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5
「うむ。せっかくだから妹に会っていこうと思う」
エスカリオを出発したリチャードは、
海路を南へと進んでいた。
目指すは、シチリン王国。
聖地への遠征の途中でありながら、
彼は寄り道を選んだ。
理由は単純だった。
妹――ジェーンに会うためである。
「王子、本当に向かわれるのですか」
側近が困ったように尋ねる。
「十字軍の途上です。各国の使者も待っておりますが……」
「構わぬ」
リチャードは笑った。
「どうせ皆、勝手に遅れる」
「ならば私も少しくらい好きに動く」
その気まぐれさに、
家臣たちは頭を抱える。
だが同時に、
彼が誰より大胆で、
誰より人を惹きつける男であることも理解していた。
潮風が赤い外套を揺らす。
リチャードは船縁にもたれ、
遠く水平線を見つめた。
「ジェーンは怒っているかな」
「……は?」
「幼い頃、“必ず帰る”と言ったまま、
何年も会っておらん」
「王族とはそういうものかと」
「つまらん答えだ」
リチャードは肩をすくめる。
「私は家族くらい、
好きに会いに行ける王でいたい」
その言葉に、
家臣たちは静かに顔を見合わせた。
豪胆。
傲慢。
気分屋。
だが時折、
妙に人間臭い。
それが、
後に“ライオンのようだ”と呼ばれる男だった。
上陸後、
リチャードは色を失った。
港は異様な空気に包まれていた。
兵たちは怯えたように目を逸らし、
役人たちは誰も彼と視線を合わせようとしない。
嫌な予感がした。
「説明しろ」
低い声だった。
現地の役人は震えながら膝をつく。
「ジェーン王女は……
現在、修道院へ移されております」
「……は?」
一瞬、
空気が凍った。
リチャードの目から、
感情が抜け落ちる。
「修道院に幽閉されてるとな。なぜだ?」
「そ、それは……王位継承の混乱となる恐れのため……」
「グリエルモはどこにおる?」
「……亡くなられました」
その瞬間、
リチャードのこめかみに血管が浮かぶ。
「死んだ?」
役人は顔を伏せた。
「先王崩御の後、王国は混乱しております……」
「諸侯は王女ではなく、タンクレーディ卿を新たな王に――」
「タンクレーディとはどいつだ」
声が低い。
だが、
その場の誰もが分かった。
今、この男は激怒している。
リチャードはゆっくり階段を降りる。
鎧が鳴る。
「妹を修道院へ押し込み、王位を奪ったと?」
誰も答えられない。
「なるほど」
リチャードは笑った。
だが、
その笑みには温度がなかった。
「上陸早々、ずいぶん面白い歓迎をしてくれる」
背後で、
エスカリオお付きのの騎士たちが静かに武器へ手を伸ばす。
彼らは知っていた。
この男は、
身内に手を出された時だけは、
絶対に笑って済ませない。
「母が、まもなく我が妻となるベレンガリアを伴ってここへ来られる」
リチャードは港町の惨状を見渡しながら、
静かに吐き捨てた。
「……なんと言えばよいのか」
妹は修道院へ追いやられ、
王は死に、
王位は簒奪された。
その上で、
婚礼の一行を迎えねばならない。
あまりにも最悪だった。
側近たちも言葉を失っていた。
だが、
リチャードは突然笑った。
「まあよい」
その笑みは、
いつもの豪快なものだった。
だが、
長年仕えた者たちには分かる。
あれは危険な時の笑いだ。
「タンクレーディとやらは、どこにおる?」
誰も即答できない。
「私は礼儀を重んじる男だ」
「挨拶に行かねばなるまい」
その一言に、
空気が張り詰めた。
「殿下……」
「相手は現在のシチリン王です。ここで事を荒立てれば――」
「荒立てる?」
リチャードは怪訝そうに眉をひそめる。
「私はただ、妹を修道院へ押し込んだ男へ、礼儀を尽くそうとしているだけだ」
その場の誰もが、
その“礼儀”が何を意味するのか理解していた。
リチャードはゆっくり剣帯を締め直す。
「安心しろ」
「まだ殺すとは言っておらん」
まだ――。
その言葉に、
騎士たちは静かに息を呑んだ。
シチリン王国にとって重要な港――マッシーナは、
その日のうちに、
リチャードによって落とされた。
