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#戦乙女
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背後から、鎧の擦れる音が近づいてくる。
従者たちの声。
誰かが低く命令する声。
たぶん、さっきの破壊音で完全にバレた。
後ろはワロス様方面。
戻ったら終わり。
前には、私が筋肉で開けた壁の穴。
その向こうには、どこへ続くか分からない暗い通路。
前には希望がある。
ただし、希望の入口が破壊痕なのはどうかと思う。
「……行くしかないよね、これ?」
『……こんな形の入り口……希望じゃない……私、干されたい……日当たりのいい場所で……』
「希望の形に文句言うな!!」
私は慌てて壊した壁の穴をくぐり抜けた。
砕けた石片を踏み越え、通路へ飛び出す。
右手には、まだ鉱物化の余韻が残っていた。
拳が重いし、肩も重い。
でも一番重いのはこの状況よ。
人生、急に荷重オーバー。なにこれ。
『……サクちゃん……』
「なに!?」
『……走る……よ……』
「え?」
『……靴は……走るもの……だから……』
足元のリツが、淡く光り始めた。
青白く、幽霊みたいな色がブーツを包んだ。
そして──次の瞬間、靴底がじわりと赤く染まった。
「……リツ?」
『……たぶん……できる……』
「何が!?」
『……速いやつ……』
「説明が雑!!」
──ギュンッ!!
文句を言いかけた私の身体が、ぐらりと傾く。
いきなり、世界が伸びた。
「うわっ!?」
一歩踏み出しただけのはずだった。
なのに次の瞬間、私は通路の奥まで吹っ飛んでいた。
床と壁が線になった。
視界が全部、横へ流れていく。
速い。
速すぎる。
「ちょッ!? 速ッ!?」
『……速いね……』
「他人事!? これ、リツがやってるんでしょ!?」
『……たぶん……』
「たぶんで人体を高速移動させるな!!」
風が顔面に叩きつけてくる。
頬が持っていかれる。
髪も持っていかれる。
女子として守るべき何かも、持っていかれている。
「顔の皮が持ってかれる!! これ女子力が試されてる!?」
『……サクちゃん……』
「な、なに!?」
『……なんで……私……速く走れるの……?』
「靴だからじゃない!?」
『……理解した……』
少し間があった。
『……疲れた……サクちゃん?』
「なに!?」
『……爆発なら、一瞬だよ……?』
「やだよ!?」
そして、リツは止まらずに、むしろ加速した。
壁を蹴り、
ドンッ!
天井を蹴った。
ドンッ!
さらに床を蹴る。
ドンッ!
私の身体が、重力を無視して跳ね回る。
上がどこか分からない。
下もどこか分からない。
壁も床も天井も、全部まとめて道になってる。
「え!? 今どっちが上!? 私、壁走ってる!?」
『……壁……走ってるね……』
「冷静に実況するな!!」
視界がぐるんと回った。
胃が置いていかれる。
(これ、逃げてるの? それとも洗濯機に入れられてるの?)
『……サクちゃん……』
「今度はなに!?」
『……なんで……壁……走れるの……?』
「リツの能力でしょ!?」
『……私のせい……』
リツの加速が、一瞬だけ鈍った。
『……消えたい……』
「自分で聞いといて!?」
『……サクちゃん……息……苦しい……靴って……生きてるのかな……?』
「今、その哲学で足止めするな!!」
靴のくせに思考の沼に沈みかける姉を、私は言葉で引っ張り上げる。
『……そっか……』
リツは納得したように呟いた。
そしてまた加速する。
「うわぁぁぁぁ!!」
『……ワロスが来ちゃうから……本気出した……』
「本気出せるなら最初から出して!!」
『……それとも……粉になる……?』
「粉を選択肢に入れるな!! 意思の疎通がしたい!!」
長い通路を抜けると、今度は螺旋状の下り坂に出た。
普通なら慎重に進む場所だ。
でも、リツに普通を求めるのが間違いだった。
リツの靴底が、濡れた石をがっちり掴んだ。
滑るどころか、壁を蹴る。
手すりを蹴り、天井すら蹴る。
──パキッ
「今、足首が変な音した!! パキって言った!!」
『……大丈夫……?』
「大丈夫じゃない!! でも止まったら捕まる!!」
『……じゃあ……走る……』
「そうだけど!! そうなんだけど!!」
加速。
回転。
落下。
跳躍。
全部が同時に来る。
私はもう、悲鳴を上げているのか笑っているのか分からなくなっていた。
「ぃぃぃ……!?」
やがて螺旋の通路が終わり、長い直線の石道に出た。
空気が変わった。
カビ味から、金属と薬品味へ。
(……階層が変わった?)
