「わ、私は……」
差し伸べられた手。熾震の選ぶ道は――
「狂座のエリミネーターだ。貴方とは……違う!」
――否定。その手を掴む事無く、はっきりと。それが彼の答。
「君の信義の強さは分かるよ。だが狂座に義理立てした処で、無駄死にするだけ。私は君にそんな道を歩ませたくはない」
否定されたにも拘わらず、あくまでその人物は穏やかに諭し続けた。
「私は無駄死にするつもりもない。自分自身の力で、限界を超えてみせる――誰の力も借りずに!」
だが熾震の決意は変わらない。彼は大きく飛び退いて間合いを取り、その者へ向けて刀を構えた。
「君の揺るがぬ意思……強いね。でも何のつもりかな? 私に刃を向けるのだとしたら、それこそ無意味な事だよ」
熾震の明らかな敵対的行動に、彼の穏やかな口調も俄に変わる――気がしたが、依然として流される事無く体勢を崩さないそれは、正に余裕の顕れ。
「無意味な事は分かっているつもりです……。それでも私は貴方を……この場で倒す!」
熾震は敵わないと悟りながらも、震える手を――あらゆる恐怖心を振り払って、眼前の絶対的存在と対峙する。
「そうか……本当に残念だよ」
彼は何処か寂しそうに――呟いていた。
「くっ!」
刀を構えて対峙した熾震は、改めて思い知らされた。その存在の大きさに。
“ただ其処に居るだけで、何という威圧……”
勝てる訳が無いーーと。
だが彼は未だに丸腰処か、臨戦態勢すらも取っていない事。
これはある意味、唯一にも等しい好機だ。
それでも熾震が躊躇するのは、一見隙だらけのようでその実、全く隙が見当たらないからに他ならない。
“だが――行くしかない”
意は決した。小手先の技は不要にして無意味。己の全てを出す。
繰り出すは最大最速にして、最強の一撃のみ。
「――覚悟!」
切った鯉口から放たれるは、冷たい迄に輝く波紋の煌めき。
“イレイザーズ・エッジ――”
抜の抜による無拍子連結抜刀。かつての自分には、刹那の間に十六往復が限界だった。
だが限界を超えてその速度は更に上昇し、無から最高速へ達するは神速――正に神業の領域へ。
“三十六連斬”
発動事前に止められる事無く“抜いて”しまいさえすれば、防げる手段は――皆無。
空間は一瞬で切り裂かれ、風切り音は後で届く。
「…………」
その刹那の剣閃の前に、彼は丸腰のまま微動だにしない。
“決まった――”
彼が何かしらの行動を移す前に、確かに抜ききった――が。
「なっ――!?」
熾震は驚愕に崩れ落ちようとする。
“な……何故?”
確かに抜いた筈なのに――彼は微動だにしなかった筈なのに、幾多にも斬られていたのは自分の方だった事が。
「ぐっ……」
傷付き俯せに倒れた熾震は微動だに出来ない。全身を被う無数の裂傷に、夥しい出血量は己でなくとも助からない事は一目瞭然だった。
何故自分が倒されたのかは解らない。解らないが――
“やはりこの人は……次元が違い過ぎる”
最初から闘う事自体が無謀だった事は、改めて痛感させられた。
「その技の頂き、見事だったよ」
その人物は見下ろしながら熾震を讃えたが、気休め以外の何物でもなかった。彼にはその刃が届く以前の問題でしかなかったのだから。
だが熾震に後悔は無い。この道を選んだ時から、何時かこの時が来る事を。そしてそれが“最も憧れた人物”によって、その幕を降ろされるのなら、武人としてこれ以上望む事は無い。
「君には新しい世で生きて欲しかったのだが……」
その人物は屈み、既に温もりを失いつつある熾震の頬に手を添える。
「ならせめて癒されて欲しい。痛みも悲しみも――生きる苦しみも無い安住の地で」
その手は冷たくも――暖かかった。
既に痛みは無い、と言うより消えた気がした。
「さよなら――」
そして熾震を残して消える。その場に最初から存在しなかったかのように。
“雫……幸人よ、後は頼む。そして……気をつけろーー”
悠久の闇に堕ちる間際、熾震はかの同僚に危機を伝えたかったが、それが形となる事は無かった。
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