港は完全に制圧され、
赤い獅子旗が城壁へ掲げられる。
その報せを受けたタンクレーディは、
蒼白な顔のまま、
リチャードの前へ現れた。
「こ、これは誤解なのです……!」
「ジェーン王女を害する意図などなく、
王国の混乱を避けるためで――」
「混乱?」
リチャードは椅子へ深く腰掛けたまま、
冷ややかに笑った。
「妹を修道院へ押し込むことが、
貴様らの言う“混乱回避”か」
タンクレーディは何も言えない。
額から汗が流れ落ちる。
玉座の間には、
エスカリオ騎士団が無言で立っていた。
誰もが理解している。
もしリチャードが望めば、
この場で王国そのものが終わる。
「……ジェーン王女は、即日解放いたします」
「当然だ」
「さらに……シチリン王国より、遠征軍への支援金を――」
「足らぬ」
リチャードは即答した。
その一言で、
タンクレーディの顔色がさらに悪くなる。
結局、
シチリン王国は莫大な賠償金と補給支援を背負わされることとなった。
だが、
命が残っただけ幸運だった。
数日後――
港には再び華やかな旗が並んでいた。
リチャードの母、
そして婚約者ベレンガリアを乗せた船団が到着したのである。
ベレンガリアが桟橋へ降り立つと、
リチャードは先ほどまでの冷酷さが嘘のように笑った。
「遅かったな」
「あなたがまた騒ぎを起こしたと聞きました」
「少し挨拶しただけだ」
周囲の騎士たちは、
誰一人その言葉を信じなかった。
宴の夜。
海風の吹くマッシーナ港で、
リチャードは杯を掲げる。
「来年の春には――」
その青い瞳が、
遥か東を見据える。
「聖地エルガルドで婚礼を挙げてみせる」
兵たちが歓声を上げた。
無謀。
傲慢。
だが、
不思議と誰もが信じてしまう。
この男なら、
本当にやりかねないと。
そして獅子は、
聖地へと向かう
「ジェーンとベレンガリアはどこにおる?」
シチリン等を出港して2日、
艦隊はひどい嵐に見舞われた
「船は破損され、この近くの島に流れ着いている可能性が…」
「探し出すのだ」
ケプロス島に、
どうやら妹とベレンガリアの船が流れ着いたらしい。
その報せを聞いた時、
リチャードは珍しく安堵の表情を見せた。
「無事か……」
嵐の報告を受けた時は、
さすがの獅子も顔色を変えていた。
すぐに彼は、
ケプロス島を支配する太守――イサキオスへ使者を送る。
漂着した船団と人員の保護。
そして捜索協力を求めたのである。
だが、
数日後に返ってきた返答は、
リチャードの表情を完全に消し飛ばした。
「当方で取り調べ中である」
「積荷その他は、取り調べが終わるまで返却はできぬ」
沈黙。
側近たちは、
誰一人声を出せなかった。
なぜなら、
船には遠征用の莫大な軍資金が積まれていたからだ。
黄金。
銀。
武具。
補給物資。
十字軍そのものを支える財産。
イサキオスは、
その金に目がくらんだのである。
リチャードは、
返書を最後まで読むと、
静かに立ち上がった。
「……なるほど」
声は穏やかだった。
だが、
それが最も危険な状態だと、
周囲は知っていた。
「我が妹を拘束し、婚約者を怯えさせ、
挙句、軍資金に手を出したか」
彼はゆっくり剣を抜く。
「面白い」
その笑みを見た瞬間、
騎士たちは理解した。
ケプロス島は終わった、と。
その後の進軍は、
まさに嵐だった。
港を焼き払い、
要塞を突破し、
逃げる兵を騎兵が踏み潰す。
リチャード自身が先頭で突撃し、
防衛線を次々と粉砕していく。
あまりの速さに、
島側は連携する暇すらなかった。
そして――
わずか五日後。
ケプロス島全土は、
リチャードの軍門に降った。
捕縛されたイサキオスは、
縄を掛けられたまま引き出される。
「ま、待て……話せば分かる……!」
リチャードは冷ややかに見下ろした。
「安心しろ」
「私は礼儀を重んじる男だ」
どこかで聞いた台詞だった。
「貴様は殺さん」
その直後、
イサキオスは銀の鎖で拘束された。
“鉄鎖では縛るな”という、
彼自身の願いを、
リチャードは妙に律儀に守ってやったのである。
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