翌朝出勤した杏樹は窓口で機械に紙幣と硬貨をセットしていた。
開店前はいつも穏やかな雰囲気の中で開店準備のルーティーンを行なう。
そして午前8時40分になると朝礼が始まった。
この日は新しい副支店長が初出勤の日だったのでどんな人が来るのかと皆興味津々だった。
時間になると2階からぞろぞろと行員達が降りて来る。
行員やパート従業員が全員集まった所で最後に支店長の葛西(かさい)と前副支店長の前田が新しい副支店長を連れてやって来た。
全員揃うと朝礼係の女性行員が声を張り上げる。
「おはようございます」
「「おはようございます!」」
「10月1日火曜日の朝礼を始めたいと思います。では副支店長…」
そこで朝礼係の女性は前副支店長の前田へ司会を引き継いだ。
「えー、では新しい副支店長をご紹介します。黒崎君前へ」
「はい」
低い声と共に前田副支店長の後ろにいた男性が一歩前に進み出た。
その途端女性社員やパート従業員達からはため息が漏れる。
『ほぉー♡』
『え? マジで?』
『超イケメン♡』
『若いわねー♡』
『カッコイイ!』
女性達は仲間内だけに聞こえるように小声で囁く。
その時の杏樹は向かいに並んでいる正輝と目を合わせたくなくてじっと床を見つめていた。
しかしあまりにも周りがどよめいているので視線を上げ赴任して来たばかりの副支店長を見た。
その瞬間杏樹の身体が凍りついた。
(えっ?)
そこに立っていたのはあの時の男だった。
そう、それは杏樹が正輝に振られた日にワンナイトを過ごしたあの超絶イケメン男だったのだ。
杏樹の様子がおかしい事に気付いた美奈子はすぐに肘で杏樹の身体を突く。
『どうしたの?』
『あっ、い、いえなんでもありません……』
杏樹が慌てて答えた時男性が自己紹介を始めた。
「初めまして、経営企画部から来ました黒崎優弥(くろさきゆうや)と申します。支店勤務はかなり久しぶりなので慣れない点が多々あるかとは思いますがどうぞよろしくお願いいたします」
そこで皆が拍手をした。
女性陣は穏やかでありながら力強さも備えたその美声にうっとりとしながら満面の笑みを浮かべている。
「黒崎君は38歳で独身だそうだ。だからといって気軽に手を出しちゃ駄目だぞー」
支店長の葛西は年配のパート従業員達の方を見ながら冗談めかして言う。
するとパートの女性達は、
「やだわぁー支店長ったら」
「そんな事しませんよー」
と拗ねたように抗議する。それを見ていた優弥はパート従業員達に向かってニッコリ微笑んだ。キラースマイルだ。
その瞬間女性達からは、
「「「キャーッ」」」
という悲鳴が湧き上がる。
反対側にいた正輝は面白くなさそうな顔をしていた。
その時隣にいた正輝の2年後輩の高畑(たかはた)がヒソヒソと小声で言った。
「随分若い副支店長ですよねぇ、おまけにイケメンで独身? すっかり女性達の心を掴んじゃいましたねー」
「フンッ、どうせ見せかけだけだろう?」
「でもほら、見て下さいよ、女性達はすっかりデレデレですよ?」
気になった正輝が向かいにいる女性陣を見ると高畑の言う通りほとんどの女性がうっとりと優弥を見つめている。
その時正輝はちらりと杏樹を見た。
しかし杏樹だけはなぜか青ざめた表情をしている。
(あの顔は杏樹が困っている時の表情だな……一体どうしたんだ?)
正輝は無意識に副支店長の優弥に視線を戻す。すると優弥は微笑みを浮かべ杏樹をじっと見つめていた。
(ん? なんであいつは杏樹を見つめているんだ?)
正輝は不審に思う。
その時朝礼係の女性が再び声を張り上げて言った。
「では挨拶を復唱して下さい」
「いらっしゃいませ」 「「いらっしゃいませ」」
「ありがとうございました」 「「ありがとうございました」」
「またのお越しをお待ちしております」 「「またのお越しをお待ちしております」」
「本日も笑顔で頑張りましょう。では朝礼を終わります」
朝礼が終わると従業員達はぞろぞろと自分の持ち場へ戻って行く。
朝礼の間中呆然としていた杏樹は、席に戻る前に勇気を出してもう一度優弥の方を見た。
その時二人の視線が絡み合う。
優弥は杏樹の視線をしっかり捉えるとニヤリと笑ってから後方にある副支店長席へ座った。
優弥と目が合った杏樹は慌てて視線を逸らした。
(なんで……なんであの人がここに? どういう事?)
まだボーッとしている杏樹を見て美奈子が言った。
「ほら杏樹、店開いちゃうから準備準備! まさか二日酔い?」
「あ、す、すみません。ちょっと寝不足かな? ついボーッとしちゃいました」
「やだー寝不足? じゃあ今日は早く帰ってちゃんと寝なさいよ! まだ火曜なんだから」
「はい…そうします…」
杏樹は慌てて開店準備の続きを始める。
表面上は平静を装っていたが杏樹の心臓はドクンドクンと高鳴ったままだ。
時折背中に強い視線を感じたが杏樹はあえて振り返らないようにした。
(まさかこれが毎日続くの? 勘弁して!)
杏樹は予想もしなかった事態にうろたえつつも、来店客を迎える準備に集中しようとした。
コメント
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黒崎さんはワンナイトの前から杏樹ちゃんを知ってたのかな🤩
胸元に💋マーク残したくらいだからこれからが期待大だわ😍
ワクワク☺️