テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
ミケイラ
#ギャグ・コメディ
見渡す限り続く山。視界を覆い尽くす緑。
美しい景色のはずだが、今の俺には地獄の光景にしか見えない。景色を楽しむ余裕なんて一ミリもなく、ただただ肩で息をしていた。
「……ハァハァ……おかしいだろ。なんで俺がこんな山道を……」
前世で一番辛かった真夏の引っ越し作業。足がフラフラになり、目がチカチカして倒れそうだった記憶を呼び戻す。
(あの時よりも辛い……)
フラつきながらも何とか足を進める俺の前に、元気そうに歩くサフランがいた。
「行くよ、ユウト!」
彼女は息一つ乱さず、軽い足取りで近所を散歩するかのように前を歩く。
腰には彼女の華奢な体には不釣り合いな大剣が下がっている。
(歩き始めて三時間もたつんだぞ……? 疲れないのかよ)
足元を見ると、ズボンの裾が砂で汚れているのが見えた。
ガクガクする足を何とか動かし、サフランに着いていく。彼女は俺の状況に反してピンピンしていた。
「ユウト! 小型龍、いたよ!」
サフランの指差す方を見ると、岩陰からひょこっと小型龍が顔を出した。そしてギロリとこちらを睨んだ瞬間、目の色が変わった。
全身を刺す殺気。
体の奥底までビリビリと伝わってくる。
「これ……明らかに危険作業の範囲超えてるだろ。親父さんに追加請求確定っすね」
目の前で対峙すると小型龍とは言えかなりの体格差だ。俺の軽く三倍はある。
その瞬間、小型龍が地面を蹴り、距離を縮めてきた。
「サフラン!」
彼女の方に向かった小型龍は、鋭い爪で襲いかかってきた。
ザンッ!
切り裂いた、と思ったが、サフランは目にも止まらぬ速さで回避し、即座に懐へ潜り込んだ。
「羽みたいに体が軽い……!!」
彼女は剣を抜くと、小型龍相手に剣をふるった。小型龍の堅い鱗が引き裂かれていく。
つい先ほどまで、くしゃみを繰り返していた彼女とは大違いだ。
(掃除しただけで、こんなに動けるようになるもんなのか……?)
小型龍はサフランの剣技によって追い詰められていく。だが小型龍も諦めていないようだ。
こちらをギロリと睨んだ後、口から真っ黒なブレスを吐き出した。
「げほっ、なにこれっ!」
ブレスは悪臭を放ちながら、視界を遮った。
泥の煙幕のようで足元はぬかるみ、小型龍の姿が見えなくなった。
「ま、前が見えない……っ! 足が、抜けないよ……っ!」
泥に足が取られてうまく動けないようだ。
この状態で小型龍が攻撃してきたら、ひとたまりもない。
「……やれやれ。埃まみれの次は泥まみれか。労働環境ブラックすぎるっすよ」
俺は覚悟を決め、プロのスイッチを入れた。
――家事スキル:強制消沈ミスト
手をかざすと、光と共にスプレーボトルが出てくる。
どこの家庭にもあるような100均レベルのスプレーボトルだ。
「げほっ、なにそれっ!」
サフランは目をまん丸くしていたが、俺は小型龍の煙幕にスプレーボトルを向ける。
「視界不良の現場で闇雲に突っ込むのは、素人のやることっすよ」
俺は煙幕に向けて水を噴射した。
すると、霧を吹いた場所から煙が晴れていく。
「凄い! 魔法なの……?」
「魔法でも何でもないっすよ」
(ただ、水に汚れを吸着させて地面に落としてるだけだ)
視界がクリアになると、小型龍が姿を現す。
「よし! 次は足元っすね」
――家事スキル:現場養生。
今度は使い古した段ボールと大量の古新聞を取り出した。
「引越し作業の基本……養生入りまーす!」
俺は泥のぬかるみに、手際良くそれらを敷き詰めていく。
(段ボールが沈み込みを防ぐ土台となり、新聞紙が泥の水分を瞬時に吸い上げる……!)
「作業完了っす! サフラン、その道を通ってください!」
サフランはおそるおそる段ボールに乗る。
グッと踏み込んでも滑らない。それどころか、砂地よりもしっかりとしたグリップ力が生まれている。
「ユウト、すごい! これならいける!」
彼女は剣を構え、段ボールで出来た地面を疾走していく。
大きく振りかぶると渾身の一撃を、小型龍の首に叩き込んだ。
「てやぁーっ!!」
叫び声と共に、小型龍の断末魔が響き渡る。
タンッ。
軽快な足音と共にサフランが地面に着地すると同時に、小型龍の首が地面に落ちた。
彼女は振り返ると満面の笑みでこちらを向き、駆け寄ってくる。
「やったよ、ユウト!」
「討伐お疲れっす、サフラン。さっそく小型龍の爪と鱗を……」
顔を上げると、彼女は涙を流していた。
はっと息を呑む。
「どうしたんっすか? まさか怪我を……」
「ぐすっ、違うの」
涙をボロボロとこぼす彼女を見て、俺は慌てて原因を探す。視線の先、彼女の手元を見て把握した。
「せっかくユウトが綺麗にしてくれた服が……返り血と泥で、もう真っ黒だよぉ……!」
「……えっ、そんな理由?」
俺は思わず大きなため息をついた。命のやり取りをした直後に、服の汚れで泣くとは。
「……全く。命がけで戦った直後に、服の汚れで泣くやつがいますか」
俺は呆れながらも、ポンと軽くサフランの頭を撫でる。
「よく頑張ったっすね」
だが、サフランは更に泣き出してしまった。その泣き顔を見ていると、妙な職人気質がうずき始める。
「はぁ、全く。……ほら、こっち向いて」
俺は少しだけ口角を上げ、スキルを再起動させた。
次の仕事は、討伐よりも神経を使うシミ抜きだ。
「放置するとシミになるっすから……動かないで」
「えっ!? ちょ、ここで!? 屋外でなんて……ひゃぁっ♡」
俺の確信犯的なプロの顔は、温かなスキルの光の中に包み込まれ、かき消された。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!