その週はいつものように穏やかに過ぎていった。
今週綾子は道の駅には行かない事にした。日曜日に叔母のたまきと行ったばかりなので今週は行くのをやめてまた来週行く事にする。
その代わり行きつけのスーパーや旧軽銀座へ出向き食料品や美味しいパンを買った。
その夜綾子は神楽坂仁のドラマ『依子さんのディープな恋』を観た後そのままテレビをつけていた。
最近以前よりもテレビをつけている時間が増えた。
綾子がお気に入り番組は毎週放送されているガーデニング番組と旅番組だ。以前はどんな素敵な観光地を観ても心ときめかなかったのに最近は旅番組を見て行ってみたい場所がいくつも増えた。
綾子はテレビをつけたままやりかけの刺繍を手にする。
するとちょうど30分のトーク番組が始まった。この番組は確か先々週も観た。その時のゲストは綾子が好きな人気ガーデナーだった。
番組が始まると司会者の掛け声でゲストがスタジオに入って来た。そのゲストを見た瞬間綾子は凍り付く。
そこには綾子の元夫・松崎隼人がいたからだ。
綾子は隼人を見たまま身体が硬直する。なんとか必死に右手を伸ばしてリモコンを手にするとテレビを消そうとボタンに指をかける。しかしその指が止まった。
綾子はリモコンを握ったままテレビを凝視していた。
(もう逃げるのはよそう____)
信じられない事に綾子の頭にはそんな言葉が浮かんできた。
不思議だ。
今までは隼人の名前を目にするだけで強烈な不快感に襲われていたのに今は逆に闘志のようなものがみなぎってくる。
「この男は人殺し、この男は私の息子を殺した人殺し、理人を殺した人殺し___」
綾子は無意識にブツブツと呟く。
「私の息子を返してよ! 理人を返しなさいよ!」
やがて言葉は意志を持つ。その時綾子の頬に一筋の涙が伝っていた。
綾子は涙を流したまま憎い男が笑顔で映る画面を睨みつけていた。
そこでトーク番組が始まった。
「さー、今日のゲストは数々のドラマをヒットさせている人気脚本家の松崎隼人さんでーす、どうもー」
「どうもこんばんは、松崎です」
「松崎さんは確かこの番組へのご出演は2度目でしたよね?」
「はい、6年前に一度お邪魔しました」
「そうでした、もう6年経つんですねー。6年の間にいろいろありましたね、いやー大変でしたね」
「はい、色々ありました」
「事務所から許可を得ているのであえてお伺いしますが、交通事故とお子様とのお別れ、そして離婚……本当に大変でしたね」
「まあ、そうですね……」
隼人は苦笑いをする。
「交通事故は松崎さんとお子様が乗られていた車にトラックが突っ込んで来たんですよね?」
「そうです。本当に運が悪かったです」
「お子さんはおいくつでしたか?」
「3歳でした」
「一番可愛い盛りですよね。本当になんと申し上げていいのか……」
「いえ、お気遣いなく。もうだいぶ時間が経ちましたから」
「事故当時奥様はいらっしゃらなかったんですよね?」
「あ、はい、妻が……いえもう離婚しましたので元妻ですが、彼女は友人の結婚式に行っておりまして」
「なるほど、で、松崎さんがお子様の面倒を見ていらっしゃったと。そしてお子様の他界後に離婚を?」
「はい。元妻が精神的に病んでしまいましたので」
「無理もないですよねー。でも松崎さんのせいじゃないでしょう? あの交通事故の過失はトラックの方にあったんですよね?」
「そうです。だから余計にあの日あの時間にあの場所を通らなければと何度も悔やみました」
「そうだったんですねー、いやーこの6年の間は本当に色々と大変だったようでお察しいたします」
「ありがとうございます。なんかしょっぱなからしんみりした話になっちゃったので話題を変えましょう。このままじゃ視聴率取れませんから」
隼人はそう言って爽やかな笑顔を見せた。
「あ、すみません、ゲストの方にお気遣いいただいて。でもこの件に関しては当時色々な憶測が出回っていたので今ここではっきりさせた方がいいかなーと。ファンの方も気になっているでしょうし」
「ありがとうございます。でも今言った事が全てです。当時は私が愛人と密会していたなんていう噂も出回りましたが子連れで密会なんてあるんですかね? ハハッ、あの頃は息子を失っただけでもショックだったのにそんな噂まで出て本当に精神やられました」
「ですよねー、子連れで密会はかなり無理があるのではー? と当時私も思いましたから。でも今ここではっきり仰っていただきスッキリしました。おそらく松崎さんのファンも納得したと思いますよ。さーて、ではしんみりした話はここまでにして次は今放映中の新ドラマにについてお聞きしようと思うのですが______」
綾子は両手をギュッと握り締めたまま画面をじっと睨んでいた。隼人が芝居じみた顔で平気で嘘をつくのを見て思わず吐き気がこみ上げてくる。
交通事故の原因は隼人のハンドル操作ミスだと警察は言っていた。
