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帰りはバスで帰るつもりだった。しかし、結局は高原に言いくるめられた形になって、彼の車で送ってもらうことになってしまう。ただ、本音を言えば助かった。今日は色々なことがありすぎて疲れていた。
その原因のほとんどは彼にあった。私はこれまで彼のことを、とにかく無愛想で嫌味で感じの悪い人だと思っていた。だからこそ、そんな彼が見せる私を気遣うような行動や、ふとした時に浮かべる自然な笑顔、そしてその瞳の奥にある優しい光に、いちいち心が揺れた。その感情のふり幅の激しさは、かつて経験したことがないほどだ。
助手席のシートに背を預けて、私は小さなため息をついた。
それを耳にした高原が、エンジンをかけようとしていた手を止めてふっと笑う。
「気疲れでもしたか」
私はつんけんと答える。
「えぇ、あなたのおかげで」
「それは悪かったな。――ところで、家はどの辺り?」
「えぇと……」
正直に住所を伝えるべきかどうか迷った。言っても特に問題はなさそうだが、なんとなく教えたくない。
「何を警戒しているのか知らないが、部屋を教えろって言っているわけじゃない。とりあえずは近くの目印を教えてくれ」
あ、そうか。目印ね――。
「それなら、白山神社の駐車場で下ろしてもらえますか」
「なかなか渋い目印だな」
くすっと笑う高原に私は淡々と言う。
「そこから近いですし、境内の駐車場なら止めやすいと思いますので」
「了解」
高原は納得した顔で頷いて、静かに車を発進させた。
白山神社はこの辺りでは大きな神社だ。一年を通して、何かしら祭りやイベントを行っている。今の時期は、そろそろ紅葉の季節ということで、境内の所々にライトアップが施されていた。
高原は神社の敷地内にある駐車スペースに車を止めた。他に止まっている車はなく、境内を歩く人影もまばらだった。
「ここでいいのか」
「はい」
私はシートベルを外して頭を下げた。
「送ってくださってありがとうございました。それから、食事もご馳走さまでした。私はこれで失礼します」
車から降りようとドアに手をかけた時、高原が私を引き留めた。
「せっかくの神社だ。ちょっとお参りでもしていかないか?」
「え……?」
私は戸惑った。彼は知らないのかもしれないが、ここは縁結びの神社である。
「ここまで来て素通りするなんて、神様に失礼だろ」
「それはそうかもしれませんけど……」
私は高原の顔をまじまじと見つめた。ただでさえ読めない表情が、薄暗い中ますます読めない。
「どうして一緒に参拝しなければいけないのでしょうか」
「ん?逆にどうして一緒に参拝しちゃだめなんだ?」
その声音にからかうような響きを感じ取る。もう何も言うまいと、私は力なく沈黙した。
いずれにせよ、彼ははなから私の答えを待っていたわけではなかったのだろう。エンジンを止めてさっさと車を降り、助手席のドアを開けた。
「行ってみようか」
「はぁ……」
気のない返事をして車から降りる。お参りしたらそのまま帰ってしまえばいいのだと考えながら、私は参道に向かう彼の後に続いた。
参拝を済ませて参道を戻る途中、小さなくしゃみが出た。日中は程よい気温であっても、秋の夜は少し冷える。こんな時間に外にいることになるとは思っていなかったから、今朝は上着を着ずに出勤してしまっていた。
「大丈夫か?寒い?」
高原に訊ねられ、私は首を横に振る。
「大丈夫です」
「ちょっと待って」
彼は足を止めてスーツのジャケットを脱ぎ、それを私の背中にかけた。
「だ、大丈夫ですから!」
私は焦り、ジャケットを脱ごうとした。
しかし高原は私の両肩に手を置いて、その動きを止めた。
「せめて車まで着ていたらいい」
「でも」
「気にするな」
大きなジャケットはぶかぶかで、そこに残った彼の温もりのおかげで温かかった。
本当はいい人なのかしら――。
そんなことをふと思いながら、私は彼の背を追った。
本当は適当な所で適当なことを言って、さっさと帰ってしまうつもりだった。しかしこのジャケットのおかげでタイミングを逃し、結局駐車場まで来てしまった。ジャケットを脱ぎ、私は彼に声をかける。
「これ、ありがとうございました」
振り返った高原に、私はジャケットを差し出した。
「私はここで帰ります」
ところが彼はジャケットを受け取ろうとしない。戸惑う私に彼は訊ねた。
「家はこの近く?」
「え?えぇ、北高の近くです」
「北高なら、ちょうど通り道だ。そこまで乗せていこう」
「いえ、お気持ちだけで結構です」
「君が頷いたら、そのジャケットを受け取ろう」
「は?」
頬がぴくりと引きつる。
「早く受け取ってください」
「君が頷いたらな」
「何を言ってるんですか。もうっ、いいから早く受け取って!」
苛々してつい大きな声が出てしまった。
しかし高原はまったく動じず助手席のドアを開け、私を促す。
「そのままだと冷えるだろ。諦めてさっさと乗りな」
「……っ」
この人には何を言っても軽くかわされてしまう。私は面白くない気分で下唇を噛んだ。
「……分かりました」
これ以上の抵抗を諦める。しかし、悔しさは前面に押し出したままだ。私は渋々と車に乗り込んだ。