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アドラル皇国
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#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
ジンギス・カーンは、軍事の天才だった。
スブタイは時折、遠い草原にいる主へ思いを馳せることがあった。
草原に生きる者にとって、狩りは特別なものではない。
馬を走らせ、獲物を追い、包囲し、仕留める。
幼い頃から誰もが知っている、ごくありふれた営みだった。
だが、ジンギス・カーンは違った。
何百、何千という騎兵を動かし、獲物の逃げ道を塞ぎ、あえて一方だけを開ける。
そこへ追い込み、走らせ、疲れさせ、最後に包囲する。
草原の狩猟を、そのまま軍隊を動かす術へと昇華させた。
スブタイには、それが芸術のように思えた。
敵を倒すことそのものではない。
敵がどこへ逃げるのか。
何を見れば安心するのか。
何を恐れれば動くのか。
その心まで含めて操る。
戦場そのものを巨大な狩場へ変えてしまう。
それこそが、ジンギス・カーンの戦だった。
スブタイは、眼下に広がるグルジアルの平原を眺めた。
遠くには石造りの要塞が見える。
その城壁の上で、無数の旗が風にはためいていた。
隣では、ジュベが馬上から同じ景色を眺めている。
「出てくると思うか?」
ジュベが訊いた。
スブタイは少し考えた。
「出てくるよ」
「ずいぶん自信があるな」
「人は勝てると思えば、出てくるものだ」
スブタイはそう言うと、わずかに笑った。
「さて――」
ジュベも笑う。
何度も聞いた言葉だった。
「狩りの始まりだ」
◇
グルジアル領主ギオルギルは、当初、要塞から動こうとしなかった。
東方から奇妙な騎馬軍団がやってきたという報告は受けている。
オラズムを滅ぼした軍の一部だとも聞いた。
ならば、まずは様子を見る。
城壁に籠もり、敵の兵力と動きを確かめる。
ギオルギルは慎重だった。
だが――。
実際に現れた敵軍を見て、その警戒心は少しずつ薄れていった。
思ったほど数が多くない。
しかも、装備も軽い。
グルジアルの騎士たちが身につける鎖帷子や重い兜に比べれば、
敵兵の姿はあまりに頼りなく見えた。
馬も小さい。
槍も短い。
そして何より――。
最初の戦いで、ギオルギル軍は勝った。
グルジアル騎士団が前進すると、敵はろくに抗戦もせず退却したのである。
「なんだ」
城壁の上からその様子を眺めながら、ギオルギルは鼻で笑った。
「東方の悪魔と聞いていたが、大したことはないではないか」
翌日も敵は現れた。
そして戦えば、また逃げた。
三度目も同じだった。
こちらが進めば退く。
こちらが止まれば、遠くから矢を射てくる。
挑発するように接近しては、再び逃げる。
ギオルギルの中に、苛立ちと確信が生まれ始めた。
敵は弱い。
そして、自分たちを恐れている。
ついに彼は命じた。
「全軍、出撃する」
側近が驚いた。
「要塞を空けるおつもりですか?」
「空けはせぬ。守備兵は残す」
ギオルギルは遠くに見える敵騎兵を指さした。
「だが、あれを見逃す理由もない」
敵はまた逃げようとしている。
今度こそ捕まえる。
「追うぞ」
重い門が開いた。
グルジアル軍が要塞から次々と姿を現す。
騎士。
従卒。
弓兵。
歩兵。
その先頭に立ち、ギオルギルは馬を走らせた。
遠くでそれを眺めていたジュベが口元を緩める。
「出たぞ」
スブタイは何も言わなかった。
ただ、静かに要塞を見ていた。
巣穴から、獲物が出てくる。
その瞬間を待っていたのである。
◇
ジュベの騎兵は逃げた。
いや。
ギオルギルには、そう見えた。
グルジアル騎士団が迫るたび、モンゴル騎兵は距離を取る。
しかし完全には離れない。
追いつけそうで、追いつけない。
矢が届きそうなところまで近づき、こちらが速度を上げると、また離れていく。
まるで草原を跳ねる獣のようだった。
「逃がすな!」
ギオルギルは叫んだ。
「もう少しだ!」
騎士たちが馬を急かす。
重装騎兵の蹄が大地を叩いた。
だが、距離は縮まらない。
一刻。
さらに一刻。
