コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「誰? あの人……」
「誰かの、知り合い?」
「んーん、知らない」
女の人がいた。
年の頃は16~17歳か。
子供たちかすると、充分な大人だ。
鬱蒼とした林道を背景に、畦道の縁を足裏でキュッと掴むようにして立っている。
いま思うと、それはちょうど猛禽類に似つかわしい所作だ。
止り木に爪を食い込ませ、眼下の流動を逐一に見澄ますような。
けれど、当時の私たちは、その風采にただただ見惚れるばかりだった。
心の底から美しいと思った。
神仙が依りそうな黒髪には、細流を思わせる潤みが幾条にも伝って見える。
装いのほうも淑やかで、体の凹凸を無闇に顕すものではない。
足元から立ち上る陽炎が、さながら龍の周囲を取り巻く雲のように幽玄の感を添えており、現実味をひどく曖昧なものに変じていた。
その、純朴でいてどこか霊妙な具合は、ひたすらに清楚であり、心なしか虚ろであり。
私たちはただ、彼女の佇まいに魅入られた。
「あなた達……、なにが居るか知ってるんです?その池」
「え? ザリガメ?」
「ザリ……、え? 知ってる? 知ってて、来ちゃった感じかな?」
「ん。うん…………」
「えぇ……? そっかぁ……」
こちらの面子と一言二言を取り交わした彼女は、小難しい表情で考え込む素振りをしてみせた。
特に責められている実感はないが、どうにも居心地の悪さを拭えない。
それに何より
「うあ? なんか、ヤバいの持ってんぞ………?」
幼友達の声を聞いて、意識を返す。
決して無視をする訳にはいかない事柄であったが、見ないようにしていた。気づかない振りを決め込んでいた。
やんわりと身の危険を感じた場合、人は徹底して無関心を装おうと努める生き物なのだと、私はそのとき初めて知った。
意を決し、彼女の手元を見る。
嫋やかな腕の先に、悍い見た目の庖丁刀がゆるりと吊り下げられていた。
刃長はだいた40センチほどか。
重、身幅ともに広く厚く、寸法の割りに一種の鉄塊を思わせる威容だった。
当時は知る由もなかったが、これは林道の入口で見かけた小刀と同一の品である。
「………………」
この凶器にそれとなく気を配りつつ、躙るようにして後ずさる。
無関心を決め込んでいれば、ここまで“大っぴら”な行動に出る必要もなかった。
気付かぬ振りを徹し、そそくさと立ち去ることだって出来たかも知れない。
そう考えると、先の幼なじみの浅慮もとい胆力には、ほとほと呆れ果てると共に、感嘆の念を禁じ得ないのである。
徹底して無視するのではなく、仲間内にきちんと警告をくれた。
これは偏に、先刻の軽口ではないが、近くに彼の想い人、守りたい人がいた所以だろう。
“恋路の闇”という言葉を、好んで引用する友人がいる。
まさにその通りだ。
色恋の帳は、時として人に思わぬ無茶をさせる。
「や、怖くない。怖くないから大丈夫ですよ?」
「いやいやいや……! そういうアレじゃないんで」
「や、そんな所にいると日射病になっちゃうから。ほら、こっちこっち。ね?」
気軽な仕草で手招きをくれる彼女に対し、首をブンブンと振って応じる。
ふと、専任教授の席を固辞し続けた祖父の顔が脳裏を過った。
単なる連想か。よもや走馬灯の類ではないだろう。