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第37.1話:イロハ史の授業
朝の教室。
窓から入り込む光が、机の木目を淡く照らしていた。
まひろは水色のパーカーに黄緑の短パン。
髪は寝癖でふわっと跳ね、ランドセルのストラップをいじりながら席に着いた。
隣にはヒロト。
薄い緑のTシャツに灰のズボン、くせ毛が前に落ちている。
その後ろの席にはミナ。
モカ色のカーディガンに薄紫スカート、髪をゆるくまとめている。
今日は「いろは史」の授業だ。
いつもは退屈な時間なのに、
今日は“特別資料を見る日”らしく、子どもたちは少しだけわくわくしていた。
──────────
■ 教室に現れた“古い文字”
教卓に立つのは杉原先生。
灰色のシャツにベージュのスラックス、穏やかな声の中年教師だ。
「はい、みんな〜……今日は“いろは史”のお話をするよ〜」
ぱっと黒板に映し出されたのは、
見慣れない ひらがなの並び。
『いろはにほへとちりぬるを……』
教室がざわついた。
まひろは首をかしげる。
「……え? これ、“イ・ロ・ハ”のことなの?」
杉原先生はにっこり笑って頷いた。
「そう。これはね、昔の“歌”なんだよ。
寺子屋って場所で、こどもたちが文字を覚えるために使っていたの」
ヒロトが手をあげる。
「じゃあ、“数字”じゃなかったの?」
「数字じゃなかったんだよ〜。
でも、大和国では“イ・ロ・ハ”は“並べる数”になったんだね」
子どもたちはぽかんとした。
今の大和国で「丸い歌」や「文字の歌」は禁止されていて、
イロハは完全に“序列の自然数”として扱われているからだ。
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■ イロハが“序列の数”になった日
杉原先生は、画面を次に進める。
映し出されたのは、雨国崩落から数年後の古い新聞の写真。
「混乱をなくすための新しい順番・イロハ導入」の文字。
「昔はね、数字(いち・に・さん)を全部に使っていたんだよ。
でも災害や戦争で人が多く混乱したとき……
『もっとやさしい順番を作ろう』って決まったんだ」
ミナが眉を寄せる。
「でも……“やさしい”のに、全部“イが一番”って感じがしない?」
先生は、少し困ったように微笑んだ。
「そうだねぇ……
でも“イは元気”“ロは安定”“ハはやさしい”っていう考え方が、
だんだん広まっていったんだよ」
実際には——
国軍(サムライ)とネット軍(ニンジャ)が
「序列を音で固定するため」に設計したものだが、
子どもたちはその裏を知らない。
──────────
■ 教室の後ろに設置された“翡翠核端末”
授業が進むあいだも、
後方の翡翠核端末は淡い緑の光を放ち、
発言内容・表情・感情指数をゆっくり記録している。
まひろは席でそっとミウに似た影を思い出していた。
(……あのミウおねえちゃんも、イロハすぐ使ってたな)
大和国では、
学校教材・給食の量・バスの系統・税区分・医療診断……
あらゆるものがイロハで動いている。
子どもはそれを“自然”としか感じない。
──────────
■ いろは歌を「歌わない」授業
「さて……昔のいろは歌、読んでみようか」
先生は言いながらも、
本当は歌わせることはできない。
「歌は禁止」
「語尾の旋律は禁止」
だから、授業では“読むだけ”だ。
子どもたちが声をそろえる。
「いろはにほへと―ちりぬるを―……」
音はどこかぎこちない。
本来の歌ではなく、「古文の朗読」のようになってしまう。
まひろは手を止める。
「なんだか……イロハって、もっとちがう形だったんだね」
杉原先生は少しだけ目を伏せる。
「そうだねぇ。でも今のイロハは、
みんなが安心して暮らすための“やさしい順番”なんだよ」
教室の端で、翡翠核端末の光がわずかに変化した——
「安心・安定」の判定。
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■ 終わりのチャイムと“現実のイロハ”
授業が終わり、外に出ると夕陽が校庭を照らしていた。
まひろは水色のパーカーを揺らしながらつぶやく。
「イ・ロ・ハって……昔は“歌”で、
今は“数”なんだね……」
ヒロトが笑う。
「きっと、歌よりこっちのほうが安心なんだよ」
ミナも続けて言う。
「だって、レポートも給食も交通も、
みーんなイロハでそろってるもん」
まひろは、学校門の上にある
「今日の安全指数:イ」
という表示を見上げる。
淡い緑の光がゆっくり明滅していた。
そして彼は思う。
(イロハって……大和国の心臓みたいだな)