した、書き途中の小説。
俺は椅子に座ると、ほんの少し色褪せたルーズリーフを広げ、シャーペンを握った。
掠れて薄くなったあいつの筆跡を見つめる。
それだけで、意識はあの日へと引き戻されていく。
あの日も、俺の無茶振りに文句を言いながらも、空は楽しそうにルーズリーフを埋めていった。
合間に交わすくだらない冗談。
そんな何気ないやり取りが、俺たちの日常のひとつだった。
慣れない喪服の窮屈さも、襟元の硬さも、いつの間にか忘れていた。ただ淡々と、俺はペンを走らせていく。
-渉-
あの電話が最後だった。
病院に着いたとき、もう遅かった。
空は、もういなくなっていた。
昔、俺は警察官になって、お前を助けるとか。
そんなこと言ったよな。
守れなかった。何一つ、守れてない。
結局口ばっかりだ、俺は。
お前が預けてくれたこれだって、お前が生きてるうちに終わらせられなかった。
ごめん、空。本当にごめん。
こんな、……こんな情けない俺を、頼むから許してくれ。
馬鹿だよな。
本当に、どうしようもない馬鹿だ。
「ダメだ。こんなんじゃ、空に怒られちゃうな」
俺は力任せに消しゴムを動かし、最後の一行から途中までをごしごしと消し去った。
もう一度シャーペンを強く握り直す。
なあ。なんで俺を置いてったんだよ。
ずっと一緒だって、当たり前に思ってたのに。
またあははって笑い合うんだろ。
嘘だろ、空。
お前がいないと、俺、何を目標にしていいかマジで分かんないんだ。
ただの幼馴染とか、そんな言葉じゃ全然足りない。
お前は俺の人生の、中心にいたんだ。
お前がいないと、何も始まんないんだよ。
会いたい、空。
今すぐ、また前みたいに話そうぜ。
ふいに文字が見えなくなった。
ボタボタと何かが落ちる音が、静かな部屋に響く。
硬い喪服の襟が苦しくて、必死に堪えようとしたけれど、無理だった。
口を突いて出たのは、情けないほど無様な声だった。
俺がこんなにも、今の今まで感情を抑え込んでいたなんて、知らなかった。
ようやく呼吸が整うと、手の甲で涙を拭った。
ルーズリーフには、無残な水の跡がいくつも残っていた。
その上に並ぶ俺の文字は、自分でも何て書いたのか分からないほどひどく歪み、ぐちゃぐちゃに崩れていた。
俺は消しゴムで消す気力もなく、ただもう一度、彼が書いた小説を読み直した。
正直、あまり読みたくはなかった。
あの日のことを鮮明に思い出してしまうから。
だけど、ここで目を背けるのはただの逃げだ。
忘れてしまわないように。
あいつを自分に刻みつけるための、これは呪いに近い暗示だった。
読み進めるうちに、また視界が熱く歪みそうになる。
それを奥歯を噛みしめて、力ずくでこらえた。
俺は必死に目を凝らし、紙の中のあいつと正面から向き合った。
最後まで読み終え、俺はふうっと短く息を吐いた。
これじゃあ、あいつに笑われる。
そう思うと、俺は迷うことなく消しゴムへ手を伸ばしていた。
いや───
消しゴムへ向かっていた手を、空中で止めた。
代わりに、ルーズリーフの端を乱暴に掴み取ると、一気に両腕に力を込める。
その瞬間、ビリビリと、激しい音を立てて紙が裂けた。
あいつの字と俺の字が、境界線を引くように分かれた。
それを見届けると、俺は自分の書いた紙を力任せに握りつぶした。
手のひらの中で、紙が抵抗するかのように指を突き刺してきた。
だが、それも構わず丸め込み、ゴミ箱の奥底へと叩きつけた。
───空、今から書き上げていくから見てろよ。
お前の分まで、俺がどんなふうに生きるか、特等席で見ててくれ。
小説の書き方なんて相変わらずサッパリだけど、お前が見たかった未来を、俺が代わりに歩くことならできる。
だから絶対、見ててくれ。
手元に残った空の小説を、大切に折り畳んで机に置く。
手のひらでその感触を一度確かめてから、俺は窓の外に広がる空を見上げた。
そこには、あの日見た目が痛くなるくらいに真っ青で明るい空があった。