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◆ ナコハと新社長が初対面
面談室は、冷房の効きすぎたような静けさをまとっていた。
窓から射す春の光さえ、どこか緊張で固まって見える。
「クズミ ナコハさんですね?」
名前を呼ばれただけなのに、背筋がぴんと伸びる。
新社長は、思ったよりも小柄だった。
けれど目だけは異様に強い。
透明な刃物みたいに、こちらの“余白”を切り落としにくる。
「はい……あ、あの、面談と聞いて……」
言い終える前に、彼女はタブレットを軽く傾けた。
そこには私の職歴と、人事評価と、細かい行動ログまで記録されていた。
「クズミさん、あなたについて聞きたいことが三つあります。」
端的。
感情ゼロ。
抑揚もほぼない。
「まず一つ目。あなたは——誰の派閥にも属していない。間違いないですね?」
「は、派閥……? そんなものが、うちにあるんですか?」
「“あったんです”。今日までは。」
そう言って、彼女はタブレットをスワイプした。
画面には、真っ赤にマーキングされた数十名の名前。
そのうちのほとんどを、私はよく知っていた。
彼らの多くは、もう席にいない。
「二つ目。あなたは、誰の成果を横取りしたことがない。
逆に、横取りされても抗議していない。」
「えっと……言い方は、まあ、その……はい。」
すると社長は初めて、微かに笑った。
だけどその笑みは優しさではなく、
“正解を選んだ人への評価”に近い。
「私、そういう人が嫌いじゃないです。」
「は、あ、ありがとうございます……?」
「最後に三つ目。」
彼女はタブレットを閉じ、真正面から私を見た。
「あなたは、“拒否しない人”ですね?」
喉がひりつく。
何を言われているのかわからないのに、
なぜか心臓だけが正確に意味を理解した。
「私は癒着が嫌いです
媚びる人間も嫌い
“古い政治”に象徴される価値観も嫌い
山口の出身だから、特にね」
唐突なのに、妙に納得してしまう言い方だった。
「でもあなたは、そのどれにも属していない。
負の構造にも、利害にも、忖度にも巻き込まれていない。
あなたみたいな人材は、会社を変える時に“残すべき側”です。」
私は、ぽかんとした顔で座っていた。
「……あの、私、特別なことは——」
すると彼女は、言葉を切り捨てるように手を振った。
「特別じゃなくていいんです。
“汚れていないこと”が重要なんです。」
再び笑う。
氷のように冷たく、しかし確信に満ちた笑み。
「クズミさん。あなたは残ります。
これから大きく組織が変わりますが……
不安なら言ってください。
“あなた以外は、いなくなります”から。」
言葉の意味が掴めないまま、面談は終わった。
部屋を出る直前、
私はそっと振り返った。
彼女はもう私を見ていなかった。
すでに次の資料を読み、次の“赤い印”に視線を移していた。
私は気づいた。
その赤い印のほとんどは、
さっきまで私の隣に座っていた人たちの名前だった。
◆最適化される善意
朝のフロアは、静かだった。
誰も喋っていないわけではない。
キーボードの音、椅子を引く音、紙をめくる音。
それらが過不足なく配置されている、という感じだった。
ナコハは、少し離れた位置から全体を見ていた。
自分の席はあるが、そこに「居続ける」必要はない立場だ。
困った人がいれば寄る。
判断に迷う声があれば、聞く。
誰かが切られそうなら、数字の読み替えを提案する。
少数精鋭経営推進法が導入されてから、会社は明らかに効率化された。
評価基準は明快で、例外は少なく、意思決定は速い。
「正しい制度だと思いますよ」
新社長はそう言っていた。
就任直後の全体会議で、少しだけ緊張した笑顔を浮かべながら。
「正しいし、たぶん、必要です」
ナコハは、その言葉に反論しなかった。
正しい、という言葉は危ういが、必要だという点では同意できたからだ。
だから彼女は、“支える役”になった。
制度が誰かを押し潰さないように。
評価が機械的になりすぎないように。
現場が声を上げる前に、微調整を入れる。
彼女がやっているのは、改革ではない。
延命だ。
けれど、延命で救われる人がいる限り、それをやめる理由もなかった。