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桜城
308
#恋愛
ばたっちゅ
20,038
#ファンタジー
comi
4,702
リヴァンが王研を去ってから数時間後
王立科学アカデミー研究所 地下20階 ルーフ研究室。
五年の歳月をかけて設計・培養してきた“奇跡”が、ついにその産声を上げようとしていた。
ルーフは、保育器のインジケーターが安定していることを確認すると、安堵の息をついた。
ラウンジでは、リアムたち研究スタッフがコーヒーを片手に、
くつろいだ様子でホログラムTVを眺めていた。
広大な湖の中央に浮かぶ島。その上には、王国の象徴であるセイラン城が壮麗な姿を見せていた。今夜開催されるエルシェ湖花火大会。その奉祝行事を紹介する特別番組が放送されていた。画面が切り替わり、華やかな衣装をまとった女性アナウンサーが笑顔で告げた。
『今夜の前夜祭では、イザリオ王子殿下とエルファーナ王女殿下が、セイラン城のバルコニーにお姿を現される予定です!』
「ねえ、見てよ、リアム」
ルーフはスペシャルブレンドのコーヒーを片手に、少しだけ頬を膨らませた。
「ああ……私も奉祝行事に参加したかったなぁ」
「ですが、私にとっては王女様よりも……ルーフ様の方が、
可愛くて、かっこよくて、尊敬できる存在です」
ルーフの眉がぴくりと動いた。
「ちょっと、リアム君」
「はい?」
「それ、褒めてるつもり?」
「もちろんです」
「ものすごく失礼な褒め方なんだけど!
王女様と私を比べるなんて、本気で怒らせたいの? 減点1000000!」
「すみません……」
リアムは何が失礼だったのか理解できないまま、素直に頭を下げた。
その様子を見ていた研究スタッフたちから、小さな笑い声が漏れた。
「まったく、もう……」
ルーフは頬を膨らませながらも、どこか嬉しそうにコーヒーを口に運んだ。
やがて、カップをテーブルに置くと、ふっと笑みを静めた。
「でも、もうすぐなの」
彼女はガラス越しに見える研究ラボへと視線を向けた。
「五年間、ずっと待っていた。もうすぐ、彼が目を覚ます」
その瞳には、研究者としての期待と、我が子の誕生を待ちわびるような優しさが宿っていた。
「名前も、もう決めてあるのよ」
ルーフはリアムに向き直り、いたずらっぽく微笑んだ。
リアムが目を輝かせる。
「お聞きしても?」
「ジャックエルフ」
ルーフは得意げに胸を張った。
「どう? カッコいいでしょう?」
リアムは即座に頷いた。
「ルーフ様のネーミングセンスは完璧です。今すぐ論文に記載すべきレベルです」
「そこまで言われると逆に不安になるわね」
思わず笑いが漏れた。
「リアム。ジャックエルフの様子を見てきてくれる?」
「承知しました。ジャックエルフ様の状態を確認して参ります」
リアムは姿勢を正すと、研究ラボへと小走りに向かった。
その背中を見送りながら、ルーフは小さく肩をすくめた。
「まったく……あの子は本当に調子がいいんだから」
ルーフは苦笑しながら、ぽつりと呟いた。
「それに比べて、ヒロノゼウス……。研究のことになると、いちいち私に噛みついてくるんだから。あの頑固な原始人よりは、リアムの方がずっと素直で可愛いわね」
そう呟くと、ルーフは再び隔離育成ラボへと視線を向けた。
そして、ジャックエルフの待つ隔離育成ラボへと足を踏み出した。
高エネルギー制御区画(隔離育成ラボ)。
隔離育成ラボには、異世界「地球」に存在するロシアという国の作曲家ラフマニノフの《交響曲第2番》第3楽章『アダージョ』を、ピアノと弦楽器のために編曲した旋律が静かに流れていた。柔らかなピアノの旋律に、弦楽器の澄んだ音色が重なり、無機質なラボ内を優しく包み込んでいた。
