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ホテルのパントリースタッフの朝は大忙しだ。

五名のスタッフがシフトを組み交代で三名ずつ出勤する。ホテルが満室で忙しい日はもう一名追加になる事もある。

この日ホテルはそれほど混んでいなかったので、楓と由美子、そして真知子(まちこ)という由美子と同年代のスタッフを加えた三名での勤務だった。


タイムカードを押してから制服に着替えた楓と由美子はパントリーへ向かう。

先に来ていた真知子に挨拶をすると、タワシで手をゴシゴシと洗ってから作業を開始した。


しばらくするとリーダーの由美子が二人に声をかける。


「今日のご飯は白ご飯と炊き込みご飯ね。あとソースカツが唐揚げに変更になったからよろしく」

「「はーい」」


楓は大きな釜に米を入れると丁寧に研ぎ始めた。

このホテルの朝食は無料サービスなので米は古米を使っている。古米は普通の米と同じように炊くと美味しくない。だから古米を炊く時には工夫が必要だ。

ここでは炊飯器のスイッチを入れる前に氷を加えていた。そうすると臭みもなく新米と同じようにふっくらと炊き上がる。

ここで働いているとこういった主婦の知恵をいくつも教えてもらえるので、母親のいない楓は嬉しかった。


「今日の味噌汁は豚汁ねー」

「じゃあ黒板のメニューを書き換えておくわ」

「サンキュー」


米を研ぎながら二人のやりとりを聞いていた楓は思わず微笑む。

ここでは誰かが声をかければすぐに返事が返ってきた。そして誰かが困っていればすぐに救いの手が差し伸べられる。

楓はこの職場のそんな雰囲気が好きだった。

朝食スタッフと言っても、ほとんどが調理済みの総菜を温め器に盛り付けるだけだった。慣れれば誰にでも出来る。

納入業者に仕入れの発注を出したり、配達された食材を運ぶのは重労働だが慣れてしまえばなんてことはない。


真知子が温めた料理を次々と器に盛り付け準備が進んでいく。

炊飯の作業を終えた楓は、茶碗やお椀、箸等の備品が不足していないかをチェックする。それからコーヒーメーカーの中身を補充する。

その奥では由美子がテーブルを一つ一つ拭いていた。


そしていよいよ朝食サービスの時間になった。


「朝食サービスの時刻になりましたのでどうぞごゆっくりお召し上がり下さい」


由美子の声と共に、並んでいた宿泊客達がぞろぞろとレストラン内に入って来た。

客達が食事を始めたのを見届けると、三人は漸く一息ついた。


パントリー内の小窓から外をチェックしながら三人は立ったままコーヒーを飲む。

飲みながら由美子が言った。


「今日は満室じゃないからそんなに混まないと思う」

「パン出し過ぎちゃったかなぁ? 結構余っちゃうかも?」

「余ったらもらって帰ればいいわよ」

「クロワッサンがいっぱい余るといいなぁ」


楓の言葉に他の二人がフフッと笑う。

その時真知子が楓の手首を見て言った。


「あれ? 楓ちゃん! 手首にアザがあるよ。どうしたの?」


楓はドキッとした。

先日のアダルトビデオの撮影時に手首を縛られたので痕が残っていたのだろう。楓は慌てて誤魔化した。


「あ、多分重い買い物袋を提げた時の痕がついちゃったのかも」

「あ、なーんだ。それなら心配ないわねー」


真知子と由美子が笑顔で頷いたので楓はホッとする。


コーヒーを飲み終えた三人は、その後も料理の追加をしたり食べ終わった皿を回収していく。

汚れた皿はすぐに業務用の食洗器へ入れどんどん洗っていった。

近ごろは海外からの旅行客も多く、食器返却の際には「thank you」と声をかけられる事も多い。

スタッフ三人は常に笑顔で対応しつつ、徐々に後片付けを始めた。


パントリーの仕事が終わると、楓は由美子と真知子に挨拶をしてから今度は客室清掃の仕事へ向かった。


