Side 北斗
関東一帯で地震が起きたようだ。
ざわざわとした教室で、集まってきた講師がそう話す声が聞こえた。立っていられないほどの揺れが落ち着くと、俺は隠れていた机の陰から立ち上がる。学生たちは皆解散となった。
大学の建物は頑丈で倒壊もないが、外に出ると小さなものはほとんど崩れているのが多かった。
電信柱は傾き、地面はところどころひび割れている。その中を、人や車が逃げ惑うようにどこかへと急いでいる。
「慎太郎さんが…!」
俺は、彼のことで頭がいっぱいだった。丸ノ内ビルヂングだから大丈夫かもしれないが、足のことがある。逃げ遅れたかもしれないし、外にいたかもしれない。
でも、そこに行って本当に会えるのだろうか。
悩んだ末に、俺は睦石荘へ戻ることにした。もし無事ならば、彼も帰ってくるはず。
交通手段はほとんど使えなくなっていたから、自分の足で帰路を行く。
どこからか、煙の匂いが漂ってきた。これほどの地震だ、火事も当然起きているだろう。どうかあそこへ火の手が及んでいないことを願う。
途中、郵便局を通った。そこでやっと頭をよぎったのが、家族のこと。遠方で暮らしているが、ひとつ電報で知らせを寄越したほうがいいだろう。
でも、俺は道を急いだ。とにかく彼の安否を知りたい。
お願いだから帰ってきてくれ。そんな気持ちで走る。
景色が見慣れた近所の町に差し掛かってきたとき、また足元がぐらついた。
「うわっ」
勢いで倒れ込むように、慌ててしゃがむ。余震だ。
ガタガタと揺れる地面と連動して、俺の心もぐらぐらと揺れる。もし慎太郎さんが帰ってこなかったら。もう二度と会えなかったら。
俺はそんな考えを振り切ろうと頭を上げた。また立ち上がろうとすると、左の足首に鋭い痛みが走った。
「っ!」
さっきの余震で挫いたんだろう。でも心は挫けちゃ駄目だ。右足で踏ん張り、ゆっくり歩を進める。
何とか睦石荘の玄関に辿り着いた。見た目はそれほど被害はないように思える。
それでも、中に入ると下駄箱や箪笥、棚がみんな倒れていた。
「慎太郎さん! 戻ってますか!」
声を掛けると、中から足音が聞こえてくる。やがて姿を現したのは慎太郎さんとお千代だった。
「北斗さんっ、良かった…」
「まあ、その足どうなさったんです。すぐに手当てを」
浮かせている左足に気づいたのだろう。お千代が奥へ駆けていき、慎太郎さんは俺の背中に手をやる。
「大丈夫です、僕はひとりで歩けますから」
そう言っても、「肩を持ってください」と彼は譲らなかった。
「慎太郎さんは、怪我はないですか。帰ってくるのは大変だったでしょう」
「案外近かったんです。この辺りはあまり揺れなかったそうですし」
その言葉を聞いて、俺はやっと安堵の息を漏らした。
部屋でお千代から手当てを受け、畳の上に足を伸ばす。
「しかし、無事で本当に良かった。どうしているかとずっと案じていて…」
大丈夫ですよ、と彼は苦笑する。「北斗さんこそ、戻ってこられて安心しました。地震のさなか、もう会えないかと思ってしまって」
だから、と続けた。
「奇跡って決して一度起こるものではないのですね」
俺は顔を上げる。
そうだ。あの戦争から生きて帰ってきたのも奇跡。そして地震を生き抜いたのも、確かな奇跡なんだ。
「そうですね。本当に」
続く