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第8話:ふたつの足音
西陽が差すころ、私はまた祖父の家へ向かった。

この道も、何度目になるだろう。


物置に入ると、畳の上に置かれた本は、今日も同じように待っていた。

表紙を開き、ページをめくる。


「きみの あしおとは かるかった」

「あのひとの あしおとは ずっと おもかった」


その言葉に、息を呑んだ。


音が違ったのだ。

祖父は、私と祖母の足音を聞き分けていた。


私——ユイの足音は、バタバタと軽く、靴下のまま走るからよく滑っていた。

短い髪が跳ねて、リュックを背負ったまま廊下を飛び回っていた。


祖母は、いつもゆっくり歩いていた。

すべらないように布底の足袋を履き、着物の裾が揺れるたび、廊下の木がきしむ。


その音は決して大きくはない。

けれど、祖父の心の中では、確かに“重く”響いていたのだろう。



ページをめくると、文字はつづく。


「きみのあとに あのひとのおとが つづくときがあった」

「そのとき わたしは いつも にげばを かんがえていた」


逃げ場。

祖父が“逃げたい”と思っていたことを、私は今初めて知った。


思い返すと、祖父はよく裏庭にいた。

土をさわり、木の枝をいじり、道具箱の中を整理し、何かにかこつけて屋内から離れていた。


祖母の姿はいつも背筋が伸びていて、にじむような圧をまとっていた。

濃い灰色の着物を着こなし、唇には色味がなく、それなのに目だけは鋭く動いた。


話し方はおだやかでも、返す言葉を選ばなければならない。

祖父はそれを、もう“学習してしまっていた”のだ。


次のページに、こうあった。


「なにかを されたわけではない」

「でも こわかった」


誰にも語られなかった恐怖。

それは“暴力”ではない。ただ、気配と沈黙の積み重ねだった。


祖父は、音にさえ怯えていた。



ふと、風が吹きぬけてふすまが少し揺れた。

私は肩をすくめ、本を閉じようとする——


だが最後のページに、ふっと文字が浮かんだ。


「おとが しないときのほうが もっとこわかった」


無音。

祖母が怒るとき、声を上げることはなかった。


ただ“沈黙する”。

それだけで、家の中の空気が凍る。



その夜、私は夢を見た。


祖父が長い廊下を歩いていた。

私も少し離れてついていく。


背中が小さく見えた。


足音は、ふたつ。

祖父の、そして——私の。


でも、途中で気づく。

私が止まっても、足音が消えない。


振り返ると、廊下の奥に、影が立っていた。


その影は音を立てず、ただじっと、こっちを見ていた。



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