ラフマニノフは、最初の交響曲で聴衆や評論家から厳しい評価を受け、大きな挫折を味わった作曲家だった。深い失意に沈み、創作への自信を失いながらも、長い苦悩の歳月を経て、再び作曲への情熱を取り戻した。やがて《ピアノ協奏曲第2番》で再起を果たし、再び交響曲の創作に挑んだ。その末に生まれたのが、この《交響曲第2番》だった。その後も《ピアノ協奏曲第3番》をはじめ、数々の名曲を生み出した。彼が残した美しい旋律は、時代を超え、多くの地球人の心を癒し続けているという。異世界「地球」の伝記には、そんな作曲家の生涯が記されていた。遥か宇宙の彼方から訪れた異星の旅人。その旅人が、この星に伝えたという音楽。
ルーフはラフマニノフの曲をこよなく愛していた。ラフマニノフは創作が一度失敗に終わり、周囲から冷ややかな目で見られることへの恐怖を乗り越え、自らの音楽を磨いた。そして、いつか自らの音楽が人々の心に届くことを信じ続けたその不屈の精神彼女は自らの研究への思いを重ねていたのだ。
ルーフは、球体インキュベーターへと歩み寄った。
五年間、待ち続けた瞬間が、もうすぐ訪れようとしていた。
静音モードの青色アラートが、淡く点滅していた。
ガラスの向こう、球体インキュベーター内では、
黄金色の体毛をまとった生命体が、培養液の中で静かに浮かんでいた。
高濃度エルフエナジーによって活性化された神経回路は、最終同期を完了していた。
脳内リンク装置も解除され、残された工程はただ一つ。
ジャックエルフの「意志」の目覚めを待つだけだった。
「ルーフ様! 脳波に変化が見られます。デルタ波が減少、シータ波が優勢になっています!」
リアムはモニターに映し出された波形を凝視した。
「アルファ律動が出現……後頭部優位に確認!」
ルーフはゆっくりと保育カプセルへ歩み寄った。
「睡眠状態から覚醒へ……」
「アルファ律動が減衰! 低振幅の速波活動が増加しています。覚醒反応です!」
ルーフの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
球体インキュベーターの中で、ジャックエルフの指先がかすかに動いた。
「……来たわね」
ルーフは即座に指示を飛ばした。
「リアム、エルフエナジー照射停止! 培養液の排出を開始して。カプセルは段階的に開放よ!」
「了解しました!」
リアムが操作パネルに指を走らせた。
低い駆動音とともに、インキュベーターの底部から培養液が排出され始めた。
水位がゆっくりと下がり、黄金色の毛並みが次第に露わになっていく。
やがて、培養液が完全に排出されると、カプセル内部に穏やかな気流が流れ込んだ。
『培養液排出完了。内部環境、正常。カプセル開放を開始します』
機械音声とともに、透明なカバーがゆっくりと開いていった。
その瞬間――
ジャックのまぶたが、かすかに震えた。
ゆっくりと開かれた金色の瞳が、初めて外の世界を捉えた。
トラを思わせる鋭く気高い容貌。
黄金の毛並みと、均整の取れた筋肉。
ジャックは静かに身体を起こすと、やがて背筋を伸ばし、堂々と立ち上がった。
まさに、人造の騎士だった。
ルーフは思わず息を呑んだ。
「……お誕生日、おめでとう」
ジャックエルフは、その金色の瞳でルーフをじっと見つめた。
「ルーフ母さん……」
その声に、リアムが目を見開いた。
ルーフは、はっと息を呑んだ。
「……母さん?」
予想もしなかった呼びかけに、しばらく言葉が出なかった。
やがて、その瞳が潤み、頬に柔らかな笑みが浮かんだ。
「……そう。私のこと、母さんって呼んでくれるのね」
ルーフはそっとジャックエルフに歩み寄った。
「ありがとう、ジャックエルフ。生まれてきてくれて……本当にありがとう」
「しゃ、喋った……! ルーフ様、ジャックが言葉を……!」
ルーフは穏やかに微笑んだ。
「当たり前でしょう。まだ小さな胚だった頃から、五年間ずっと話しかけてきたんだから」
リアムはモニターに目を向けた。
「脳内リンクによる言語学習プログラム……正常に機能していたんですね」
