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#大衆食堂
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台所の土間では、カタカタと下駄の音が響いている。
「うーん、お玉には、ちょっと、大きかったっすかぁー」
虎が、歩き回っているお玉を見て、考え込んでいた。
「下駄と草履を買ってきたけど、俺っちが、甘かったっす。寸法が大きかったっすー」
「虎、これはこれで、置いときな。子供は、すぐに大きくなるからさ」
「お浜さん、じゃぁ、新しく寸法の合ったもの買えばいいっすね?」
そうゆうこと、と、お浜は、言いながら、箱膳を取り出し、皆の夕飯の支度をしていた。
「櫻子ちゃん、後の連中は、話し込んでんだ。先にあたしらは、頂いちまおう。櫻子ちゃも、ちいと休まなきゃ」
新しく揃えた調味料等を、使い勝手良く配置している櫻子へ、お浜が声をかけた。
「でも……」
「でもは、無しだぜ。櫻子ちゃん」
ドカドカと龍が台所の板間に入り込んで来た。
「おお、お玉も、ちょこまか歩くんじゃねぇ、さあ、皆、飯にしようぜ!が、虎は、後だ。親分を送くれ!」
龍は、胡座を組んで座り込む。
「へい!!」
仕事だと、虎は、お玉の見送りを受けながら、お勝手から飛びだした。
「虎ちゃーん!」
「お玉、いい子にしとけー!」
手を降りながら、虎は、人力の用意に向かった。
「あっ!奥様!お玉には、刺身を食わしたらいけねぇーすっよ!」
何か、言い含んだ様子で言うと、今度こそ姿を消した。
「あいつの妹は、ちょうど、お玉の年頃辺りに死んじまったんですよ。確か……村の祭りで、配られた巻き寿司に、当たったか何か……で、あっけなくね」
「え?龍さん、それは……」
櫻子は、思わず手を止めて、龍を見た。
「ああ、そういえば。村から出された物に、ケチは、つけられない。だから、泣き寝入りするしかなかった。医者も呼ぶ金もなくて……十分な事がしてやれなかったって、言ってたかねぇ」
驚く櫻子へ、お浜が続けて事情を語った。
「虎さん、だから、お玉ちゃんを……」
櫻子は、思う。
荒っぽい家業を行っているにも関わらず、どこか親しみやすさが滲んでいるのは、皆、心に傷があるからなのだと。
それは、金原も当てはまる。ハッキリとは言わないが、あの碧い瞳が、彼の人生にどれだけ重くのしかかっていたことか。櫻子には、到底、想像もつかない事だった。
ふと、二人して交わした、固めの盃のことを櫻子は思い出す。
自分は、金原の妻……なのだろうか。妻、と、言うべきなのだろうか。不安とは違う何かが、櫻子の胸の内を駆け巡った。
それが、何かは、分からない。でも、決して、嫌悪を感じるものではない事が、櫻子には、少しだけ不思議に思えた。
「さあ、お玉!食べる前には、手を洗うんだ!それもできないようじゃ、いっぱしの女にゃーなれないよっ!」
「あい!お浜ねえさん!」
勢い良く答えるお玉を連れて、お浜は、外の井戸へ向かった。
「だから、子供を煽ってどうすんだ」
八代が呆れながら、現れる。
「櫻子さん、社長は、赤坂へ親分と向かわれます。今夜は遅くなる。先に休むようにとのことです」
「赤坂?」
「ええ、有り体に言えば、芸者遊びですかね」
「ちょっと、待った!八代の兄貴!!確かに、赤坂には行くけどよ、これは、櫻子ちゃんのためでしょうがっ!!兄貴こそ、何を煽ってるんですかい!」
「煽ってはない。今後のこともある。櫻子さん、男の付き合いというものが、金原商店には、欠かせないんですよ。だから、あなたも、そこの所は、目をつぶってください。ああ、確かに、今夜は、珠子と義母を潰してやると、社長は、いきり立ってましたがね」
八代は、やんわりとではあるが、櫻子の役目を、言い聞かせてきた。
ただ、今回は、応接間で耳にした、櫻子の仇を取る、という物騒な話に関係があるようだった。
「……八代さん、私は、どうすれば……」
「何も考えず、何も言わず、ただ、社長を迎えればいいだけです。外に仕事へ出掛けたのですから……」
それが、金原商店が、櫻子へ望むことなのだろうと、櫻子は、理解した。とは言うものの、芸者遊びという響きに、櫻子は、小さく頷くのが精一杯だった。