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「あーーー……。なんか、ごめんな?」
誉――専務が横目で俺を見て言った。
俺は最後の一貫を、ほぼ丸呑みした。
「……なにが」
「絶対ない、とか言わせちゃって?」
「……別に」
女性にはモテると思う。
だから、驚くほど落ち込んでいるのは、きっと、対象外だと言われたことがないから。
「いい子ね、乾さん」
「……そう言っただろ」
専務から補佐として来て欲しいと言われた時、正直気乗りしなかった。
実際、断った。
人間不信気味で引きこもっていた俺には、荷が重かった。
どうしてもと言われ、渋々引き受けたのは、一人で気ままに調査していいと言われたから。
だが、奥山商事について全く知識のない俺が、一人でふらっと店に行き、食事をして帰って来るだけでは、調査として不十分なのは明らかだった。
そこで、パートナーをつけると言われた。
それが、昨日のこと。
エスカレーターの事故の後のことで、気が滅入っていた。
事故のことは、専務と黎琳には話さなかった。
そんな調子で帰ろうとエレベーターを降りた時、乾さんを見つけた。
まさか、同じ会社とは。
急ぐ彼女の後を追い、声をかけようとした時、全体重をかけて扉を開けようとした。
危ない!
そう思って走り出し、案の定、扉の向こうに転げそうになった彼女を、寸でのところで抱き留めた。
どれほど急いでいるのか、深々と頭を下げて礼を言った彼女は、階段を駆け下りて行く。
俺は、一段飛ばしで後を追い、地下駐車場で彼女が乗った社用車を見つけた。
真剣な表情で、前のめりになってハンドルを握り、ノロノロと走り去った。
俺はナンバーを覚え、黎琳に頼んで、今朝の事故から俺を救ってくれたのが乾さんだと突き止めた。
ひと言お礼が言いたくて、玄関で待っていた。
退社する人たちの視線に、立ち去りたい衝動に駆られたが、柱の陰に隠れて持ちこたえた。
そして、乾さんが現れた。
彼女は腕に封筒を抱えていて、俺は少し離れて後を追った。
郵便局から出て来た彼女の手に封筒はなく、カフェの前で立ち止まった彼女に声をかけた。
お礼を言って立ち去るつもりだった。
経験上、女性に必要以上に関わるとろくなことがない。
だが、彼女は俺を人間不信にした女性たちとは全く違う反応を見せた。
「今朝は、突然変なことを言ってしまって、すみませんでした」
深々と頭を下げられ、ギョッとした。
お礼を言おうと思ったのに、謝られてしまった。
しかも、お礼を言ったら、すごく心配そうな表情をされた。
失礼な言い方だが、乾さんは俺がこれまでの人生で関わってきた女性たちとは全然違うタイプだった。
外見の話だ。
見るからに気が強そうで、化粧が濃く、香水もきつく、赤や黒のネイルをして、さして親しくもないのに腕を組んでくるような女性に、よく好かれた。
いつの間にか付き合っていることにされたり、突然抱きつかれたり、気づけば視線を感じたり、鞄に下着を入れられたこともある。
「メスを引き寄せるフェロモンでも出てんじゃね?」と誉は笑っていたが、俺としてはまったく笑えない。
とにかく、女性と言えばグイグイ、グイグイ迫ってくるイメージだった。
だが、乾さんは違う。
だからか、お礼に食事を、なんて言ってしまった。
一生懸命走る彼女を見たからか、カフェの看板の前で目を輝かせる彼女に、ご馳走したくなった。
まさか、目の前で大事故が起こるとは思わなかったが、彼女の言葉を信じて彼女の同僚を助けられて本当に良かった。
今朝も、だ。
正式な入社は来週からだが、社屋に慣れるくらいはしておこうかと思い、昨日より三十分ほど早く家を出た。
が、昨日の事故現場に行く気になれず、朝のコーヒーを諦めて会社に向かおうとして、乾さんに会った。
そして、階段から落ちそうになった彼女を助けた。
ここまでくると、縁があるように思える。
子供の頃から『王子様みたいな顔してるのに、色々残念』だなんて言われてきた俺が、昨日から感謝されっ放し。
嬉しかった。
彼女は、俺を『残念』だなんて言わない。
そう思って、誉に乾さんの名前を出した。
どうせ誰かと仕事をするなら、彼女がいいと思った。
人事部ということも都合がいいかもしれない。
誉がすぐに彼女を呼びつけたのには驚いたが、ちゃんと言っておいた。
乾さんは、今まで俺が関わってきた女とは違う、と。
それなのに、誉の奴……。
彼女を試すようなことを言って、俺の残念エピソードまで暴露しやがった。
猛ダッシュでデザートを買って帰った俺は、誉の話を聞いて、部屋に怒鳴り込もうと思った。が、乾さんの言葉に、それが出来なくなった。
「誰よりも残念に思ってるのは、鴻上さん自身だと思います」
つらかった。
リレーの選手に選ばれてから、毎日走り込んだ。修学旅行の班リーダーになってばっちり計画も立てた。いつも机に押し込まれているバレンタインのチョコだが、告白して手渡されて嬉しかった。バイト先で知り合った女性に、暴力を振るう恋人と別れたいと縋られて、本気で助けてあげたいと思った。
だから、リレーを走れなくて悔しかった。修学旅行に行けなくて悲しかった。手作りチョコで腹を壊して苦しかった。女性に騙されたと知って情けなくなった。
だけど、俺にぶつかった子の気持ちを思えば、怒れなかった。修学旅行を楽しんだ友達を思えば、不機嫌な表情はできなかった。チョコをくれた子の気持ちを思えば、きみのせいじゃないと言うしかなかった。恋人に脅されたと泣く女性を思えば、もういいからと言うしかなかった。