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オレの正確無比なる胎内時計では、そろそろ陽の暮れる頃だろう。
獄卒としての初任務はいつ始まるのか?
『可愛い!』
『ホントにちっこいね』
『んん~いいコらだ』
しかし何時まで経っても連中はオレ達を蹂躙し、ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべているだけ。
生かさず殺さず、なぶるつもりか?
「くすぐった~い」
「ママぁ、もっと撫でてぇ」
コイツらはすっかり懐柔されてやがる。何故そうまで危機感が無いのか不思議でならない。
無罪判決を受けたとはいえ、決して放免された訳では無いのだぞ?
「――っ!?」
馬鹿共を尻目に、警戒包囲網を解除する事なく張り巡らせているオレの身体が、不意に持ち上げられた。
“日本の夏、緊張の夏”
我ながら上手いが、今は冬だという事に気付き、軽く鬱に入るのも束の間、オレの全身筋繊維が緊張により弛緩していく。
逆ではない。こういう不慮の事態の時こそ、強張らせては逆効果なのだ。
『ああこの子は雄みたいね』
女神に抱えられたオレは、雄の象徴をまじまじと観察されていた。
なんという屈辱の極み。
かつてこれ程までに自尊心を打ち砕かれた事は無い。
オレは無防備なその顔に、必殺必中の猫式百烈脚をお見舞いしようと思ったのだが、この状況で怒りを買うのは得策ではないし、何より脚が届かない。
だが代わりに、オレの“爪研ぎリスト”トップテンに、この度新たな一ぺージが目出度く加えられたのは言うまでもない。
『大人しいけど可愛い!』
大人しいだと? 冷静に状況を見定めているだけだ。
“何時か覚えておけよ?”
オレがリベンジャーの決意を募らせている最中、不意にオレの身体が女神の胸元へと引き寄せられた。
逃げる隙も無い。抱き締められたのだ。
“圧殺の時来(きた)る!”
オレは死を覚悟した。
おかしい。何故だ?
オレはプレス機に掛けられたゴミみたいに潰された筈だ。
それなのに女は一向に力を入れようとしない。
『怖がらなくて大丈夫だからね』
ただ柔らかい感触と、温もりだけがオレを包み込んでいる。
ふと思った。この感じは母親のそれに似ていると――
「…………」
オレは無言で身を委ねてしまっている。決して悪い感じではない。
もしかしてオレは、とんでもない勘違いをしていたのか?
此所は地獄でもこの女は獄卒でもなく、此所は本当の意味で天国であり、どう見ても彼女は女神の化身そのものじゃないか。
オレは何時の間にか、罠である事すら忘れて安心してしまっている。
このオレが人間に心を開く等、あってはならないのに――
『アンタばっかりずる~い!』
『ママぁ~ボクも』
くっ! この馬鹿共が。
オレがセンチメンタルな気分に浸っている時にこれだ。
オレに嫉妬でもしたのか、兄弟達はおねだりコール。うるせえな。
お前等はミーノスかカロンにでも抱かれてろ。
此所はオレの特等席なのだ。
『はいは~い』
人が良いのか五月蝿かったのか、女神は他の兄弟達も抱き上げる。暑苦しい。
「ご主人様暖か~い」
「ママぁ~」
現金な奴等だ。まあ気持ちは分かるがな。
地獄にはそぐわない、穏やかな雰囲気と、緩やかな時間が過ぎていく。
オレ達の未来は不確定だが、確かに明るい気もしてきたのだ――
陽も完全に落ちたのを胎内時計で体感した頃、突如異変が起こる。
『じゃあ俺はそろそろ帰ろうかな?』
空気の読めない黒き男が、流れをぶち壊しながら立ち上がっていたのだ。
そういえばこいつだけは、此所の所縁の者ではなかったな。
“はぐれ雲為らぬはずれ者”
なんて上手いのだオレは。我ながらその頭脳回転の良さに、自己陶酔を隠せない。
『あらぁ? 今日は泊まっていかないのかい?』
『明日仕事が早いもので……。終わってからまた来ます』
冥王との掛け合いを見るに、こいつははずれ者の癖に此所で寝食を共にするのが日常的みたいだな。
『それじゃ、お邪魔しました』
『シンちゃんバイバ~イ』
『あ! 私シンちゃん見送ってくるね』
女神がオレ達の下から放れ、はずれ者に付き添う。
突然のさよならに、オレは泣きそうになってしまった。
そういえば女神とはずれ者は、恋人同士という訳分からん関係だったな。
ふん。見送りとは体の良い、情事への理由付けだ悔しい。
オレは恨めしそうに二人の背中を見送っていた。
残されたオレ達は冥王にカロン、ミーノスと云った色気の欠片も無い連中に戯られる事となった。
むさい……むさ過ぎる!
兄弟達はどう思ってるかは分からない。
だがこんなむさい連中よりは、女神が千倍良いに決まってる。
「あ……あはは……」
「…………」
テンションの違いからも明らかだ。
女神突然の不在に、猫被りな奴等も戸惑っている。
勿論オレもだ。早く帰って来て欲しい。空気が不味い。
オレは女神を連れ去った、あのはずれ者を憎む。
めでたく奴はオレの“爪研ぎリスト”、ランキングトップスリー入りだ、おめでとう。
人間同士の情事なら、ゆうに一時間は掛かるだろう。
奴が淡白である事を願わずにはいられなかった。