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#コメディ時々暗闇
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#妖怪
百はな🍑
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エルフバリア防御網に重大な障害が発生したという速報を受け、王都の首相官邸には、報道各社の記者たちが続々と集まっていた。
記者会見室では、カメラマンたちが機材の最終調整を行い、記者たちは手元の資料を確認しながら、開始の時を待っていた。
『まもなく、リヴァン・カイザ首相による緊急記者会見を開始いたします』
場内アナウンスが響き、それまでのざわめきが静まった。放送ディレクターの合図とともに、各カメラが演台へ向けられた。
全国中継の画面が一度暗転し、荘厳な音楽とともに王国政府の紋章が浮かび上がる。
回転する紋章がゆっくりとフェードアウトすると、見慣れた首相官邸の記者会見室が映し出された。しかし、そこに漂う空気は、いつもの定例会見とは明らかに異なっていた。
やがて、壇上へ続く通路から、ゆっくりとした足音が響いた。姿を現したリヴァン・カイザ首相は、漆黒のスーツに身を包んでいた。
以前よりも頬がこけ、顔には深い疲労の色が浮かんでいる。その瞳には、照明の加減だけでは説明できない赤黒い光が宿っていた。
それでも、口元には政治家としての穏やかな笑みが浮かんでいた。隣に着席した科学技術長官ラマズドは、彫像のように表情を変えず、ただ正面を見据えていた。
記者席の前列には、一人の女性記者が座っていた。
セルカ・ラング。
リヴァンが首相に就任した当時から、官邸でのぶら下がり取材を担当してきた記者だった。
彼女はこれまで幾度となくリヴァンの演説を聞き、その言葉を記事にしてきた。どれほど厳しい質問にも冷静に応じ、時には記者たちを和ませる冗談さえ口にする。そんな首相の姿を、誰よりも間近で見てきた。
だが、今日のリヴァンは違っていた。穏やかな笑みを浮かべているはずなのに、その瞳には、どこか人間離れした冷たさが宿っている。
(……リヴァン首相。まるで別人のようだわ)
セルカは小さく眉をひそめ、手元の取材端末に視線を落とした。
カメラがリヴァンの顔を捉えた。
「国民の皆様。本日は奉祝行事の最中ではございますが、王国の安全保障に関わる重大な事態が発生いたしました」
リヴァンは沈痛な表情で一度、言葉を区切った。
「このような喜ばしい日に、皆様へ不安を与えるご報告をしなければならないことを、誠に遺憾に思います。しかし、国民の生命と安全を守ることこそ、我々政府の最も重要な責務であります」
その声は低く、どこか異様な響きを帯びていた。しかし、言葉の一つひとつは、驚くほど冷静だった。
「昨日未明、西の島エルフィオンにおいて、エルフバリア塔が崩壊する重大な事故が発生いたしました」
会見場がざわめいた。
「現在までの調査によりますと、王立科学アカデミー研究所に所属するジン博士、およびその関係者が、許可を得ずに実施していた実験が原因である可能性が浮上しております」
記者たちが一斉に顔を上げた。リヴァンは表情を変えず、言葉を続けた。
「なお、これは現段階での調査結果であり、政府としては引き続き事実関係の解明を進めてまいります」
そのとき、演台の背後に巨大なホログラムが展開された。王国の防御網を構成する六芒星状の結界図が浮かび上がる。
西の塔を示す光点は、すでに消失していた。残る五基を結ぶエネルギーラインも、赤く点滅している。中央には、現在の結界維持率が表示されていた。
エルフバリア防御網・緊急監視情報
エルフバリア結界率・・・・15%
その数値は、会見が進む間にも、0.1%ずつ低下していた。
「西の島エルフィオンは現在、赤黒い瘴気に覆われ、一部の動物に魔物化が確認されています」
リヴァンは一度、言葉を区切った。
