テラーノベル
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5
朝、だった。
僕は右手を天井へ向かって伸ばしたまま、ゆっくりと瞼を開いた。
「君は、いったい何者なんだい?」
宙に向かって、言葉を続ける。
あの黒い影には見覚えだけではなく、懐かしさも同時に感じられた。
懐かしい、と感じるほどには昔の話。
或いはもしかしたら、物心がつく以前に……?
わからない。
僕は伸ばした腕をすっと戻して、髪をくしゃくしゃとかきむしる。
僕は、間違いなくあの影を知っている。
あれは――あれは――いったい――
……だめだ。全然思い出せない。
しかたがない。思い出せないものを無理に思い出そうとしたって時間の無駄だ。
僕は時計に目をやり、そして焦る。
登校時刻はとっくに過ぎて、そろそろ昼に差し掛かろうとしているじゃないか。
しまった、遅刻だ!
どうして茜さんも真帆ねえの起こしてくれなかったんだろう、と布団から飛び起きたところで、ふとカレンダーが目に入った。
「あぁ、土曜日か……」
胸を撫で下ろして、思わず安堵の溜息をもらす。
布団を畳んで服を着替えながら、それでもやっぱり違和感を覚えたのはいうまでもない。
だとして、どうして誰も僕を起こしに来なかったのだろうか。
うちは、みんなが揃ってから朝ごはんを食べている。
だから、例え土曜日や日曜日、祝日であってもそれまでにも起きているし、寝坊しても起こしにきてくれるのだけれど。
その時だった。
魔法堂のある母屋の方から、茜さんとシモハライさんの声が聞こえてきたのである。
なんだろう、と耳を澄ませてみても、別に叫んでいるというほどではないので聞き取ることが全くできない。
階段を降り、中庭を抜けて母屋に入れば、
「――真帆さん! ここ開けて!」
「真帆! どうした? なにかあるんなら、教えてくれよ!」
そんな声が奥のほうから聞こえてきたのだ。
カウンターを抜けて暖簾をくぐり、真帆ねえの部屋に向かってみれば、ドアの前で焦った様子の茜さんとシモハライさんの姿があった。
「……どうしたの? 真帆ねえ、なんかあったの?」
訊ねれば、ふたりは顔を見合わせて、
「真帆さん、朝からずっと部屋に閉じこもっちゃって」
「どうしたのかって聞いてるのに、全然教えてくれないんだ」
それからシモハライさんはもう一度、真帆ねえの扉をトントン叩いて、
「真帆! とりあえず話をしよう。な? どうしたのか教えてくれよ」
その声に、ドアの向こう側から小さな声が聞こえてくる。
「……しばらく放っておいてください。何度もそういってるじゃないですか」
力ない、本当に弱々しい声だった。
茜さんも眉をひそめながら、
「だけど真帆さん、ひとりで悩んでたって解決しないでしょ?」
「……解決なんて望んでいません。お願いですから、ひとりにしてください」
それに対して、茜さんは大きなため息を吐いてから、
「わかった。じゃぁ、せめて朝ごはんだけでもちゃんと食べようよ。あたし、運んでくるからさ。だから、ここを開けて」
「私のことは、気にしないでください。お腹、空いていませんので」
「そういわないでさ。無理して食べろとまではいわないけど、少しくらい食べないと、お腹に赤ちゃんもいるんだし……」
「……」
無言。
僕は茜さんやシモハライさんを軽く押しのけてドアの前に立つ。
トントン、と軽くドアを叩いてから、
「真帆ねえ」
するとドアの向こうから息を飲むような音が聞こえて。
「――カケルくん」
「ねぇ、真帆ねえ。ちょっとだけ、いい?」
「……なんですか?」
「ちょっとだけ、話をしない?」
「……」
「茜さんもシモハライさんも抜きで、僕とふたりだけで。ダメかな」
「……どうして?」
「ひとりは、寂しいでしょ?」
「……私は、大丈夫ですから」
「僕が寂しんだよ、真帆ねえ」
「……カケルくんが?」
「うん」
「……本当に?」
「当たり前でしょ」
それからしばらく、ドアの向こうで衣擦れ音のような音が聞こえて。
「……わかりました」
「ありがとう、真帆ねえ」
ということで、僕は茜さんとシモハライさんに身体を向けて、
「ふたりはリビングで待ってて」
「え、いや、でも――」
いい淀むシモハライさんに、茜さんはその背中を押しながら、
「はいはい! あとはカケルくんに任せて! あたしたちはあっちでのんびり朝ごはんでも食べてましょう!」
「いや、あぁ、うん。わかった……」
渋々といった様子で、シモハライさんはリビングの方へと足を向けた。
その去り際、シモハライさんの後ろを歩いていた茜さんがくるりと振り向き、
「それじゃ、お願いね、カケルくん!」
ぱちりとひとつ、ウィンクして見せたのだった。
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