私は息を整えようとした。
「リツ、ちょっと止まって……足首と胃が別人格になりかけてる……」
『……サクちゃん……』
「なに!?」
『……もう……足跡だけ残して消えたい……』
「靴だけに!? 上手いこと言わないで!!」
『……うまくない……つらい……』
「知らん!! 今は走ろう!?」
その時。
コツ、コツ、コツ。
前方から、規則正しいリズムの足音が聞こえた。
その足音だけで「印鑑の位置が違います」と言ってきそうだ。
「……やだ。オフィスの音がする」
私は引きつった声で思わず呟いた。
前方に、人影。
いや、人ではない。
魔神族だ。
黒いスーツ。
乱れのない姿勢。
銀縁の眼鏡。
手には分厚いバインダー。
嫌な予感しかしない。
バインダーを持っている奴は、だいたい面倒なことを言う。
これは前世で散々叩き込まれた。
会議室の長机。
冷めた紙コップのコーヒー。
誰も見返さない資料。
そして「一点だけ確認なんですが」から始まる終わらない地獄。
こんな地獄みたいな城の中で、そこだけ急にオフィスだった。
その魔神族は、ゆっくりと眼鏡を押し上げた。
レンズが冷たく光る。
あの光り方はだめだ。
絶対に「結論から言うと」とか言うタイプだ。
その瞬間、ムダ様の尊き言葉が脳裏をよぎった。
『結論から言う者を信用するな。
結論で終わった試しがない。
真の結論とは筋肉である。殴れ。』
ありがたい。
つまり、会話が長そうな相手は殴っていい。
『……サクちゃん、笑ってる……』
「結論から言うと。私は管理参謀エクセル=テンプレート。ワロス様の混沌を秩序に戻す者」
「やっぱり結論から言った!! もう殴る条件そろった!!」
声に感情がない。
どこかに置き忘れたというより、最初から搭載されていない感じだった。
私は一瞬、逃走中であることを忘れて、その名前を見つめた。
「エクセル=テンプレート……?」
「はい」
エクセルはメガネをクイっとあげた。
「……知り合いにワードさんとかパワポさんとかいない?」
「彼らとは部署が違います」
エクセルは一切表情を変えずに言った。
「いるんだ!?」
『……敵……?』
リツが足元で小さく震える。
「敵だよね」
『……めんどくさい……もう、負けたことにして帰ろう……』
「賛成だけど!?」
エクセル=テンプレートは、無表情でバインダーを開き、
無表情のまま、私の足元を見た。
「ふむ。未登録の装備品を確認。黒色ロングブーツ。分類、呪具。危険度、暫定B」
『……B……中途半端……つらい……爆ぜたい……』
「評価で病むな!!」
「訂正。自己破壊傾向あり。危険度Aに更新」
『……上がった……少し嬉しい……でも怖い……』
「めんどくさいな姉ブーツ!!」
「再訂正。情緒不安定。危険度Aマイナス」
『……下がった……つらい……セルごと削除されたい……』
「表計算に順応するな!!」
私はエクセルを見た。
逃げ道は、彼の背後にある。
通路は一本。
つまり、ここを突破しないと先へ進めない。
(最悪……)
でも止まれない。
私は拳を握った。
まだ右手には、鉱物化の感覚が残っている。
「リツ」
『……なに……?』
「走れる?」
『……え……無理……てか、やだ……』
「そこは嘘でも行けるって言って!?」
『……仕方ない……行く……』
リツの靴底が、じわりと熱を持った。
エクセル=テンプレートは、バインダーを閉じる。
その音が、妙にきれいだった。
「逃走意思を確認。これより、規定に基づき制圧します」
エクセルは眼鏡の奥で、わずかに目を細めた。
「範囲指定。A1」
その瞬間、私の足元に光る四角い枠が走った。
「え?」
床が、一マスだけ切り取られたみたいに光る。
私の右足が、その枠の内側でぴたりと止まった。
「……動かないんだけど!?」
「セル内固定です」
「人をセルに入れるな!!」
私は見えない壁をバンバンと叩いた。
『……表計算……怖い……』
「分かる!!」
私はリツを履いた足に力を込めた。
「退勤させていただきます!!」
私は右の拳を強く握り直し、光る罫線を睨みつけた。
終焉を纏う姉と、生にしがみつく妹。
今度の敵は、秩序そのものだった。
(つづく)
──【グレート・ムダ様語録:今週の心の支え】──
『結論から言う者を信用するな。
結論で終わった試しがない。
結論の後には補足が来る。
補足の後には確認が来る。
確認の後には会議が増える。
真の結論とは筋肉である。殴れ。』
解説:
「結論から言うと」で、本当に終わった会議をムダ様は知らない。
補足され、確認が入り、次回の会議が増える。
だが筋肉は迷わない。
拳は最短距離で結論に届く。
真の結論とは筋肉である。
殴れ。
なお、人事が来る可能性がある。
人事も殴れ。