「ええ。でもね、リアム。言葉を教えたのは、プログラムだけじゃないのよ」
ルーフはジャックを見つめた。
「おはよう。今日も元気? 今日はね、こんなことがあったのよって……毎日、話しかけていたの」
ジャックエルフは静かに頷いた。
「……聞こえていました。ずっと、あなたの声が。毎日呼びかけてくれたから、僕は安心できたんです」
ルーフの瞳が、わずかに潤んだ。
「僕は、あなたが毎日、声をかけて愛情を注いで育ててくれたから、
こうして生まれることができました。……ありがとう、ルーフ母さん」
ジャックの口元に、穏やかな笑みが浮かんだ。
その表情に、ルーフは息を呑んだ。声に感情が宿り、表情が変わる。
教え込まれた言葉を繰り返しているのではない。
自らの意志で思いを伝えようとしている。
ジャックエルフは、確かに自分の意志で生きている。
その事実が胸に迫った瞬間、ルーフの頬を涙が伝った。
五年間、何度も語りかけ、いつか彼から返事が聞ける日を夢見てきた。
今、その願いが目の前で現実となっていた。
ルーフはもう、涙を止めることができなかった。
白い隔離育成ラボの天井から、柔らかな人工光が降り注いでいた。
それはまるで、世界がこの“光の存在”を祝福しているかのようだった。
ギル・グラギラス改良体 No.βが“闇の胎動”ならば、ジャック・エルフは“未来の胎動”。
科学が生み出した生命に、誰にも支配されない心が宿っていた。
“心のあるモンスター”という新たな神話が、ここに始まったのだった。
「ルーフ主任!」
隔離育成ラボに駆けつけた統括官クロノス・エルヴァスが、満面の笑みで声を上げた。
「素晴らしい成果ではないですか!
いやぁ、私は本当に鼻が高い。これほど優秀な部下を持てて、誇らしい限りです!」
クロノスはジャックエルフの前まで歩み寄ると、その金色の瞳をまっすぐに見つめた。
「ジャックエルフ君。これからよろしく頼むよ。君の誕生を、心から歓迎する」
ジャックは小さく頷き、礼儀正しく答えた。
「ありがとうございます。クロノス統括官」
その落ち着いた受け答えに、クロノスは感心したように目を細めた。
「ほう……実に立派なものだ。言語能力だけでなく、礼節まで身につけているとは」
クロノスが感心したように頷くと、周囲の研究員たちから盛大な拍手が沸き起こった。
「ジャックエルフ! 誕生おめでとう!」
「よっ、ルーフ母さん、最高!!」
「ちょ、ちょっと! 誰がルーフ母さんよ!」
ルーフは頬を赤らめながら、研究員たちを振り返った。
「ひょっとして……リアム君?」
「い、いえいえ! 私じゃありませんよ……」
「ほんとかな~~?」
ルーフが疑わしげに目を細めると、リアムは慌てて視線を逸らした。
その様子に、ラボ内がどっと笑いに包まれた。
ジャックエルフもまた、そんな彼らを見つめながら、穏やかに微笑んでいた。
そのとき――。
ホログラム回線の接続アラートが、研究員たちの笑い声を遮るように室内に響き渡った。
ヒロノゼウスからの緊急着信だった。
「……原始人からの着信だわ。緊急って、いったい何なのよ」
ルーフは小さく首を傾げた。
「まあ、いいわ。ジャックエルフの誕生を聞いたら、あの人、どんな顔をするかしら。ふふっ、楽しみだわ」
ルーフの口元に、いたずらっぽい笑みが浮かんだ。
受信ボタンに触れると、目の前に通信ホログラムが展開された。
だが、そこに映し出されたヒロノゼウスの表情は、険しく引き締まっていた。
背後には、潜航舟〈オルシオン〉の甲板と手すりが見える。夜の海を渡る風が彼の髪を揺らし、波音が通信越しに低く響いていた。
「……ヒロノゼウス? どうしたのよ、その顔」
ルーフの笑みが消えた。
『クロノス統括官! 緊急事態です!』
ヒロノゼウスの切迫した声に、クロノスが振り返った。
「どうした、ヒロノゼウス!」
『西の島エルフィオンのエルフバリア塔が……崩壊しました!』
「……何だと!?」
『島全域の結界維持率はゼロ!
