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結局、アパートの前まで送ってもらった。
車に乗ってからも場所をはっきりと言わない私に、高原はからかうように言ったのだ。
「俺が君を襲うとでも思ってるのか?早瀬さんって、けっこう自意識過剰なんだな」
カチンとした私は、まるで乗せられてしまったかのようにアパートの場所を教えてしまった。
この人といるとまったく調子が狂う。苛立ちを抑えながら私は彼に礼を言った。
「今日は、本当に、色々とありがとうございました」
急いでシートベルトを外し、ドアを開けようとしてふと手を止める。大事なことを言い忘れるところだったと、私は高原に向き直った。
「あの、ですね」
彼はハンドルに腕をかけて、フロントガラスの向こう側を眺めていたが、私の声に首を回す。
「何?」
「今後のことですが」
私は舌先で唇を軽く湿らせ、仕事用の改まった口調で言った。
「今日は初回ということもあって私が対応いたしましたが、今後は何かあれば、まずは営業の大宮にご相談いただけますでしょうか。その方が話も早いですし、お互いのためにもその方がよろしいかと思います」
「お互いのためっていうのは、どういう意味?」
高原が反応したのは、うっかり口を滑らせてしまった部分だった。聞き流してはくれなかったかと、彼の目を避けて私は答える。
「私以外の者が対応した方が、高原さんにとっても色々とやりやすいのではないか、という意味です」
「どうして?俺は早瀬さんに対応してほしいんだけど」
「それは、ですね……」
私がやりにくいからだ――。
それが本音だったが、口に出すのはさすがに憚られて、私は口ごもった。
「この前大宮さんも言ってたじゃないか。早瀬さんと一緒にサポートするって」
「それは、そうなんですが……」
先日マルヨシの社長の元で高原と再会した時、そういう話をしたのは確かだ。確かなのだが……。
「えぇと、とにかくっ、ご相談は私でなくとも誰でもお受けできますので、それでお願いしますっ!」
すんなりと頷いてくれない高原に苛立って、逆切れ気味に言ってしまった。しかしすぐに我に返り、冷静になる。彼は先日の話を、ただ素直に受け取っているだけなのだ。さすがに今の態度や言い方は失礼すぎたと反省し、彼の顔色を伺う。そこに怒りや腹立ちなどは見えず、少しだけほっとする。私は詫びた。
「大変失礼しました……」
「まぁ、それでも構わないんだけど」
おもむろに口を開いたかと思うと、彼は私の頬に手を伸ばしてそっと触れた。
「な、なんですか……っ」
彼の手から逃れようと、私はドアに背中を押しつけた。
「今度また、君に食事につき合ってもらうためにはどうすればいい?」
街灯の灯りが車の中まで届き、高原の姿を浮かび上がらせた。そこには私を真っすぐに見つめる彼の目があった。
彼の手から逃げたくても、車の中ではこれ以上の距離が取れない。私は彼を見据えながら声を絞り出した。
「手を、離して下さい……」
「そうだな。連絡先を教えてくれたら離そうかな」
高原はそう言って、私の頬を指先でつうと撫でた。
「……っ!」
私は彼から顔を背けた。胸の奥で鼓動がどくどくと音を鳴らしている。
「わ、分かりました。教えます、教えますからっ。離して下さいっ」
私の訴えに高原はあっさりと手を引っこめた。
「それじゃあ、今ここで連絡先を交換しようか」
高原が私の反応を面白がっているのを感じながら、バッグの中から携帯を取り出す。嘘の番号を言ってもすぐにばれそうだと、諦めの境地で深いため息をつく。
「ここに君の番号を入れてもらえるか」
私は渋々と高原の携帯を受け取った。自分の電話番号を打ち込み、その画面を見せながら彼に戻す。
「この通り、ちゃんと入れました。確認したいなら、今ここでかけてみればいいわ」
高原は携帯を受け取り、通話ボタンをタップした。私の携帯の着信音が鳴る。
「今のは俺の番号だ。ちゃんと登録しておいてくれよ」
「あなたが私の番号を登録していれば、問題ないのでは?」
嫌味ったらしく言ってやったのに、高原は可笑しそうに笑う。
「確かに。それでも着拒なんて真似はしないでくれよな」
「……っ」
私の方は振り回されて感情が激しく乱れまくっているのに、どうしてこの人はそんなに余裕の態度なのだろう。腹立たしい気持ちがふつふつと湧き上がってきて、それを言葉にせずにはいられなくなった。
「……もうっ!」
感情が先立ち、高原が大事な取引先の御曹司であることは、私の頭からすっかり吹き飛んでいる。
「いったいなんなの?どうしてそんなに私に構うの?この前とは全然別人じゃない。何を考えているのか、まったく理解できない!」
ひととおり文句を言い終えて肩で息をしている私に、高原はとても静かな声で言った。
「僥倖だと、思ったんだ」