「おっと、驚ろかしちまったか、新《あらた》だよ」
西門にいたのだが、猫の大群が、やって来て、もしや、橘の策かと、正門へ移ってきた。
と、言うより、実は移らなければならないほど、猫が押し寄せて来たらしく、致し方なく、というのが、本当の所らしい。
今も、猫は、列を作り、屋敷の周りに居座って、下手に近付くと、威嚇してくるのだそうだ。
「いや、牛の野郎とも、組んでるようでなあ、近寄ると、フゥー、モオー、だぞ。あの、猫は、なんなんだい?」
「あー、まあ、助っ人、みたいなもので、今のところは、守恵子様が、お相手しておりまして、その、順番待ちも兼ねているのではないでしょうか?」
「順番待ち?はあ?よくわからん話しだなぁ」
「それは、新殿、私もです。そして、この騒ぎは……」
橘は、相変わらず、髭モジャを責め続け、紗奈《さな》にも、食ってかかっている。
野次馬が発するヤジは、更に、勢い付いて、あれやこれやと、各々好き勝手に口走っていた。
そこへ……。
「ちょいと、橘さん、紗奈をそう責めてやるのは酷だよ!紗奈は、騙されたんだから!」
「そうそう、ちゃんと、あたしらが、お灸すえといたから、そろそろ、紗奈は、許してやんなよ」
「髭モジャが、適当な事を言って、一緒になろうって、紗奈ちゃんを連れ出したんだよ!駆け落ちするだかなんだか、言い含めてさぁ。紗奈ちゃんのこと、女房だの、どうだの、言いやがって」
「あのままなら、紗奈ちゃんは、売られてたのが、落ちだわ」
「ああ、あたしらが、責めたら、しれっと、髭モジャのやつは、逃げやがったんだよ!」
何故か、荷置き場の賄いおばちゃん達が、集団で、やって来た。
「お、女将さんたち……」
予想外のおばちゃん登場と、その、まくし立てる様子に、橘も、一瞬、勢いが、止まった。
「橘さん、紗奈は、許してやんな、まだまだ、男って、もんを知らないんだから」
おばちゃん達は、口々に、紗奈を庇い、仲裁に入っているのか、邪魔をしているのか、わからないほど、野次馬以上に、場を引っ掻きまわし始める。
「なんでぇ、髭モジャ、悪党じゃあねぇか!」
「うわっ、紗奈ちゃんを売り飛ばすために、声かけたのか?!」
と、ついでに、話も、どんどんあらぬ方向へ、進んで行った。
「こりゃ、潮時、ってもんだが、さて、まさかの、おばちゃん達登場ではなぁ」
と、渋い顔をする新の横で、常春が、はぁ、と、息を付き、
「まあ、仕方ありませんね」
いつもの事のことだ、とかなんとか、自分に言い聞かせながら、渦中のど真ん中へ、突き進んで行く。
「へえー、度胸あるねぇ、おばちゃん達相手にするとはなぁ」
新は、たまげたとばかりに、ひゅーと、口笛を吹く。
「おばちゃん達、この度は、妹が、またもや、お手数をおかけいたしまして」
歩み出た、常春は、集まる皆へ向けて、頭を下げた。
「紗奈、お前に隙があるから、このような騒ぎになるんだ!」
続いて、妹を責める。
「あれ、誰かと思ったら、長良《ながら》じゃないかい!いや、しばらく、見ないうちに、立派になって!」
「子供の頃から、変わらないねぇ、その、律儀な所。でもさぁ、紗奈ちゃんを責めてやりなさんな」
「ああ、そうさ、紗奈は、髭モジャに、騙されたんだから」
結局、どうあれ、皆の中では、髭モジャが悪人になっているようで……。
「とにかく、橘様も、髭モジャ殿も、続きは、内で。ここでは、人の目に付き過ぎますから」
常春の提案に、おお、そうじゃ!と、髭モジャが、嬉しげに乗っかった。
とたんに、橘が叫び、続いて髭モジャの、女房殿ーと、情けない声がする。
「では、お騒がせいたしました。紗奈、行くぞ」
常春は、これ以上の騒ぎは、迷惑千万とばかりに、当事者達を屋敷の中へ誘った。
「あっちょっと!牛は、どうする!」
門を潜ろうとしている、一行に、野次馬が声をかけてくる。
「猫が、観ていてくれるでしょう」
「はあ?猫?」
「おいおい!猫だぜ!」
「ちょいと!向こうからも、猫が、やって来てるよ!」
なんだなんだと、野次馬の気は、集まって来る猫へと向けられていく。
「さっ、今の内に新殿も、此方へ」
常春の囁きに、新は頷き、門の内側へ滑り込んだ。
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