赤黒い瘴気が島中に広がり、動物たちの魔物化が確認されています!』
研究員たちの表情が一変した。
先ほどまで室内を満たしていた笑い声が、嘘のように消え去った。
「エルフバリア塔が崩壊……? そんな馬鹿な……」
クロノスが呆然と呟いた。
『それだけではありません!』
ヒロノゼウスは語気を強めた。
『道中、イザリオ王子殿下とエルファーナ王女殿下が、島の神獣クルサ・ガルヴァに襲われているところを発見しました。救出し、お二人の身柄を保護しています!』
「王子殿下と王女殿下を……救出しただと!?」
『はい! 現在、お二人はオルシオに乗船され、王都近郊の港町へ向けて移動中です!』
クロノスは思わず一歩前へ出た。
『統括官! 一刻も早く政府へ報告し、王国軍の出動を要請してください! 西の島は、すでに危機的状況に陥っています!』
「わ、分かった! 直ちに関係各所へ連絡を……」
そのときだった。
背後のホログラムTVから、ひときわ大きな歓声が響いた。
ルーフが反射的に振り返った。
画面には、ライトアップされたセイラン城のバルコニーが映し出されていた。
エルシェ湖花火大会の生中継だった。
イザリオ王子とエルファーナ王女が、バルコニーに並び立ち、笑顔で民衆に手を振っている。
夜空を彩る花火。華やかな音楽。そして、湖岸に集まった民衆の歓声。
画面の向こうは、まさに祝祭の熱気に包まれていた。
「……待て、ヒロノゼウス」
クロノスの表情が険しくなった。
「今、王子殿下と王女殿下は、エルシェ湖花火大会の生中継にお姿を現されている。それなのに、君が救出したというのか?」
クロノスはホログラムTVを指さした。
「救出した二人は、本当に王子殿下と王女殿下なのか?」
ヒロノゼウスが何かを言いかけたが、クロノスは続けた。
「それに、西のエルフバリア塔が崩壊したというなら、国防監視システムが即座に異常を検知するはずだ。なぜ、こちらには何の報告も入っていない?」
ルーフもホログラムTVに目をやり、呆れたように肩をすくめた。
「そうよ。何を言っているの、ヒロノゼウス……。あなた、悪夢でも見たんじゃない? 夢と現実の区別がつかなくなったのかしら。本当に大丈夫? 医療班に診てもらった方がいいわよ」
だが、ヒロノゼウスの声は揺るがなかった。
『違います! 中継に映っているのはクローン人間です!
本物のお二人はこちらにおられます!』
ヒロノゼウスは背後を振り返った。
『イザリオ王子殿下、エルファーナ王女殿下。恐れ入りますが、こちらへお越しいただけますか』
彼の呼びかけに応じ、二人の若い男女がホログラム通信の画面に姿を現した。
簡素な衣服に身を包みながらも、その立ち姿には王族としての気品が漂っていた。
『クロノス統括官。
こちらにおられるのが、正真正銘のイザリオ王子殿下とエルファーナ王女殿下です!』
ルーフはホログラム通信とTVの生中継映像を交互に見つめた。
「そんな……姿も声も、表情まで……そっくりじゃない!」
彼女は思わず額に手を当てた。
「いったい、どちらが本物なのよ……!」
クロノスも険しい表情で二つの映像を見比べていた。
『なんと失礼なことをおっしゃるのですか!』
突然、ホログラム通信の向こうから鋭い声が響いた。
王女に付き添っていた術者ルーネが、憤慨した様子で画面に割って入った。
『こちらにおられるのは、間違いなくイーサム王家の正統な王子殿下と王女殿下です!』
「……し、失礼しました」
クロノスが思わず頭を下げた。ルーフも気まずそうに視線を逸らした。
だが、目の前に映る二組の王子と王女は、あまりにも酷似していた。
どちらかが偽物である。
その逃れようのない矛盾が、ルーフたちに突きつけられていた。
そのとき、ヒロノゼウスが何かを思い出したように声を上げた。
『王女殿下。左腕の魔除けの腕輪を、統括官にお見せいただけますか』
エルファーナは静かに頷き、左腕を掲げた。
『これは、父から託されたものです。お守りとして、ずっと大切にしてきました』
ホログラムに映し出されたのは、銀細工とエメラルドを基調とした、美しい腕輪だった。
