――いつまでも穏やかな日々が続くなんて、夢見てちゃいけなかったのかもしれない。
* * *
私、古賀しおりは25歳。
ごくごく普通の一般企業で、OLとして働いている。
だけど、ひとつだけ周りに内緒にしていることがあって……。
それは――。
「しおり、今日はちょっと帰ってくるの遅くなるかもしれない」
「そうなんだ?」
「撮影が終わる時間が見えなくてさ」
「分かった! 章くんが帰って来るまで、夕食は待ってるね?」
私は癖で、章くんの顔をじーっと見ながら話した。すると、章くんは微妙に視線を逸らしながら……。
「いや、別に先に食べてくれてていいけど……」
「えっ、でも一緒に食べたいなって。それに毎日一緒に食べられるわけでもないし、私が待ってたいの」
「分かった、しおりに任せるよ。行ってきます!」
そう言うと、章くんは私の頭をポンと撫でて、仕事へと出かけて行った。
実は私、同い年の人気俳優、宮原章くんと付き合っている。今はその……俗にいう、同棲中なのだ。
こんなこと、周りにバレたら大変だからお互いに今は誰にも言わないようにしている。
なぜ、章くんと付き合うに至ったかというと、昔からの幼なじみってやつで、昔からずっと一緒にいた。それでお互いに好きだという気持ちが判明して、その流れで付き合うようになった。
だからといって、付き合う前と何か変わったかというと、そうでもない。
章くんは、いつだって優しいし、私のことを一番に考えて大事にしてくれている……と私は思っている。
こんな話は周りにできないため、友達も私が章くんと付き合っていることなんて知らない。
友達の中でも、何かの時のために、ひとりくらい知っててほしい気もするけど、相手が相手だしそうもいかないわけで。
(章くんとのためだから……我慢、我慢)
章くんを仕事に送り出すと、私も自分の準備をし始めた。
職場は、この同棲しているマンションの最寄り駅から電車で通っている。これも章くんとのことがバレないための策のひとつだ。
私も準備を終えると、家を出た。
* * *
会社に着くと、みんなそれぞれ出勤してきていて、徐々に揃い始める。
私が自分のデスクに着くや否や、後輩の石上ちゃんが話しかけてきた。
「古賀先輩、おはようございます!」
「あっ、おはよう。石上さん」
相変わらず、石上さんは朝から元気だ。
彼女は年齢的には私のひとつ下で、まだ入社したばかりの女の子。仕事でも色んなことに興味を持ってくれて、覚えも早い。
私にはまだ後輩がいなかったから、後輩という存在が出来たこと自体が嬉しかったりする。
そして、実は彼女には同期の男の子もいて……。
「おはようございます、古賀さん」
「おはよう、安藤くん」
(この子はこの子で、落ち着いてるんだよね……)
安藤くんは、石上さんと同い年で、よく彼女と仕事でペアを組んでいる。
お互いに出来ないことを補い合いながら仕事をこなしているのを見ると、微笑ましく思う。
私には同期と呼べる存在がいないから、先輩の背中を見て学んでいる。
分からないことを聞くのも状況によっては聞けなかったりするから、同期という存在は、いるに越したことがない……と思う。
でも、今となっては、自ら考えて行動するということもしっかりとできるようになったから、それはそれでよかったのかもしれない。
先輩も後輩も、その人それぞれ性格も異なるから、自分に合うかどうかなんて、ガチャみたいなもの。
(こんなこと口に出したら怒られそうだけど……)
私は先輩にも後輩にも恵まれている。
「古賀さん、今日は昨日の資料をまとめるところから始めますね」
「うん、よろしくね、安藤くん。助かるわー」
「いえ。古賀さんから任された僕の仕事なので、しっかりやり遂げます」
「ありがとう」
……と、まぁ……少々真面目過ぎるところもある。
(安藤くんのいいところでもあるんだけどね)
石上さんも、安藤くんも共に、とても接しやすく素直なふたりなので、仕事はとてもやりやすい。
* * *
その日の夕方。
定時になり、仕事を終えると家に向かう。
家の最寄り駅で電車を降りてから、近くのスーパーで買い物だけして家に帰ると、ちょうど章くんからチャットが届いた。
【今日はやっぱり、少し遅くなりそう。ほんと時間が分かんないから、先に食べて寝てていいよ】
そう、メッセージに書かれていた。
彼の仕事は俳優業のため、毎日、時間が不規則だ。それは仕方ない。私も慣れている。
付き合っていても、お互いの生活の時間のズレがあるため、こうして同棲しようって話になった。同棲すれば、章くんがどれだけ遅く帰ってきても、朝に顔を合わすことができる。
それだけでも私は嬉しい。
(多分、私のほうが好き度は高いよね!?)
