テラーノベル
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違和感は、音もなくそこにあった。
それは殺気でもなければ、視線でもない。
——ただの“気配”。
「……?」
フォージャー家を出てから数日後。
再び私は“ リナ”として 、
この家を訪れていた。
「リナさん、こんにちは!」
最初に声をかけてきたのはヨルさんだった。
変わらない、柔らかな笑顔。
少しだけ不器用で、優しい声音。
「こんにちは、ヨルさん」
「実は今日、アーニャさんリナさんがくるって言ってて、朝からずっと楽しみにしていたんです!」
「えっ、そうなんですか?」
「はい!とても元気で……」
そう言いながら、ヨルさんは
嬉しそうに笑う。
「りなのおねーさ〜ん!!」
噂をすれば、元気な声。
リビングから飛び出してきた
アーニャちゃんが、私の手を掴む。
「きょう、がっこうで校長が——-!」
息もつかせぬ勢いで話し始める。
——そう、いつも通り。
よく喋る。
よく笑う。
よく動く。
それなのに。
「……」
目が合うと、
アーニャちゃんは一瞬だけ、
意味ありげににやっと笑った。
——やっぱり、知ってる。
でも、言わない。
それがこの子の“賢さ”だ。
「アーニャさん、リナさんが
困ってしまいますよ?」
「え〜?…ごめんさい。」
注意されれば、素直に謝る“イイ子”。
……だからこそ、余計に厄介だ。
リビングでお茶を飲みながら、
私は周囲をさりげなく観察する。
壁、家具、動線。
——その時。
キッチンで、ヨルさんが包丁を落とした。
「……あ」
乾いた音。
反射的に、私は視線を向ける。
次の瞬間——
ヨルさんは、落ちた包丁を
ありえない速さで掴んでいた。
音もなく。
迷いもなく。
まるで——
最初から、そうなると分かっていた
かのように。
「だ、大丈夫ですか!?」
先輩が声をかける。
「は、はい! すみません、
少し手が滑ってしまって……」
ヨルさんは慌てた様子で頭を下げる。
頬を赤らめて、申し訳なさそうに。
……けれど。
今の動き。
一般人の反射神経じゃない。
「……」
私は何も言わず、湯呑みを置いた。
——気づいてしまった。
この人は、
“守る側”じゃない。
“斬る側”だ。
「りなのおねーさん、どうしたの?」
アーニャちゃんが首をかしげる。
「なんでもないよ。」
そう答えると、彼女はじっと私を見て、
また笑った。
——分かってる。
私が、
今、何に気づいたかを。
それでも、アーニャちゃんは何も言わない。
ただ、楽しそうに話す。
「きょうのばんごはん、ピーナッツでる?」
「ええ、アーニャさんの好きなものを
用意していますよ!」
「やったー!」
——平和な会話。
穏やかな時間。
嘘みたいに、普通の家族。
でも私はもう戻れない。
この家の奥に、
隠された“刃”を見てしまったから。
帰り際。
「今日はありがとうございました、リナさん」
ヨルさんは丁寧に頭を下げる。
「こちらこそ。」
その手は、細くて、温かくて。
——人を殺せる手だとは、誰も思わない。
玄関を出る直前、アーニャちゃんが
小さく 手を振った。
「リナのおねーさん、バイバ〜イ!!」
無邪気な声。
いつも通りの可愛らしい動き。
でも、その瞳は——
私を、まっすぐ見ていた。
全部知っている子どもの目。
外に出て、私は静かに息を吐く。
〈IRIS〉として、
これは“報告案件”だ。
それでも。
「……できないな」
誰にも聞こえない声で、そう呟いた。
嘘でできた家族。
嘘を抱えた大人たち。
そして、嘘を黙って見守る子ども。
——この家は、
壊れやすくて、
あまりにも、あたたかい。
私は今日も、
スパイとして“間違った選択”をする。
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