表面には王家の紋章を思わせる繊細な彫刻が施されていた。
「……その腕輪は!」
クロノスが息を呑んだ。
「ジン博士が、イーサム王陛下のご依頼を受けて製作し、
献上したエルフバリアの聖具ではないか!」
ルーフが目を見開いた。
「統括官、ご存じなのですか?」
「もちろんだ。王家の血統に反応し、装着者を守る防御障壁を自動展開する特殊な聖具だ。王家に伝わる、極めて重要な品でもある」
クロノスは画面に顔を近づけた。
「だが……腕輪を所持していることだけでは、
本物である証明にはならん。複製体が同じものを装着している可能性もある」
その瞬間――TVからひときわ大きな歓声が響いた。
エルシェ湖の夜空を、色鮮やかな花火が次々と染め上げていた。
爆音、歓声、音楽、そして光の渦。
画面の向こうには、誰もが幸福を信じて疑わない、華やかな祝祭の光景が広がっていた。
「……ちょっと待って」
ルーフが、ふとTV画面に目を凝らした。
「統括官。TVに映っている王女様の左腕……見てください」
クロノスが振り返った。
TVに映るエルファーナ王女は、笑顔で民衆に手を振っている。
だが、その左腕には、先ほどの腕輪が見当たらなかった。
「……腕輪がない」
クロノスが低く呟いた。
「それに……」
ルーフは画面を拡大した。
「肌の質感も、少し不自然じゃない? 照明のせいかもしれないけど……」
クロノスは目を細めた。
「培養個体の可能性も考えられる。だが、映像だけで断定するのは危険だ」
ルーフは即座に振り返った。
「リアム! AI画像解析を開始して! ホログラム通信と生中継の人物映像を照合するのよ!」
「承知しました!」
リアムがコンソールへ駆け寄った。
中央スクリーンに、二組の王子と王女の映像が並列表示される。
研究室は静まり返った。
AIユニットが起動し、顔貌、皮膚表面、眼球運動の解析が始まった。
研究室の空気が凍りついたように静まり、すべての視線がホログラムの出力画面に集中する。
──ピピッ……
──パタタタタ……(処理音)
無機質な女性の合成音声が、静けさを裂くように告げる。
[対象1:ホログラム映像に映る王女――
網膜スキャン結果:エルファーナ王女、本人と完全一致。
適合率100%です。
対象2:TV中継に映る王女――
皮膚表面に培養由来痕を多数検出。
表皮ケロイド形成、合成表皮細胞パターンを確認。
網膜スキャン結果:適合率98.0%
「続いて、王子の網膜スキャンを照合中……。結果と判定を統合します」
「判定。中継映像に映る王子および王女は、精密な複製個体である可能性が極めて高い」
AIユニットの無機質な声が、静まり返った研究室に響いた。
まるで、冷徹な審判が下されたかのようだった。
誰もが言葉を失った。
ホログラムTVでは、 王子と王女が変わらぬ笑顔で民衆に手を振っている。
「あれが……偽物だっていうの?」
ルーフは画面から目を離せなかった。
「じゃあ……特別研究区でクローン人間が作られているという噂は、本当だった……」
リアムが息を呑んだ。
TVに映るエルファーナ王女は、笑顔を絶やさず、
まっすぐに民衆を見つめていた。
その瞳にも、微笑みにも、偽物であることを疑わせるものは何一つなかった。
「この国の“真実”が、今、一つ明らかになったのね……」
ルーフが低く呟いた。
そのとき、通信端末からヒロノゼウスの声が響いた。
『やはり、王宮関係者に首謀者がいると考えられます!』
ヒロノゼウスは語気を強めた。
『本物の王子と王女を封じ、複製体を王家の後継者として据える。そうやって、王家そのものを内側から乗っ取ろうとしているのではないでしょうか!』
研究室に重い沈黙が落ちた。
「そんなことが、この国で起きていたとは……」
クロノスは拳を強く握りしめた。
「断じて許されることではない!」
その低い声には、怒りと失望が滲んでいた。
やがて、クロノスは何かに気づいたように顔を上げた。
「待て……西のエルフバリア塔が崩壊したというのに、なぜ国防アラートが作動していない?」