「島民の皆様については、近隣のヨナクル島への避難が完了したとの報告を受けております。しかし、島全域はいまだ極めて危険な状況にあります」
会見場の記者たちが、慌ただしく端末を操作し始めた。
「さらに、エルフバリア防御網の出力低下により、王都周辺においても魔物の侵入が懸念される事態となっております」
リヴァンは背後のホログラムを振り返った。
「ご覧のとおり、我が国を魔物の脅威から守り続けてきた防御網は、正常な機能を維持できなくなっています。現時点において、結界の自然回復は見込めず、政府は従来の防御体制を維持することは困難であると判断いたしました」
リヴァンは正面に向き直った。
「国民の生命と安全を守るため、政府はあらゆる措置を講じてまいります」
『……守る、か。くくく……実に愉快だな、リヴァン』
赤黒い眼の声が、脳裏の奥底から響いた。
『王家を破滅へと追い込みながら、その王国を守ると宣言するとは……なんとも滑稽なことよ』
リヴァンの眉が、わずかに動いた。
その瞬間、意識の奥底で、赤黒い眼に侵されながらも、長らく眠っていた温かな光がかすかに灯った。
(黙れ。私は、この国を守ろうとしている)
『ほう……まだ、そのようなことを言うのか』
リヴァンは一瞬、目を伏せた。
消えかけた理性の灯火が、最後の抵抗を試みるかのように揺らめいていた。
だが、その光を覆い隠すように、赤黒い影が静かに広がっていく。やがて、温かな光は影の奥へと沈んでいった。
リヴァンは小さく息を整え、再び正面を見据えた。
「ここに、王国全土に国家非常事態を宣言いたします」
その瞬間、記者会見場が大きくどよめいた。記者たちが一斉に声を上げ、無数のシャッター音が響き渡った。
同時に、全国へ生中継されているテレビ画面には、緊急ニュース速報のテロップが流れた。
【速報】エルフバリア防御網の機能不全を受け、リヴァン首相が王国全土に国家非常事態を宣言
リヴァンは騒然とする会場を見渡した。その口元に、誰にも気づかれぬほどの薄い笑みが浮かんだ。
「なお、今回の事件への関与が疑われているジン博士については、現在も所在が確認できておりません」
背後のホログラムに、ジン博士の顔写真が大きく映し出された。会場のざわめきが、再び大きくなった。
「政府は関係機関と連携し、ジン博士の行方を追っております。国民の皆様におかれましても、ジン博士の所在に関する情報をお持ちでしたら、速やかに治安局へご連絡いただきますようお願い申し上げます」
リヴァンは一度言葉を区切った。
「さらに、王国内の治安に関わる問題についても、ご報告しなければなりません」
記者たちの視線が、一斉に演台へと注がれた。
「政府は近年、王国内において、地下組織と称する一部の集団が秘密裏に活動していることを把握しております」
記者席に動揺が走った。数人の記者が顔を見合わせ、慌ただしく取材端末を操作し始めた。
「これらの組織と今回の事件との関連については、現在調査中であります。しかし、国家非常事態に乗じて社会の混乱を招く行為については、政府として断固たる措置を講じる所存です」
リヴァンの声が、わずかに低くなった。
「王国の秩序を守るため、必要な治安維持措置を実施してまいります」
「これらの組織と今回の事件との関連については、現時点で明らかになっておりません」
リヴァンはゆっくりと会見場を見渡した。
「国民の皆様には、政府の発表に基づき、冷静に行動していただきますようお願い申し上げます」
リヴァンの赤黒い眼が揺らめいた。
「さらに、政府の調査によって、極めて憂慮すべき事実が明らかになりました」
リヴァンは背後のホログラムへ視線を向けた。画面には、王立科学アカデミー研究所の施設図が映し出された。
「ジン博士は、政府が肝入りで進めてきました『高度知能化家政婦モンスター政策』を隠れ蓑として、王国の研究倫理規定に反する実験を秘密裏に進めていた疑いがあります」
研究施設の映像が切り替わる。
