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食堂を閉めた後、交代で食事をとる。
賄と称して残ったものを食べ、それでも残ったものはタッパーに詰めて持ち帰る。タッパー一つにつき一律五百円。
私以外は家族がいるので、タッパー二つや三つを当たり前に持ち帰るが、毎日はさすがに飽きるので、廃棄されてしまう料理はどうしてもある。
「数量限定には出来ないの?」
私とあきらさんは、私たち専用のトレイに総菜を盛り付け、隅っこのテーブルで向かい合った。
「打合せなどにいらしたお客様がご利用されることも多いので、絶対に不足は出さないようにと言われていまして」
「なるほど」
「なので、どうしても廃棄は出てしまうんです」
「勿体ないけど、飲食業では仕方ないのかな」
前々から考えていた。
どうにかして廃棄を減らせないかと。
石谷さんが言うには、だいぶ前は従業員が残った総菜を勝手に持ち帰っていたという。
規則も監視の目も緩く、『どうせ捨てるんだから』と誰も問題視していなかったらしい。が、そのうちに、従業員が持ち帰りたい総菜を開店前にタッパーに詰めるようになった。
当然、その総菜の不足が出て、食堂の利用者から不満の声が寄せられるようになる。そうして、管理体制が見直され、従業員による持ち帰りは禁止となった。
その当時の廃棄量は今とは比較にならないほどだったらしい。
私が入社して、食堂の改装が行われた時、予約と注文システムの導入を許され、ついでに残った総菜を従業員が一定額で買い上げることを許してもらった。
システムの導入の甲斐があって、作った総菜のおおよその量と、注文数から割り出されるおおよその消費量が数値で表示されるようになり、最終的に従業員同士が買い上げるタッパーの中身を確認することで、不正は防止できている。
私としては食堂で働く仲間を疑う気持ちはないが、前例があったために不正がないことを報告しなければならない。
そうして、なんとかして廃棄を減らそうとしているものの、食堂の評判が上がるほど外部の利用者が増え、それに備えると廃棄量は減らなかった。
食事を終えた私は、悶々とした気持ちで彪さんの待つデスクに向かった。
「お疲れ様です」
「お疲れ」
彪さんは机の上の資料をまとめ、ノートパソコンを閉じた。
「急遽、これから会議に入るから」
「はい」
食堂で聞いた、前倒しになった会議のことだろう。
「あの、部長はお昼ご飯は食べましたか?」
「え? あ、いや。時間がなくて」
珍しく雑然とした彼の机からも、忙しくて大変だったことは明らか。
私はバッグからおにぎりを取り出すと、差し出した。
「どうぞ」
「え? あ、ありがとう」
もしかしたらと思って握ってきて良かった。
彪さんは腕時計に目をやり、立ち上がった。
「柳田さん。今日の作業の指示をしたいんだけど、これ食べながらでもいいかな」
「はい」
私は彪さんの後に続き、再び食堂の階に戻って来た。
彪さんに言われて、自動販売機でお茶を二本買う。
空いているミーティングブースを探している彼に、私は言った。
「食堂で食べませんか。まだ、みんな後片付けで残っていますが」
「いいの?」
「大丈夫です」
食堂に戻ると、石谷さんと他二人が食事をしていた。
他の二人は後片付けをしている。
「お疲れ様です。端の席をお借りしていいですか」
「どーぞ、どーぞ」と、みんながにこやかに言った。
「すみません。お邪魔します」
彪さんがペコッと頭を下げた。
彪さんは席に着くとすぐにおにぎりの包みを開いた。
「部長さんも会議? お昼食べ損ねたの」
「ほうなんれす」と、彪さんが頬を膨らませながら石谷さんに言った。
「今日はみんな大忙しだねぇ」
「みんな?」
「会議の前倒しでゆっくりお昼ご飯を食べる時間もなかったようで、大半の社員さんは麺類を注文していました」
「お陰で、米や総菜が大量に余っちゃって」と、石谷さんがため息をつく。
「あ、やなちゃん今日はどうする? タッパーに詰めてある?」
「いえ。あきらさんにお願いしてあります」
「りょうかーい」
石谷さんたちは食事を終え、キッチンに戻って行った。
「そんなに余ったの?」
「はい……」
「あ、部長さん! 時間があるならおかず出すよー」
キッチンから石谷さんが言った。
「会議中に眠くなると困るので。ありがとうございます」
彪さんが少し大きな声で言った。
それから、今度は少し前屈みになって小声で言った。