リアムが振り返った。
「確かに……」
「誰かが、意図的に警報システムを遮断している可能性がある」
クロノスはリアムに向き直った。
「リアム! 西の塔の結界維持率を確認したい。国防監視回線を経由せず、塔の制御システムへ直接アクセスしてくれ!」
「承知しました!」
リアムは素早く操作パネルに指を走らせた。中央スクリーンに、王国のエルフバリア防御網が立体投影された。
『管理者認証を要求します』
クロノスは網膜認証装置を覗き込んだ。
『網膜認証完了。管理者権限を確認しました』
「西のエルフバリア塔へ接続!」
リアムが操作を実行した。しかし、
『接続エラー。西のエルフバリア塔から応答がありません』
赤い警告表示が点滅した。
「……何だと?」
クロノスの表情が強張った。
「他の塔はどうだ! 残り五基の状態を確認しろ!」
「はい!」
リアムが別の制御系統へ切り替えた。
その瞬間、中央スクリーンに映し出された六芒星状の防御網が、次々と赤く染まっていった。
『警告。エルフバリア防御網に重大な異常を検出』
六芒星を形成する六基のエルフバリア塔。
そのうち、西の塔を示す光点が完全に消失していた。
残る五基の結界出力も激しく変動し、六芒星を結ぶエネルギーラインが次々と途切れていく。
中央スクリーンに、巨大な警告文字が浮かび上がった。
エルフバリア防御網・重大異常
西の塔・結界維持率 0%
防御網・総合結界維持率 25%
「……馬鹿な」
クロノスが声を漏らした。
「西の塔が失われたことで、残り五基の出力バランスまで崩れている……。ザルガン博士の強化実験が失敗に終わったということか……」
六基の塔が連動して維持していた防御結界は、すでに正常な状態を保てなくなっていた。
「これでは……他の塔が稼働していても、防御網としては機能しない……!」
クロノスの額に冷や汗が滲んだ。
真っ赤に染まった六芒星を、ただ呆然と見つめることしかできなかった。
ルーフもまた、中央スクリーンに映る数値を見つめていた。
「……ヒロノゼウスが言っていたことは、本当だったのね」
ルーフの声は、かすかに震えていた。
ホログラム通信の向こうで、ヒロノゼウスがジャック・エルフをじっと見つめていた。
『……ルーフ。後ろにいる人型のモンスターは……?
ひょっとして、お前が育てていたあのモンスターか?』
「そうよ。今日、ようやく目を覚ましたの」
ルーフは少し得意げに胸を張った。
「どう? あれだけ反対していた、私の研究成果よ」
ヒロノゼウスは答えず、ジャックエルフをじっと見つめていた。
そのとき、ジャックがルーフの隣へ歩み出た。
「ヒロノゼウスさん。はじめまして。ジャックエルフです」
『……はじめまして。しかし、どうして俺の名前を知っているんだ?』
「僕が目を覚ます前から、母さんがあなたのことを何度も話してくれたんです」
『……母さん? ルーフのことか?』
ヒロノゼウスは、画面越しにジャックエルフの金色の瞳をまっすぐに見つめた。
「はい。ルーフ母さんです」
ジャックエルフは穏やかに微笑んだ。
「母さんは、僕にたくさんのことを教えてくれました。僕が生まれたのは、誰かを傷つけるためではなく、人の心に寄り添い、守るためなのだと」
その声には、穏やかさの中にも確かな力強さがあった。
「ルーフ母さんも、ここにいる皆さんも、僕が守ります。母さんも、この世界も、僕にとって大切な存在だから」
ヒロノゼウスは、一瞬言葉を失った。ジャックエルフが自分の言葉で命の尊さを語っている。
その金色の瞳には、確かな意志が宿っていた。
『……そうか』
その表情が、わずかに和らいだ。
『お前には、自分の意志があるんだな』
「はい」
ジャックは静かに頷いた。
『……ジャックエルフ。ルーフたちを頼んだぞ』
少し間を置いて、ヒロノゼウスは続けた。
『それから……お誕生日、おめでとう』
「ありがとうございます、ヒロノゼウスさん」
ルーフが目を見開いた。
(あの原始人が……ジャックエルフに、お誕生日おめでとうって……?)