そこには、培養カプセルと、赤黒いエネルギーに包まれた魔物の姿が映し出されていた。
「高濃度エルフエナジーを利用し、我が国の防御網に対する耐性を備えた危険性の高い魔物を生み出そうとしていた可能性があるのです」
会場のざわめきが大きくなった。
「さらに、特別研究区の地下深くにおいて、王族の遺伝情報を利用した複製体。いわゆるクローン人間が製造されていた痕跡も確認されました」
「クローン人間……!?」
セルカが思わず立ち上がった。
「首相! それは王令で禁止されている研究ではありませんか!」
「そのとおりです」
リヴァンは、ゆっくりと頷いた。
「政府としても、断じて容認できるものではありません」
「問題は、それらの複製体の一部が現在も所在不明となっていることです」
リヴァンは、再び正面を見据えた。
「中には、イザリオ王子殿下、エルファーナ王女殿下と酷似した外見を持つ個体が存在する可能性もあります」
会場の空気が凍りついた。
「本日、奉祝行事にご臨席された王子殿下と王女殿下につきましては、政府がご本人であることを正式に確認しております」
リヴァンは一段と声を低くした。
「一方、今後、両殿下を名乗る不審な人物が王都や王宮周辺に現れた場合には、決して接触せず、速やかに王国治安当局へ通報していただくようお願いいたします」
リヴァンは隣に座るラマズドへ視線を向けた。
「ラマズド長官。発見された複製個体について、科学的な見地からご説明願います」
「承知いたしました、首相閣下」
ラマズドは静かに立ち上がった。
背後のホログラムに、イザリオ王子とエルファーナ王女の立体映像が表示された。
「今回、王研の特別研究区で確認された複製個体は、従来のクローン技術とは一線を画すものです」
ラマズドは淡々と説明を続けた。
「外見、声紋、さらには遺伝情報に至るまで、王家の人間を極めて高い精度で再現していると考えられます」
会場がざわめいた。
「つまり……本物の王子殿下と王女殿下との区別がつかないということでしょうか?」
セルカ記者の質問に、ラマズドは静かに頷いた。
「一般的な本人確認では、判別が困難な可能性があります」
その言葉に、記者たちの表情が強張った。
「さらに、これらの複製個体には、通常の人間を超える身体能力や、予測できない行動特性が備わっている可能性も否定できません。不用意に接触することは、極めて危険です」
ラマズドが一礼し席に着席し、リヴァンは再び演台の前に戻った。
「もう一つ、重大な発表がございます……」
リヴァンは画面越しに見守る国民の胸へ、不安を染み込ませるかのように言葉を続けた。
「国王陛下は、王立科学アカデミー研究所の特別研究区の視察おいて、制御不能となった魔物に襲撃され、現在、予断を許さない危篤状態にあられます」
会見場が大きくどよめいた。
「国王陛下が……!?」
「陛下のご容体は!?」
記者たちが次々と声を上げた。
しかし、リヴァンは片手を静かに上げ、質問を制した。
「王国医療団が懸命な治療を続けておりますが、政府といたしましても、最悪の事態を想定し、必要な準備を進めております」
会見場が、ざわめいた。
「最悪の事態とは、陛下の崩御も想定されているということでしょうか?」
セルカ記者の問いに、リヴァンは沈痛な表情を浮かべた。
「……その可能性も、否定できません」
リヴァンは静かに目を伏せた。
だが、リヴァンの脳裏には、幾重もの鋼鉄の隔壁に閉ざされたFR6室が浮かんでいた。
リヴァンは正面に向き直った。
「本来であれば、半年後に王宮セイラン城にて執り行われる予定でした。しかし、陛下が危篤状態にあられる今、王国の統治を停滞させるわけにはまいりません」
リヴァンは書状を掲げた。
「よって、国家非常事態における特例措置として、この誓書に基づき、王位継承の手続きを執り行います」
「国王陛下は、万一の事態に備え、王位継承に関する御意思を、あらかじめ文書にてお示しになっておられました」
リヴァンは演台の上に、一通の書状を置いた。
