テラーノベル
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ヴァンガルド帝国皇帝セヴェリウスは、玉座の上で黙り込んでいた。
その手には、一通の報告書が握られている。
グルジアル領主ギオルギル、戦死。
グルジアル軍、壊滅。
そして――。
その後、領内で行われた略奪の一部始終。
焼かれた村。
奪われた家畜。
逃げ惑う民。
抵抗した者は殺され、財貨という財貨は根こそぎ持ち去られたという。
読み進めるほどに、セヴェリウスの眉間の皺は深くなっていった。
やがて報告書を握る手に力がこもる。
「おのれ……野蛮人どもめ」
低い声が、広い謁見の間に響いた。
ヴァンガルド帝国。
それは元来、
この大陸北部に割拠していた諸部族を統一することで生まれた国家だった。
現在では北方一帯に広大な版図を持ち、数多くの領主や部族を従えている。
だが、帝国南部は少し事情が違う。
そこには古くから遊牧民族が暮らしていた。
彼らは馬とともに生き、季節ごとに草原を移動する。
帝国は彼らを完全に支配しようとはしなかった。
税を取り立てることも少なく、各部族の長による自治を広く認めている。
理由は単純だった。
南方の国々からヴァンガルドへ送られてくる穀物や家畜。
その交易路を守るためである。
同時に、南から侵入してくる敵に対する緩衝地帯でもあった。
帝国にとって彼らは臣民でありながら、国境を守る壁でもあったのである。
セヴェリウスは玉座を立つと、壁に広げられた大地図の前へ歩み寄った。
視線が南へ向かう。
グルジアル。
その北部。
草原に点在する無数の遊牧部族。
セヴェリウスは腕を組んだ。
怒りはある。
だが、怒りだけで戦争はできない。
北部諸族をまとめ上げ、親子二代で帝国を築いた男である。
敵を憎むことと、敵を侮ることは別だ。
(ギオルギルが敗れ……)
指先が地図の上を滑る。
(グルジアル領が抜かれた今――)
次に敵が進むとすれば、南部の草原。
そこには幾つもの騎馬民族がいる。
彼らとて、黙って土地を明け渡すはずがない。
戦いになる。
アドラル皇国
18
1,373
#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
ならば。
(南部の遊牧民族が時間を稼いでいる間に――)
徴兵を行う。
諸侯へ動員を命じる。
街道を固める。
城塞へ兵糧を運び込む。
そして帝国軍主力を南部へ集結させる。
準備さえ整えば、迎え撃つことはできる。
「……よし」
セヴェリウスが顔を上げた。
「南部諸侯へ使者を出せ。兵を――」
だが――。
事態はすでに、彼の予測を遥かに超える速さで動き始めていた。
グルジアル領を蹂躙したスブタイ軍は、そのまま北西へ進路を取った。
行く手にそびえるのは、険しいサーカス山脈。
雪を戴く峰々。
細く曲がりくねった山道。
軍を通すには、あまりにも厳しい土地だった。
だが、モンゴリア軍の進撃は止まらなかった。
馬を引き、荷を分け、崖沿いの道を縫うように進む。
そしてついに山脈を越えると――。
その眼前に、どこまでも続く広大な草原が広がった。
キプチャン高原。
古くから、多くの遊牧民族が暮らしてきた土地である。
突然現れた異国の騎馬軍団に対し、彼らの反応は早かった。
普段は牧草地や水場を巡って争っている部族たちも、
この時ばかりは互いに使者を送り合った。
アラン族。レズギ族。チェルケス族。
キプチャン族。
そして周辺の諸部族。
侵入者を草原から追い払うため、彼らは次々と同盟を結んでいった。
「南方の諸部族が連合しました」
幕舎の中。
報告を聞いたスブタイは、地図から顔すら上げなかった。
「兵力は?」
「我らを上回るかと」
「そうか」
それだけだった。
副官たちは次の命令を待った。
敵が集結する前に攻撃するのか。
それとも有利な土地まで誘い込むのか。
だが、スブタイはしばらく地図を眺めたあと、
つまらなそうに口を開き、とある指示を出した
――数日後。
キプチャン族の長コンチャクは、自らの天幕の中で言葉を失っていた。
目の前には、大きな箱が置かれている。
蓋は開かれていた。
中には黄金。
さらに色鮮やかな絹。
銀器。
宝石。
コンチャクの目が、黄金の輝きに釘付けになる。
「これを……私に?」
モンゴリアの使者は深々と頭を下げた。
「はい」
「すべてか?」
「すべてでございます」
コンチャクは思わず黄金へ手を伸ばした。
ずしりと重い。
偽物ではない。
「わが主、バトウよりコンチャク様へ。友好の証にございます」
「バトウ殿が……」
「はい」
使者は穏やかに微笑んだ。
「わが主は、キプチャンの勇猛さをかねてより聞き及んでおります」
コンチャクの表情がわずかに緩む。
「ほう」
「この草原において、最も誇り高き民であるとも」
使者はさらに頭を下げた。
そして何気ない調子で続ける。
「ゆえに、わが主にはコンチャク様と戦う意思はございません」
「戦う意思がない?」
「はい。我らが望むのは、ただこの地を通過することだけ」
コンチャクは腕を組んだ。
「しかし我らは、アラン族らと盟約を結んでいる」
「存じております」
「ならば――」
使者の笑顔は崩れなかった。
「それは、コンチャク様がお決めになること」
一瞬。
天幕の空気が変わった。
「我らは友好を望んでおります」
使者は静かに言った。
「ただし――」
わずかな間。
「通過を認めていただけぬ場合は、残念ながら別の方法を取らざるを得ません」
コンチャクは黄金を見た。
そして使者を見る。
再び黄金へ視線を戻した。
「……ふむう」
しばらく考え込む。
やがて大きく頷いた。
「分かった」
使者が微笑む。
「ほかの部族がどうするかは知らぬ」
コンチャクは黄金の塊を弄びながら言った。
「だが我がキプチャン族は、モンゴリアと争う理由はない」
「ありがたきお言葉」
「バトウ殿には伝えてくれ」
コンチャクは胸を張った。
「我らはこれより先も、幾久しく友好を考えていきたいとな」
「さすがコンチャク様」
使者は深々と頭を下げた。
「わが主に、そのお言葉、しかとお伝えいたします」
使者が去ったあとも、コンチャクは黄金を眺め続けていた。
その頃。
遠く離れたモンゴリア軍の幕舎で、スブタイは次の進路を地図に記していた。
報告を聞いても、特に喜びはしなかった。
「キプチャン軍が同盟を離脱した模様」
「そうか」
「まず、残った連中を殺す」
「次に欲深い豚も殺す」
スブタイはもう決まっているかのようにそう言い放った
コメント
1件
おお…この第4話、めちゃくちゃ面白かったです。セヴェリウスの冷静な戦略判断と、スブタイの“もう決まっている”という冷徹さの対比がたまらないですね。コンチャクが黄金で簡単に寝返るシーン、人間の欲深さと弱さがリアルでゾッとしました。スブタイの「欲深い豚も♡♡♡」という台詞、怖すぎます…。次が気になりすぎます!