そして事故を起こした車の助手席には女優の白鳥ほのかが乗っていた。
それは事実で間違いはない。
だから相手のトラック運転手に過失はなかった。
しかし隼人はこの真実を全て金の力で封じ込めた。
事故の原因が隼人にあった事、そして助手席に有名女優が乗っていた事はなかった事とされた。
それは隼人の金の力だけでなく、白鳥ほのかが所属する大手芸能事務所の力も働いていたのだろう。
当時、有名週刊誌の『週刊四季』だけがこの真実に辿りつき記事にした。しかしその後すぐに記事は取り下げられ訂正記事と謝罪文まで掲載された。おそらく出版社にも圧力がかかったのだろう。
そして真実は深い闇の中へ葬られ松崎隼人は悲劇の脚本家として一躍注目を浴びた。
綾子と隼人が出会ったのは綾子が勤めていた銀座の画廊で開かれた個展だった。
有名画家の絵画展を見に来た隼人が受付にいた綾子に一目ぼれする。それから隼人の猛烈なアタックが始まった。
綾子は当時脚本家として売れ始めていた松崎隼人の事は知っていた。もちろん彼が脚本を書いたドラマも知っている。
しかし隼人から受ける印象は『チャラそうな人』というイメージだったので綾子は隼人からの誘いを無視した。
しかし綾子が何度断っても隼人はしつこくアタックしてくる。
そしてとうとうある日綾子が勤務を終えて画廊を出た所で待ち伏せをしていた隼人が声をかけてきた。
隼人は当時テレビにもよく出ていたので世間に顔が知られていた。しかし隼人はこの時サングラスもかけずに人々が行き交う中で綾子に向かって大声で叫んだ。
「今日食事に付き合ってくれたらもう諦めますから。だから一度だけ付き合って下さい」
隼人はあえて道行く人に自分の存在を知らしめるように言ったので綾子は焦る。そしてなんとかこの状況を逃れようと、
「一回お付き合いすればもう来ないんですね?」
そう確認してからその夜食事に付き合う事にした。
その後二人は隼人が行きつけの日本料理の店へ行く。料理を食べながら二人はビールと日本酒を飲んだ。
綾子は酒に強かったので少しくらい飲んでもどうって事はない。
しかしこの日はやたらと酔いが早く回る。酔いだけではない。なぜか睡魔が襲ってくる。
あまりにも強烈な眠気が襲うので綾子は一度頭を冷やそうと化粧室へ行った。そして少し落ち着いたところで再び席に戻り隼人が注いでくれた日本酒を一口飲む。
そこで綾子の意識がなくなる。
次に綾子が目が覚めたのはホテルのベッドの上だった。
隣を見ると隼人が裸で寝ていた。もちろん綾子も何も身に着けていない。そこで綾子はゾッとした。
酒に強い綾子が酔って意識を失う事等今まで一度もなかった。しかし昨夜はまだあまり飲んでもいないのにすぐに酔いが回り猛烈な睡魔が襲ってきた。
(もしかしたらお酒に何か入れられた?)
すぐにピンときた綾子は震えあがる。しかしその証拠は何もない。
綾子は物音を立てないように服を身に着けると逃げるようにホテルを後にした。
その後もしつこく隼人からの電話やメッセージが続いていたが綾子は無視し続けた。
しかし二ヶ月ほど経った頃体調に異変を感じた。当時綾子には恋人はいなかったので思い当たるのはあの夜だ。
悩んだ末綾子は隼人に連絡を取り妊娠の事を伝える。そして二人は結婚した。
綾子は好きでもない男との子供を身ごもり結婚したのだ。自分の意志ではないとはいえ妊娠したのは事実だった。
やはりあの日隼人と食事にいくべきではなかった。
しかしいくら悔やんでもお腹に宿る小さな命に罪はない。だから綾子は子供の為に我慢して好きでもない隼人との結婚を決意した。
しかし綾子は結婚してからある事に気付いた。隼人は女を追いかける『過程』が好きなのだと。
隼人は女性を手に入れる『過程』を楽しみ実際に手に入れてしまうと途端に興味をなくす男だったのだ。
彼が女性に対して求めるのはスリルだけなのだ。落とした女には途端に興味を失う。だから綾子のように子供を産んだ女など論外なのだ。
そこで音楽が聴こえてきたので綾子はハッとした。
ちょうど隼人が出演していた30分のトーク番組が終わった所だった。
綾子は金縛りが解けたように急に身体が軽くなった。
(隼人を見ても逃げなかったわ。私逃げなかったのよ……)
綾子はそう思いながらフフッと笑った。
「『他人の不幸の上に幸せは成り立たない』って以前誰かが言ってたわ。神様、どうか奴らに天罰を!」
綾子が祈るような気持で呟いた時、ちょうど『God』からのメッセージが届いた。
コメント
9件
酷すぎるというか、薬を盛って....とか、 それって犯罪だよね😱 あげく、自分の運転操作ミスで幼い子の命まで.... アヤツと浮気相手には いつか絶対に天罰が下るでしょう⚔️
綾子さんは松崎との結婚、そして理人くんを失った事で人生の底を見たのですね……でも、もう大丈夫、神様✨は手を差し伸べ綾子さんを底から救い出してくれるからね💖