「こちらが、イーサム国王陛下の御意思を記した、王位譲位の誓書でございます」
背後のホログラムに、王家の印章と国王の署名が大きく映し出された。
「陛下の御意思に従い、第一王位継承者であるイザリオ王子殿下を、次代の国王としてお迎えいたします」
会場がどよめいた。
「首相! 国王陛下は危篤状態と伺っています。陛下ご本人の御意思は確認できているのですか?」
記者席から声が上がった。
「この誓書には、陛下の御署名に加え、王宮侍従長バルティスの副署もございます」
リヴァンは静かに微笑んだ。
「国王陛下が自らの御意思で作成された、正式な文書であることに疑いの余地はありません」
その言葉に、記者たちは顔を見合わせた。
「国家非常事態において、王国の統治に一刻の空白も生じさせるわけにはまいりません」
そして、正面のカメラを見据えた。
「よって、本日の記者会見終了後、この会場において、イザリオ王子殿下への王位継承の儀を執り行います」
会場に再びざわめきが広がった。そのとき、記者席の前列から、一人の女性が手を挙げた。セルカだった。
「首相。なぜ、王宮ではなく、この会見場で儀式を執り行うのでしょうか? また、国王陛下が危篤状態にある中、儀式を前倒しする法的な根拠は何でしょうか?」
リヴァンはゆっくりとセルカを見た。
その口元に、一瞬だけ冷たい笑みが浮かぶ。
「なぜ、ここで行うのかと?」
会場が静まり返った。
「それは……国家非常事態だからだ!」
突然の怒声に、セルカの肩がびくりと震えた。
「君! 国家非常事態だぞ!? それすら理解できんとは、一体、何年私の番記者をしているのかね!」
リヴァンは演台を強く叩いた。
「私の言っていることが、そんなに難しいか!!」
会見場が凍りついた。セルカは目を見開いたまま、言葉を失った。就任当時から、幾度となく取材してきたリヴァン首相。かつては、どれほど厳しい質問にも冷静に答えていた男だった。
その男が今、鬼のような形相で自分を睨みつけている。
「リヴァン首相……どうして……」
セルカの瞳から涙がこぼれた。
隣に座っていた女性記者たちが、慌てて彼女の肩を支えた。
「セルカ、大丈夫?」
「いったん外へ出ましょう」
セルカは顔を覆い、同僚たちに付き添われながら会見場を後にした。
その姿を見た記者たちが、一斉に声を上げた。
「首相! 今の発言は明らかな威圧ではありませんか!」
「セルカ記者に謝罪すべきです!」
「国王陛下が危篤であるという発表についても、説明が不十分です!」
「西のエルフバリア塔が崩壊した責任、そして倫理違反のクローン人間の制作責任は、ラマズド長官と首相にあるのではありませんか!」
質問と怒号が飛び交い、会見場は騒然となった。リヴァンは、しばらく無言で記者たちを見渡していた。そして、静かに告げた。
「治安部隊」
会場の両脇に控えていた隊員たちが、一斉に姿勢を正した。
「秩序を乱す者たちを拘束したまえ」
記者たちの表情が変わった。
「なっ……!?」
「我々は質問しているだけだ!」
治安部隊が無言で記者席へ歩み寄った。その様子を一瞥したリヴァンは、ゆっくりと正面のカメラへ視線を向けた。
リヴァンの意識の奥底で、赤黒い眼が囁いた。
『いいぞ、リヴァン』
『恐れよ、群衆よ。怒れ。そして、互いを憎め』
『その激情のすべてが、我が糧となる』
赤黒い瞳が、妖しく輝いた。
『やがて、この星は赤黒く染まる……』
『さあ、リヴァンよ。共に進もう』
『我らが築く、新たなる理想郷。ユートピアのために』
リヴァンの口元が、わずかに吊り上がった。
「……先ほど、私に辞任を求める声が聞こえたな」
口元に、薄い笑みが浮かんだ。
「私は、君たち国民が選んだリヴァン・カイザだ。この国の行く末を私に託したのも、君たち自身ではないのか?」
リヴァンの赤黒い瞳が、正面のカメラを見据えた。
「私は、君たちの生命と財産を守ろうとしている。魔物からな……」
その声が、低く沈んだ。
「そのことに感謝こそすれ、不満を口にする理由がどこにあるのかね?」