清掃の仕事は13時に終わり、この日楓の仕事は全て終わった。


清掃スタッフは楓と同年代の若い女性が多いので、仕事終わりのロッカールームは賑やかだ。

楓は顔見知りのスタッフと少し世間話をした後、ホテルの通用口から表に出た。


楓が歩き始めるとポケットの中でスマホがブーッブーッと震えた。歩きながら楓はメッセージを見る。

メッセージは兄の良からだった。


【2本目の出演料はもう出た? 出てたら振り込みを早めに頼む!】


メッセージを見た楓は思わず眉をしかめる。兄の良からメッセージが来る時はほとんどが金の催促だった。

楓は重いため息をつくと返事をしないままスマホをポケットへ戻した。



その時楓の後ろを不審な男が歩いていた。

男はジーンズに黒のウィンドブレーカーを着て小太り。ヘアスタイルは目にかかるうっとおしい髪で顔は少しニヤけている。

男は楓の後ろ姿をじっと見つめながら7~8メートルの距離を取り楓の後を追っていた。


楓が住宅街へ入る道を曲がると男も同じように曲がった。そしてあと100メートルほど進めば楓のアパートがあるという地点で、男は突然肩を強く掴まれた。

驚いた男は咄嗟に声を出す。


「何するんだっ、コノヤローッ」


吐き捨てるように言った男は自分の肩を掴んでいる男を見上げた。その瞬間男の瞳は刺すような鋭い視線とぶつかり途端に男は口ごもってしまう。


男の肩を掴んでいたのは一樹だった。


「兄さんよぉ、ストーカー行為なんてあんまりよろしくないぜ? このご時世簡単におナワになっちまうぞ?」


そう言って一樹はニヤリと笑う。

一樹のその笑みを見た男はかなり動揺していたが、ここで弱気になれば負けると思ったのか一樹に対して強気で言い返した。


「おっ、俺は別にストーカーなんてしてないぞっ」

「へぇ、しらばっくれるんだ? じゃあこれは何だ?」


一樹は手にしたスマホで今撮影したばかりの動画を再生する。

そこには男がホテルの通用口をうかがいながら立っている様子や、楓が出て来た後、あとをついていく様子が全て映っていた。


「こっ……これは……」


そこで一樹は少し震えている男の左手をチラリと見る。


「ふぅん、兄さん結婚してるんだ。だったら余計にマズいんじゃないの?」

「べっ、別にっ……俺は何もしちゃいないし……」


そこで一樹は空を見上げながらワイシャツのボタンをいくつか外すと気だるげに襟元をグイッと広げた。その時男には一樹の左肩にある刺青が目に入った。その瞬間男の顔からはサーッと血の気が失せていった。


「すっ、すみませんっ……もうしませんっ……」

「二度としないって約束するか?」

「しっ、しませんっ、神に誓います…だから勘弁して下さいっ!!!」

「一つ聞くが、お前はあの子の動画を観たのか?」

「はっ…はいっ……今日たまたまあのホテルに泊まったら動画の子がいたのでびっくりして…それで……」

「それで気になって後をつけた?」


そこで一樹は男の胸ぐらを激しく掴んだ。


「ひぃっっ……もうしませんっ、絶対にしませんからっ!!!」

「当たり前だ! それとなぁ、あの子があのホテルで働いている事は誰にも言うなよ」

「ぜ、絶対に言いませんっっ!!!」

「もし言ったら地の果てまでもお前を追いかけて行くからな」

「ヒィッ! 絶対に言いませんからっっ!!!」

「なら行けっ!」


一樹が男を離した瞬間男は激しくよろめいた。しかしすぐに逃げるようにその場を後にした。

あまりの慌てぶりに男は途中転びそうになりながら走って行く。そんな滑稽な後ろ姿を見ていた一樹の傍に、一台の黒塗りのミニバンが停まった。運転席にはヤスがいた。


「終わりましたか?」

「ああ」


一樹が後部座席に乗ると、車は住宅街の中を走り抜けて行った。

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