どちらのほうが好きかなんて、きっとそれぞれ物差しが違うのだから測りようがないのだけれど。
* * *
そんなある日。
早めに仕事が終わって帰ってきた章くんから、驚くような話が飛び出した。
章くんは改まった様子で、ソファに座り、私のことも隣に座らせて、私の目を見ながら話し始める。
「いつ話そうか迷ってたんだけど……」
「うん……」
そんなに緊張した感じで話を切り出すなんて、章くんにしては珍しい。
(なんか……私まで緊張してきちゃったよ)
「俺たち、結婚しない?」
「け、結婚!?」
思わず、声が上ずってしまった。
そんな話の前兆なんて何もなかったのだ。
急に結婚なんてワードが章くんから出てきたら、どうしたのかと思ってしまう。
私個人的には、今の同棲のままでもいいと思っているけど、章くんは章くんなりにケジメをつけようとしてくれているのだろう。
それはすごく嬉しいことだ。
「しおりとは幼なじみから始まって、付き合い始めて、同棲もしているから……正直、このままでもいいのかもっていう気持ちはあるけど、付き合い始めて結構年月も経ってるし、そろそろケジメをつけたほうがいいかなって思ったんだ」
「……うん、嬉しい! 私もこのままでも十分幸せだけど、章くんと家族になれるのはめちゃくちゃ幸せだよ!」
「よかった。断られたらどうしようかと思ったよ」
そう言いつつ、両手で頭を抱えるフリをする章くん。
同棲までしてるし、私が断るわけなんてないのに。
「でも、結婚ってなると……色々大変じゃないの? 章くん」
「それなんだけどさ。ひとつ提案があるんだ。公にはせず、お互いのごく一部の人だけに話して『極秘結婚』するっていうのはどうかな?」
「なるほど……」
結婚できることは嬉しいことだけど、友達とかに言えないという条件付き。ほんの一部の人にしか言えないのは、章くんの立場上、仕方ないことだとは思う。
逆に、結婚して何か変わるのか……と考えると、表立って何か変わるわけでもなさそうだというのが正直なところ。
(そういえば、名前はどうするんだろう?)
何も変わらないと思っていたけど、表立って変わるといえば、そこだ。
章くんは本名で活動しているし、私が『宮原しおり』になるのはいいけど、色々問題が起こらないか心配ではある。
「章くん、名前はどうするの? 私は『宮原』になる分には構わないけど……」
「それだけどさ、別姓のままで……要するに、名前は変えずにいようかと。どう思う?」
「うん、私もそれがいいと思う。私も変わっちゃうと、誰と結婚したの? って周りにも聞かれちゃうと思うし」
「そうだよな。しおりさえ良ければ、夫婦別姓でいこうか」
「いいよ」
私たちは、別姓のまま極秘結婚することになった――。
* * *
結婚して、1週間。
お互いの両親は、結婚していることをもちろんもう知っている。
結婚式は出来ないと伝えたら、残念がられてしまったけど。
色々手続きも落ち着いてきたため、私たちは、章くんの事務所の幹部の人たち、章くんのごくわずかな知り合いにだけ話すことにした。
私も友達に話したかったけど、一般人ということもあり、どこで漏れるか分からないため、それは控えることにした。
友達を信用していないわけではないけど、こればっかりは何かあったとき、章くんにも迷惑をかけてしまうかもしれないから、慎重にしないといけない。
(結婚したけど、私の周りは何か変わるわけでもないから、なんだか不思議な気分……)
結婚を隠していかなければいけないから、私自身も、間違っても口が滑らないようにしないと。
* * *
極秘結婚後も、章くんは今まで通り何も変わらない。私も変わらない。
……そう思っていたけど、不穏な空気は静かに足音も立てず、近づいていたのだ。
極秘結婚前から、章くんはたまに家に帰ってこない日はあった。それは、私は仕事で帰ってこれないんだと思っていたのだけど、私の考えはどうも甘かったのかもしれない。
ある日の夜。
章くんからチャットが届いた。
【今日は帰れないから、夕ご飯もいらないし、寝てて。ほんと、待ってなくていいから】
いつもと変わらないメッセージに見えたけど、最後の一文が、すごく圧をかけられてるように思えたのは初めてだった。
(そんな念押ししなくてもいいのに……)
この日を境に、章くんは家に帰ってこない日が――。
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コメント
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新連載ありがとうございます!これからの展開が楽しみです⸜(*ˊᗜˋ*)⸝
お久しぶりです!もしくは、初めまして✨️春野です。 本日より、新連載がスタートしました‼️ ドロドロ系は『マンション不倫』の連載以来ですね。 今作は【毎週月曜日20時】に最新話が公開される予定ですので、ぜひ読んでいただけると嬉しいです。 よろしくお願いいたします😌