リヴァンはゆっくりと両手を広げた。
「ありがたく思いたまえ」
「ふざけるな! 国民の代表だからといって、何をしても許されるわけではない!」
一人の記者が立ち上がった。
「これは明らかな言論弾圧だ!」
だが、その抗議に応じるかのように、治安部隊が動き出した。隊員たちは抗議する記者たちの両腕をつかみ、次々と出口へ引きずっていった。
「離せ! 我々には報道する権利がある!」
記者の叫びが、会見場に響き渡った。
やがて、重い扉が閉まった。
残された記者たちは、誰一人として声を発しなかった。この光景が全国へ生中継されていることを、誰もが知り、放送は続いていた。
テレビの前で見守る国民もまた、目の前で起きた出来事を信じられずにいた。
国民から英雄と称えられた首相。その男が今、国民の声を力で封じ込めようとしている。この日を境に、イーサム王国の自由は、静かに失われ始めた。
◆ 潜航艇〈オルシオン〉船内
照明を落とした船内では、正面の大型モニターに、リヴァン首相の緊急記者会見が映し出されていた。
しかし、その中継はすでに終了していた。画面には、無機質な王国政府の紋章とともに、緊急放送のテロップが流れていた。
『国家非常事態宣言の発令に伴い、すべての通常番組を中断しております……』
その冷たい文言が、船内の静寂をいっそう際立たせていた。
イザリオ王子は拳を固く握りしめ、身じろぎもせず画面を見つめていた。
エルファーナ王女は顔を伏せ、会見の途中からずっと嗚咽を漏らしていた。
ルーネが、その背を優しく支えた。
「大丈夫です、エルファーナ様。陛下はきっとご無事です」
何度も繰り返すその声にも、隠しきれない不安が滲んでいた。
しばらくの間、誰も言葉を発しなかった。やがて、イザリオが重い口を開いた。
「……つまり、我々が偽物だと言いたいのか」
怒りを押し殺した低い声が、静まり返った船内に響いた。
ロスクが拳を握りしめた。
「おそらく、複製体を王位に就かせ、リヴァンが背後から操ろうとしているのでしょう」
「……ヒロノゼウス」
イザリオは、険しい表情で振り返った。
「父上が王研で魔物に襲われたという話は……本当なのか?」
その声には、怒りだけでなく、隠しきれない不安が滲んでいた。
ヒロノゼウスは、すぐには答えなかった。
「……現時点では、確認できておりません。ですが、政府の発表をそのまま信用することはできません」
イザリオは唇を噛みしめた。
「……そうか」
その短い言葉には、父の無事を信じたいという願いと、拭いきれない疑念が込められていた。
「ジン博士は行方不明……。そして、僕たちの複製体を利用して、王位まで奪おうとしているのか……」
王子の拳が、さらに強く握りしめられた。
「リヴァン……お前は最初から、この国を欺いていたというのか……」
王子の声が低く沈んだ。
ヒロノゼウスは静かに頷いた。
「イザリオ様。王研でも、以前から人間の複製に関する極秘研究の噂はありました」
「西の塔の破壊も、すべて仕組まれていたというのか?」
「その可能性は否定できません。西のエルフバリア塔の崩壊、王族の複製体、そして今回の王位継承……」
ヒロノゼウスは、一つひとつの出来事を確かめるように続けた。
「これらが一連の計画だとすれば、王国の中枢を内側から掌握しようとしていることになります」
イザリオの瞳が揺れた。
「なぜだ……。なぜ、父上や国民から、あれほど信頼されていた男が……?」
ヒロノゼウスは、しばらく沈黙した。
「……以前、ジン博士から聞いたことがあります」
「ジン博士から?」
「はい。リヴァン首相が、ある存在と接触したのではないかという噂です」
イザリオが眉をひそめた。
「ある存在……?」
「赤黒い眼です」
「……赤黒い眼、だと?」
王子は、記憶を探るように呟いた。
「それは……古くから伝わる寓話ではないのか?」
イザリオは言葉を続けた。
「人が決して触れてはならない、禁断の眼。知恵と力を授ける代償に、心を蝕み、怒りや悲しみ、嫉妬といった負の感情を喰らう……意思を持った眼」
