少し前に新調したばかりの手帳の空きページへ『はぐれ魔導師、虎が猫』と走り書きしてから、ケヴィンは顎を撫でて「これは、面白い」と呟いた。
「この冒険譚は子供達にとても人気があるので、学舎には初版の物もあります。一度、読まれると良いでしょう」
「まあ、是非ともお借りしたいわ」
すぐにお送りしますと約束をして、それもまた忘れないようにと手帳に書き記す。
慣れ親しんでいた物語に登場する虎が、実は別の生き物だったらなんて、これまで一度も考えたことは無かった。そしてそれが、迷い人の転移に関わっている可能性のある聖獣だとしたら、なんて。
「こちらに伺う度に、新たな説が溢れ出てきますね」
物語の真相については、ベルの父であるジーク・グラン卿自身に確認するのが一番だが、彼から聞き取って物語に書き留めた作家にも話を聞きたいところだ。刊行されて30年弱だし、まだ健在なことを祈るばかりだ。
「ところで、先日に伺った、転移時の状況についてなのですが」
以前の来館時に、葉月はケヴィンへは猫の存在は伏せて話をしていた。自室にいきなり現れた光の塊に触れた途端、森の中に転移していたとだけを明かした。その光を出した可能性のあるのが猫で、その子もまた一緒にこちらの世界に居るということまでは話してはいない。
愛猫のことは彼が本当に信頼できると判断できた上で、くー自身が姿を現す時までは伏せると決めていた。万が一にも、保護という名目で拘束を受けたり、単なる見世物にされたりということが無いように。
「転移の際、近くに何かいませんでしたか?」
「えっと、それは……」
「葉月殿の世界には、梟や猫は?」
ケヴィンは実在する可能性のある聖獣の二種類に絞り込んでいるようだった。それ以外の聖獣は経典に載っているだけの架空の生き物だという考えだった。
「どちらもいます。野生のも、飼われている物も」
野生の梟はさすがに見たことが無く、動物園などで見かけた程度。何なら梟とミミズクの違いすら葉月には分からない。
でも、猫も梟も幻の獣扱いはされていないし、猫なら野良猫や地域猫が外を出歩いているのをよく見かけるくらいだと話すと、ケヴィンだけでなくベルも驚いているようだった。
「では、近くに猫が居た可能性は高そうですね」
彼としては魔法が届く距離に居たのではというつもりみたいだが、思い切り一緒にベッドで寝てました、とも言えず、葉月は微妙な顔でベルの方を向いた。どこまで話して良いのか、段々分からなくなってくる。
「ただ、私の世界の猫は魔法は使いませんし、翼も生えてないんです」
「何と?!」
家の外をたくさんの猫達が翼を羽ばたかせて飛んでいる光景を想像していた研究者。思わず頭が混乱しそうになるのを、お茶を飲んで落ち着かせてみる。来た時に淹れてもらったお茶はすっかり冷めていた。
「猫といっても、全くの別物なのか……」
いや、くーに関しては別ではなかったけれど、と葉月はそっと天井を見上げた。人見知りの猫は今日もまた部屋に籠っているのか、姿を見せないつもりのようだ。
猫の翼に関しては、初めて出会った時にベルが言っていた「魔力が戻ったからとかかしら?」という言葉で葉月は何となく納得していた。魔法には無縁だった葉月がこちらに来たら使えるようになっているのだから、世界が変われば力や姿は多少変化があるものなのかもと。
しきりに顎を撫でて、ケヴィンは眉を寄せて唸っていた。こちらの聖獣があちらに紛れ込んでいるのか? それは一体、何の為に? と。
もはやここまでくると、迷い人というよりも聖獣の研究に切り替えた方が良いのではとすら思えてくる。
彼の本題とする迷い人の研究は、葉月からの聞き取りで随分と進歩したように思う。謎に満ちた祖先の生活や文化については、彼女の知識の範囲内だったがいろいろと知ることができた。
だが、彼らのような迷い人が発生する原因として考えられる聖獣の謎はまだ解明できていない。この謎を解かないことには、目の前に座る少女を元の世界に戻してあげることは難しい。
しばらく考えあぐねいた末に、ケヴィンは「うん!」と力強く頷いて顔を上げた。
「聖獣の研究者に協力を仰ぎましょう」
「あてはあるのですか?」
「いえ……ですが、王都には何人かいるということは聞いたことがあります」
シュコールとは違って距離があるので、長期の休暇を貰わないといけないな、と少し困ったように笑いながら頭を掻いた。
「王都、ですか」
「ああ、あちらにはご両親がいらっしゃるんでしたね」
「ええ。なので、まずは父に一度伺ってみましょう」
そう何度も先生が休みを取られると子供達が可哀そうです、と微笑んでみせた。学舎の子供達から学びの機会を奪い続ける訳にはいかない。
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