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午後四時。曇り空の下、校舎の奥にある相談室は静かだった。
古びたドアが小さくきしみ、男子生徒が遠慮がちに顔をのぞかせる。
「……失礼します」
教卓の前に座っていた遥が、軽く視線を上げた。
「どうぞ。椅子、空いてる」
少年は背を丸めたまま、椅子に腰を下ろした。かばんの紐をぎゅっと握り、言葉を探している。
「その……強み、ってありますか」
唐突な問いに、遥は片眉をわずかに上げた。
「強み?」
「はい。進路調査で“自分の強み”を書けって言われたんですけど、何もなくて」
吐き出された声は小さく、消え入りそうだった。
窓から射す光が、少年の手元を淡く照らす。遥は机に肘をつき、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「ないって思うの、よく分かる。俺も、同じ質問されて黙り込んだことある」
少年の目がわずかに動く。
「……遥さんにも?」
「うん。家でも学校でも、誰かに“これが強みだ”って言われたことなかったし。
だから“何もない”って本気で思ってた」
少年はうつむいたまま、かばんの紐をさらに握りしめる。
「みんな勉強できたり、部活で活躍したりするのに、俺は何も……」
「そういうのは分かりやすいだけだよ」
遥は窓の外に視線をやりながら続ける。
「たとえばさ、人の話をちゃんと聞けるとか、誰かの失敗を笑わないとか。
そういう“当たり前”みたいなことは、目立たないけど大きな強みなんだ」
少年は少しだけ顔を上げた。
「……そんなの、強みって言えるんですか」
「言える。誰にでもできることじゃない」
遥は小さく笑みを浮かべる。
「俺はたぶん、相手の沈黙をそのまま待てるところが強みかもしれない。
すぐに答えを求めないで、ただ一緒にいられる。それだけ」
少年は窓の外を見つめ、しばらく黙っていた。
やがて、ほんの少しだけ口角を上げる。
「……友達が落ち込んでるとき、黙って隣にいたこと、あります。
何もできないって思ってたけど……あれも強みですか」
「もちろん」
遥は迷いなくうなずいた。
「言葉がなくても、そばにいるってすごいことだ」
教室の時計が、五時を告げる。
少年は肩の力を抜き、深く息を吐いた。
「……なんか、少し書けそうです」
「よかった」
遥は窓から差す夕暮れの光を背に、淡く笑った。
ドアが閉まったあと、相談室は再び静寂に包まれる。
遥は机に残った温もりを指先でなぞりながら、自分の胸にも同じ問いを置いてみた。
――強みとは、目に見えるものだけじゃない。
誰かを思う心や、静かに寄り添う勇気。
それを、弱さの中に抱えて生きること。
そんな確かさが、淡い光のように胸の奥で息づいていた。