ヒロノゼウスは頷いた。
「ジン博士は、その伝承を単なる寓話として片づけてはいませんでした」
「どういうことだ?」
「博士は、赤黒い眼の正体を、高次生命体の意識残滓――いわば、エネルギーそのものに知性が宿った存在ではないかと推測していました」
「意識残滓……?」
「はい。仮にその推測が正しければ、赤黒い眼は接触した人間の脳波と共鳴し、記憶や価値観、感情にまで干渉する可能性があります」
ヒロノゼウスの表情が険しくなった。
「単なる洗脳ではありません。思考そのものを徐々に書き換え、やがて宿主の意識を取り込んでいく……一種の同化現象です」
イザリオは目を見開いた。
「では、我々が西の島で遭遇した、あの赤黒い瘴気も……赤黒い眼の一部なのか?」
「その可能性は高いと考えています」
ヒロノゼウスは、眼鏡型ガイドスコープの記録を呼び出した。
「西の島で観測された赤黒い瘴気には、通常の魔力反応とは異なる、特異なエネルギーの痕跡が残されていました」
空中に、赤黒い粒子の解析映像が浮かび上がった。
「ジン博士の仮説では、この存在は人間の怒り、嫉妬、絶望といった負の感情に共鳴し、エネルギーを増幅させるとされています」
「それが……魔物を変異させる原因なのか?」
「ええ。生体組織への干渉を引き起こし、魔物化を促進している可能性があります」
ヒロノゼウスは一度言葉を区切った。
「現在、我々が確認している有効な対抗手段は、エルフバリア塔に祀られている神石の浄化作用です」
「では、赤黒い眼そのものを退ける方法は……?」
ヒロノゼウスは静かに首を振った。
「残念ながら、まだ発見されていません」
イザリオは深く息を吐いた。
「まさか……本当に、寓話が現実になるとは……」
王子は、先ほどまでモニターに映っていたリヴァンの姿を思い返した。
「リヴァン……お前は、いつから変わってしまったのだ……?」
誰も、その問いに答えることはできなかった。ただ、潜航艇の機関が発する低い唸りだけが、重苦しい沈黙を包んでいた。
その傍らで、エルファーナは顔を伏せ、こらえきれない嗚咽を漏らしていた。
「お父様が危篤に……」
ルーネが、そっとその肩に手を添えた。
「陛下は、きっとご無事です。信じましょう……」
だが、その声にも、不安を押し殺すような震えが混じっていた。
イザリオは妹のもとへ歩み寄り、その背を優しくさすった。
「エルファーナ。父上は、きっと回復される」
「お兄様……」
「レイチェの言葉を思い出せ」
イザリオは、妹の目を見つめた。
「祈りは、必ず天に通じる」
その声は静かだったが、確かな力を帯びていた。
「信じよう。必ず、父上と再び会えると。だから……祈ろう。心から」
エルファーナは、涙に濡れた瞳で兄を見上げた。
(そうだわ。お兄様の仰るとおり……)
かつて、根の洞で兄が命の危機に瀕したとき。そして、瘴気に侵されたクルサ・ガルヴァを救おうとしたとき。
自分の胸の奥から溢れ出した、あの温かな光を思い出した。
(あのときも、ただ助けたいと願った……)
(私の祈りが、あの光となって届いたのなら……今度も、きっと……)
エルファーナは涙を拭い、静かに顔を上げた。
「はい、お兄様。……私、お父様のために祈ります」
小さく震えていた声に、静かな決意が宿った。
エルファーナは胸の前で両手を重ね、そっと瞳を閉じた。
(お父様。どうか、ご無事でいてください)
その瞬間。ふわり、と優しい風が船内を吹き抜けた。外界から隔絶された潜航艇の中に、風が吹き込むはずはない。
それなのに、頬をそっと撫でるような、温かな風が確かに流れていた。
「……くしゅんっ」
エルファーナが、小さなくしゃみをした。驚いたように目を開き、慌てて口元に手を添える。けれど、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、身体の奥まで染み渡るような、どこか懐かしいぬくもりを感じていた。