これまで何度も研究の危険性を訴え、ジャックエルフの誕生に反対していた男だった。
そんなヒロノゼウスが、今、ジャックエルフの誕生を祝福している。
『……ルーフ』
「……何よ」
『今まで、何度もお前に噛みついてきた。すまなかったな』
ヒロノゼウスは胸元のポケットに手を入れ、一通の手紙を取り出した。
『覚えているか? お前が初めて王研に来たとき、俺にくれた手紙だ』
「……え?」
ルーフは息を呑んだ。
通信画面に映し出された手紙には、見覚えのある文字が並んでいた。
『恐れや排除ではなく、理解と共存のために、科学の力を使いたい』
ヒロノゼウスは、その一節を静かに読み上げた。
『……俺は、この言葉を忘れたことがない』
ルーフは、画面から目を離せなかった。
『だが、セブンの実験で、俺は大きな過ちを犯した。
知性を与えようとして、あいつの心を奪ってしまったんだ』
ヒロノゼウスは、一度目を伏せた。
『だから怖かった。お前も同じ過ちを繰り返すんじゃないかってな』
「……ヒロノゼウス」
『もしジャックが心を持たず、暴走する存在になったら……俺たちは、自分たちが生み出した命を、自分たちの手で終わらせなきゃならないかもしれない』
ヒロノゼウスは、もう一度ジャックエルフを見つめた。
『だが、ジャックエルフは違った。自分の意志で、誰かを守りたいと言った』
その声が、わずかに震えた。
『……ルーフ。お前は、本当にやり遂げたんだな。
5年間よく頑張ったな。ジャックエルフの誕生、本当におめでとう』
ルーフの目から、涙がこぼれた。
「……私、誤解してたわ。あなたは、ずっとジャックのことを心配してくれていたのね……」
『ああ。お前が研究に込めた思いも、ジャックエルフの命も、無駄にしてほしくなかった』
ルーフの脳裏に、これまでのヒロノゼウスとの口論がよみがえった。
何度も激しく対立した。けれど、彼が研究を妨害したことは一度もなかった。
あの頑固さは、生命を軽んじることへの恐れだったのだ。
「ヒロノゼウス……ありがとう。そして、ごめんなさい」
ヒロノゼウスは小さく笑った。
『ルーフ。この先、どんな深い闇に包まれようと、生き抜こうぜ』
そして、力強く続けた。
『もう一度、一緒に……命を輝かせような』
「もちろんよ!」
ルーフは涙を拭い、大きく頷いた。
「絶対に負けないわよ! 科学者の意地、見せてあげるんだから!」
隣にいたリアムも、目元を拭っていた。
「……ルーフ様、ヒロノゼウス。お二人とも最高っす!」
ルーフは思わず吹き出した。
「もう、リアムまで……」
隔離育成ラボに、久しぶりの笑い声が広がった。
ジャックもまた、そんな研究員たちを見つめながら、穏やかに微笑んでいた。
そのときだった。
エルシェ湖花火大会の華やかな音楽をかき消すように、ホログラムTVから緊急速報のアラートが鳴り響いた。研究員たちの笑い声が途絶えた。
画面に赤いテロップが走る。
『緊急速報。王国のエルフバリア防御網に重大な障害が発生。政府は国民に冷静な行動を呼びかけるとともに、リヴァン・カイザ首相が間もなく緊急記者会見を行うと発表しました』
「いよいよ政府が動いたか……」
ホログラム通信の向こうで、ヒロノゼウスが険しい表情を浮かべた。
クロノスは、中央スクリーンに表示された六芒星状の防御網へ目を向けた。
「西の塔が崩壊したというのに、国防アラートは作動しなかった……。
今になって政府が発表するとは、いったいどういうことだ」
ルーフも眉をひそめた。
「しかも、私たちが確認した結界維持率は二十%未満。
すでに防御網としては機能していないも同然なのに……」
そのとき、TVの映像が切り替わった。
『番組の途中ですが、王国政府による緊急記者会見を生中継でお伝えします』
画面には、王国の紋章が掲げられた記者会見場が映し出された。
研究員たちの視線が、一斉に画面へと注がれた。
コメント
1件
うわあああ……もう涙腺やばかった( ;ω;) ルーフの五年間が報われた瞬間、めちゃくちゃ刺さった。 特にヒロノゼウスが手紙読み上げて、『よく頑張ったな』って素直に認めたとこ……あの頑固者が!って感動したよ……。 ジャックが「ルーフ母さん」って呼んだのも、AIスキャンの冷徹さとの対比がまた良くて。 それでいて最後は緊迫の記者会見……この後どうなるんだ!? ジャックの力、早く見たいな🔥