気づけば、要塞は遥か後方に小さくなっていた。
歩兵も遅れ始めている。
それでもギオルギルは止まらなかった。
ここまで追ったのだ。
今さら引き返せるものか。
その時だった。
「領主様」
側近が前方を指さした。
「敵が……」
ギオルギルも気づいた。
逃げていた騎兵たちが、次々と馬を降りている。
一騎。
二騎。
十騎。
百騎。
次々と地面へ降りていく。
「なんだ?」
ギオルギルは眉をひそめた。
馬が限界なのか。
そう思った。
無理もない。
これだけ長く逃げ続けたのだ。
馬が潰れて当然だ。
ギオルギルは笑った。
「見ろ!」
周囲の騎士たちへ叫ぶ。
「奴らの馬が力尽きたぞ!」
歓声が上がった。
グルジアル軍が一気に速度を上げる。
その直後。
前方の丘の向こうから、無数の騎兵が姿を現した。
旗が上がる。
一つ。
二つ。
さらにその後ろから、次々と。
ギオルギルの笑みが消えた。
「新手……?」
丘の上。
一人の男が馬上からこちらを見ていた。
スブタイだった。
「止まれ!」
ギオルギルが叫ぶ。
「隊列を整えろ!」
騎士たちが速度を落とす。
兵士たちが慌ただしく陣形を作ろうとする。
正面にはスブタイ軍。
ならば迎え撃てばいい。
数ではこちらも負けていない。
重装騎士同士の正面戦闘なら――。
その時。
背後から悲鳴が上がった。
「敵だ!」
ギオルギルが振り返る。
そして、目を疑った。
先ほど馬を降りていたはずのジュベの騎兵たちが、再び馬に乗っていた。
しかも、先ほどまでとは違う。
疲れ切った馬ではない。
新しい馬だった。
モンゴル兵は一人につき何頭もの予備馬を引き連れている。
疲れた馬を捨てたのではない。
交換していたのだ。
「まさか……」
騎兵たちは新しい馬へ飛び乗ると、一斉に走り出した。
さっきまで逃げていた姿が嘘のようだった。
速い。
あまりにも速い。
ジュベの部隊は大きく左右へ広がりながら、
ギオルギル軍の側面を駆け抜けていく。
「止めろ!」
ギオルギルが叫ぶ。
「背後へ回らせるな!」
だが遅かった。
グルジアル軍の馬は、長い追撃ですでに疲れている。
対するモンゴリア軍の馬は新しい。
追いつけない。
やがて左から騎兵が現れた。
右からも現れる。
後方でも旗が上がった。
正面にはスブタイ。
背後にはジュベ。
左右からも騎兵が迫ってくる。
円が閉じていく。
少しずつ。
確実に。
ギオルギルはそこで初めて、
自分たちがどれほど要塞から離れてしまったのかを思い知った。
援軍は来ない。
逃げ道もない。
先ほどまで逃げていたはずの敵兵たちは、誰一人として慌てていなかった。
すべてが最初から決められていたかのように動いている。
三度逃げたことも。
自分たちを侮らせたことも。
追わせたことも。
馬を疲れさせたことも。
この場所まで連れてきたことも。
全部。
「……違う」
ギオルギルが呟いた。
喉が乾いていた。
「奴らは、逃げていたのではない」
側近が青ざめた顔を向ける。
ギオルギルは周囲を見回した。
モンゴリア騎兵が、ゆっくりと輪を縮めている。
そこでようやく理解した。
自分たちは追っていたのではない。
追わされていたのだ。
狩人だと思っていた。
獲物を追い詰めているつもりだった。
だが――。
最初から違っていた。
ギオルギルの目の前で、スブタイが静かに手を上げた。
草原の風が旗を鳴らす。
次の瞬間。
その手が振り下ろされた。
無数の騎兵が、一斉に駆け出した。
ギオルギルは剣を抜いた。
そしてようやく悟った。
狩られているのは――。
自分たちだった。
コメント
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うわっ…第3話、読ませてもらいました🥀 “追ってる”と思わせて“追わされてた”って、そのどんでん返しが本当に巧みで…。スブタイの冷静さ、ジュベとの呼吸、そして何より「狩り」を戦術に昇華させたジンギス・カーンの思想が後ろに透けて見える構成、すごく好きです。 ギオルギルが「違う…」って気づく瞬間、ぞわっとしました。獲物だと思ってた側が狩られる側になる、その構図がもう鳥肌もので…。 第4話も絶対に読みます。眠狂四郎さんの描く戦場の空気感、本当に引き込まれます🌙🤍