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「聡一朗から話は聞いているよね? その件で上がらせてもらいたくて来ました」
ん? 聡一朗さんから?
聞いた記憶がない。
最近は忙しかったし、昨晩からはあんなことがあったし……伝えるのを忘れたのかもしれない。
「どうぞお入りください」
お引き取りいただくわけにもいかなかったので、私は開錠ボタンを押した。
「いやぁ初めて来たけれど大きなマンションだね。ここまで来るのに迷うかと思ったよ」
部屋に入って早々、柳瀬さんは明るく笑った。
画像で見るよりとても綺麗な顔をされていて、背も高くてジーパンにジャケットを羽織った姿が、すごく似合っている。
いい意味で、あまり大学教授という感じがしない。
ハリウッド映画に出てきそうなハンサムで垢抜けた大学教授という表現が思いつくような容姿で、きっと海外の女性からもモテるんだろうなぁと思う。
硬派な聡一朗さんと仲がいいというのが、ちょっと不思議なくらいだ。
「今日は授賞式があるんだろう? 忙しいところお邪魔してごめんね。なにぶん俺もスケジュールが詰まっていてね、今日しか機会がなかったものだから」
「いえとんでもない。お会いできてうれしいです」
とコーヒーをお出しすると、柳瀬さんは恐縮されて、
「いやいや、なのでおかまいなく。手を合わさせてもらったら、すぐにお暇するので。実はこの後は空港に行かなくちゃならなくてね」
とソファから立ち上がったので、私は慌てた。
「申し訳ありません、実は主人から事情を聞きそびれていまして――あの今日はどういったご用件で……」
「え」
柳瀬さんは、アメリカ暮らしを感じさせる器用に片眉を歪ませた表情を見せた。
そして「ったくあの野郎……」と独り言ちて、溜息をつくように肩を落とし、少し固い顔つきになってソファに腰をうずめた。
「実は聡一朗のお姉さんに手を合わせたくて来たんだよ。命日がもうすぐだから」
「え?」
今度は私が驚いた。
「そう、だったんですか……」
命日が近いなんて初めて知った。
聡一朗さんはなにも教えてくれなかった。
忘れていたのか。それとも教える必要はないと思っていたのか……。
言葉を詰まらせている私を見て察したのか、柳瀬さんは気遣うように声を潜めて訊いた。
「聞いてなかったのかい。命日のこと」
「はい……」
柳瀬さんは、ちっと舌打ちした。
「ひとまず、手を合わさせてもらっていいかな」
「はい、どうぞ」
私は仏壇がある部屋に案内した。
柳瀬さんは、線香を添えるとじっと写真を見つめ、長く長く手を合わせた。
そして、最後にもう一度、写真を見つめる。
その真剣な顔には、悲しみが宿っているように見えた。
こうして忙しい合間を縫って手を合わせに来たことからも察することができるけれども、きっと柳瀬さんも、お姉さんとは浅からぬ交流があったのかもしれない。
リビングに戻ってソファに腰を掛けると、柳瀬さんはコーヒーを一口すすって口を開いた。
「お姉さんのこと、あいつは君にほとんどなにも教えていないのか?」
どこか意味深な言葉に私は素直にうなずいた。
「はい、亡くなったこと以外はなにも」
「ったく、本当になにも知らせてないんだな、あの野郎は。愛しい妻になにやってるんだ」
苦笑いを浮かべつつ、私は内心で「そんな存在ではないからです」と答える。
愛している、と聡一朗さんは言ってくれた。
嬉しかった。
でも、こうしてお姉さんのことを知らせてもらえていない事実を知って、その喜びは小さくしぼむ。
たとえ愛されていても、私は聡一朗さんの心の奥底には分け入らせてもらえない。
一人で背負いこむ孤独を解消してあげられる存在ではないんだ……。
ついうなだれてしまう私を見て、柳瀬さんは少し沈黙した後、意を決したように話し出した。
「あいつにとってお姉さんはかけがえのない存在だった。それこそ両親以上だったかもしれない。そんなお姉さんを亡くした時、あいつはとても見ていられない状態にまでなったよ。ほっとけば、彼女のもとに行ってしまうんじゃないかと心配するくらい」
そこまで……。
両親を失った時の悲しみと重ね、私は聡一朗さんの深い悲しみを想い、胸を痛ませた。
「苦しみから逃げ出すように、あいつは一心不乱に研究に勤しんだ。その甲斐あって、あの若さで教授になったわけだが、どんな肩書や名声や富を得ようが、あいつは孤独だった」
「……聡一朗さんは、つねに毅然としていて冷静で完璧でしたけれど、どこか壁がありました。壁で四方を囲ってなにかを必死に隠しているような……」
それが、結果的に聡一朗さんを孤独に追い込ませた。
「私では、あの方のその壁を取り払ってあげることはできません。聡一朗さんは私をとても大切にしてくれます。でも、けしてその壁の内には入らせてもらえない……」
ぽつりと言う私の言葉を否定するように、柳瀬さんは強い口調で言った。
「あいつが君にお姉さんのことを言わないのは、君を信頼していないからじゃない。むしろ、その逆だからだよ」
……どういう、意味だろう。