「明日の朝食べてもいいから、大目に買っておいて」
私はこくんと頷いた。
食堂の残り物ばかり食べてもらうのは、私が家政婦としての仕事を手抜きしているようで申し訳ないのだが、どうしても勿体ない精神が先になって、週に二、三日は総菜になってしまっていた。
「けど、あんまり廃棄が多いのも問題だよなぁ」
「はい。私たちのように、残った総菜をタッパーに詰めて販売できたりしたら、少しは廃棄も減ると思うのですが……」
「……いいんじゃない?」
「はい?」
「それ、いいよ! 廃棄も減って増収にもなる」
「ですが――」
「――今、全社的に、より一層のコスト削減について話し合われてるんだ。本社《うち》でも、各部にコスト削減案の提出を求めているし。総務部は情報のメール発信一本化で、コピー用紙とペーパーゴミの削減案を提出してたはず。けど、現実的には、メールで知らせても見逃したり結局印刷したりで、効果はあまり見込めなくてね。訂正案を提出するように頼んでるんだ。だから、残った総菜を弁当として販売できないか、総務部長と話してみないか。いや、あの部長なら二つ返事で椿に丸投げしてきそうだな」
おにぎりを食べるのも忘れて、彪さんは捲し立てる。
「椿。今日の作業は後回しでいいから、今の案を詰めてくれないか。社食課のみんなにも聞き取り調査とか必要だろうから、その項目なんかも書き出して」
社食課ではなく給食運営課であると訂正しようかと思ったが、忙しなくお茶で口の中のものを流し込み、立ち上がった彼を見て、やめた。
「じゃあ、俺行くから。あと、頼む」
「はい。行ってらっしゃいませ」
「すいませーん。お邪魔しましたー」
言い終わるか終わらないかで、彪さんは食堂を出て行った。
「あら、もう行っちゃったの?」と、石谷さん。
「はい。私も戻ります」
「はいはーい。また明日ねー、椿ちゃん」
「……え?」
私はいつも皆さんから『やなちゃん』と呼ばれている。
『椿ちゃん』と呼ばれたのは初めてだ。
見ると、キッチンから皆さんが私を見て、何やら頬を緩ませている。
「椿ちゃんは部長さんのこと、なんて呼んでるの?」
「どういう……――っ!」
何ということだろう。
すぐには気がつかなかったが、さっき、彪さんは会話の中で私のことを『椿』と呼んだ。
二回も。
「――ちっ! 違います! 誤解です! 私と彪さんは、皆さんのご想像のような関係では――」
「――柳田さん!」
あきらさんがキッチンから飛び出してきて、私と皆さんの視線の間に立った。
「そんなに全力で否定するのは、是枝さんが可哀想だと思う。彼は、本当に柳田さんが好きだと思うから」
「でっ、ですが――」
「――是枝部長は柳田さんに、沽券の心配より気持ちを大切にしてもらいたいんじゃないかな」
「気持ち……」
『条件とか状況じゃなく、気持ちで答えて欲しい』
彪さんの言葉を思い出す。
彼はいつも、正面から私を受け止めてくれる。
思い込みや暴走しがちな私を諫め、諭してくれる。
その彼が私に好意を抱いてくれている。
あきらさんの言う通り、その気持ちを私が否定するのは彪さんに失礼だ。
「あのっ……」
私は顔を上げ、あきらさんの肩越しにキッチンの皆さんに言った。
「是枝部長とは親しくさせていただいておりますが、恋人関係ではありません。なので――」
「――やなちゃん、真面目過ぎ! いいじゃない。素敵な男に愛されてますー、って自慢しちゃえば。私も三十年前はいい男をとっかえひっかえしてたわぁ」
石谷さんがケラケラと笑う。
とっかえひっかえ……!
いわゆる肝っ玉母ちゃん風の石谷さんは、もうすぐお孫さんが生まれる。
そんな石谷さんの男性遍歴に、私は驚きを隠せない。
「石谷さん! やなちゃんが本気にしちゃってるじゃない」
と、石谷さんの背後から声。
「冗談よ! けど、やなちゃんは若くて可愛いんだから、それくらい遊んでもいいのよってハ・ナ・シ!」
「そんな! 遊びだなんて滅相もない! 私は真剣に彪さんと向き合って――」
「――そんなにムキにならなくても大丈夫よ! 私たちは言いふらしたりしないから」
茶目っ気たっぷりにそう言うと、石谷さんは笑いながらキッチンに引っ込んだ。
「柳田さん。私はこの職場では日が浅いけど、皆さんがあなたをとても信頼して可愛がっているのはよくわかるわ。だから、大丈夫。皆さん、柳田さんの幸せを願っているんだと思う」
あきらさんが穏やかに微笑む。
谷さんがあきらさんを見初めた理由が、よくわかる気がした。