その様子を見て、ルーネがそっと微笑んだ。
「エルファーナ様。もしかすると、祈りがお父様に届いたのかもしれませんね」
「……え?」
「古い言い伝えでは、一度のくしゃみは、願いが天に届いたしるしとも言われているのですよ」
イザリオも静かに頷いた。
「エルファーナの祈りには、きっと誰かを癒す力がある。僕は、それを誰よりも知っているから」
その言葉に、エルファーナは胸元へそっと両手を重ねた。
胸の奥に、小さな温かな光が灯ったような気がした。
(お兄様、ルーネ……ありがとうございます)
(きっと、お父様にも、この想いが届いたんだわ……)
エルファーナの頬を、ひと筋の涙が伝った。けれど、それはもう、悲しみだけの涙ではなかった。絶望に沈みかけていた心に、確かな希望が芽生えていた。
「……うん」
エルファーナは涙を拭い、二人に向かって小さく頷いた。その顔には、ようやく柔らかな笑みが戻っていた。ヒロノゼウスはその様子を見守りながら、そっと目を細めた。
(エルファーナ様は、もう大丈夫)
そう心の中で呟きながら、彼もまた静かに微笑んだ。
そのとき。
通信端末が短い電子音を発した。
「……通信?」
ヒロノゼウスが端末を取り出すと、発信者の名前が表示されていた。
――ルーフ・カリーニ。
「ルーフからだ」
ヒロノゼウスが通信を開くと、淡い光が空中に広がり、ルーフのホログラムが浮かび上がった。
『ヒロノゼウス! よかった、つながった!』
「ルーフ。そちらは無事か?」
『ええ。私たちは無事よ。でも……大変なことになっているわ』
ルーフの背後には、険しい表情を浮かべたクロノスの姿があった。
『首相の記者会見は見た?』
「ああ。こちらでも確認した」
ルーフは一度息を整えた。
『ジン博士のことなんだけど……』
ヒロノゼウスの表情が変わった。
「博士の居場所が分かったのか?」
『いいえ。まだ見つかっていないの。でも、気になることがあるのよ』
ルーフは、手元の端末に視線を落とした。
『博士は視察当日の朝、アクアゲートに生じた時空の歪みを確認しに向かったそうなの』
「……アクアゲート?」
ヒロノゼウスが眉をひそめた。
『ええ。それを最後に、博士の足取りが途絶えているの』
イザリオも顔を上げた。
「ヒロノゼウス。ジン博士を探し出すことはできないのか?」
ヒロノゼウスは、イザリオへ向き直った。
「もちろんです。博士は、この事件の真相を知る重要な人物かもしれません」
そして、再びホログラムへ視線を戻した。
「ルーフ。クロノス統括官にも伝えてくれ。博士の最後の通信記録と、アクアゲート周辺の観測データを確認してほしい」
『分かったわ。すぐに調べてみる』
「頼んだぞ、ルーフ。くれぐれも気をつけてくれ」
『ええ。あなたたちも気をつけて』
そのとき、ルーフの隣から、ジャックエルフがひょっこりと顔を覗かせた。
『ヒロノゼウス。ルーフ母さんたちは、僕が守るから安心してください!』
ヒロノゼウスは、わずかに表情を和らげた。
「頼んだぞ、ジャックエルフ。だが、お前も無茶はするなよ」
『はい!』
ヒロノゼウスは小さく頷き、ホログラム通信を終了した。そのとき、船内の大型モニターから、緊急放送を告げる電子音が鳴り響いた。
そのとき、船内の大型モニターから、緊急放送を告げる電子音が鳴り響いた。
『臨時ニュースをお伝えします。これより、イーサム王国王位継承の儀を特別中継いたします』
船内にいた全員の視線が、一斉にモニターへ向けられた。
コメント
1件
うわあああ!第60話、マジでヤバかった…😭💦 リヴァン首相のあの変貌、身震いしたよ…赤黒い眼に蝕まれてるのに「国を守る」って言い張るの、もう胸が痛すぎる。セルカ記者に怒鳴るシーンで涙出た…かつての優しい首相はどこに…😢 でもエルファーナの祈りが優しい風になってくしゃんってなるシーン、めっちゃエモかった!!そこは絶対残してほしい希望の光だよね🌟 60話も読ませてくれてありがとうございます!毎回クオリティ高すぎて震える…次の話も楽しみにしてます🌸✨