次の日仁は世田谷区内の国産車のディーラーにいた。
「頼むよぉ岡ちゃん、どーしても車がほすぃーのー! ねっ、お願いっ! 大至急!」
「うちはレンタカーじゃないんですから急に言われても無理ですっ」
「そこをなんとか頼むよぉー」
「だーめーでーすー! それに先生はjeepに乗り換えちゃったじゃないですかー、だからうちとはもう取引ないでしょ?」
「だーかーらーちょうどここのSUV車買おうと思ってたって言ったじゃーん。でも急に車が必要になってその時期がちょっと早まっただけ―」
「jeepはどうするんですか? jeepは!」
「ああ、あれ? あれはあれで乗るよ。心配しなくても駐車場は二台分あるから大丈夫だ。もう一台のスポーツカーはもう売っちゃったしー」
「ハッ? あのドイツ車買ったばかりですよね? 高級外車のスポーツタイプを売ってまさかのうちの国産車? それもSUV? 2台SUV持ってどうするんですかー?」
「うん、やっぱり国産は燃費がいいから一台は持っておきたいんだよなー。それに別にSUV2台持ってたっていーじゃん」
「まあそれはそうですけどー、でも普通は持たないんじゃないですか?」
ディーラー営業マンの岡村(おかむら)は思わず苦笑いをする。
「おっ? 何か? ここのディーラーは客が現金一括で新車買おうって言ってんのに売ってくれないんですかー? そんなディーラーでいいんですかーーー?」
仁が大きな声で言うと来店していた客が一斉に振り向く。
「わ、わかりましたから大きな声を出さないで下さいよ」
「ん、じゃー売ってくれる?」
「わかりました。ただ数日以内は無理です」
「えっ? この展示品でいいって言ってんのに駄目なの?」
「一応車両整備と登録等で一週間は見て貰わないと」
「一週間? いや駄目だもっと早く!」
「無理ですってぇー」
「現金一括だぞ? おまけに今月の岡ちゃんの成績になるんだよなー?」
仁は煽るように言う。
「うーん、じゃあ6日」
「5日」
「5日ですかー? いやー間に合うかなぁ?」
「ヨシッ、決まりだ!」
「もうー相変わらず先生は強引だなー、わかりましたよ、5日後までになんとかします」
「よーーーしっサンキュー! さすがは営業マンの星、岡ちゃんだねぇ」
仁はニコニコしながらうんうんと頷く。そして晴れて展示してあるシルバーのSUV車をゲットした。
実はこの車は仁が本当に買おうと思っていた車だったのだ。本来ならもうちょっと暇になってから買いに来る予定だった。もちろん新車が来るまでゆっくり待つつもりでいた。しかし急に状況が変わった。
軽井沢へ行く際jeepで行くと目立ってしまう。かといってレンタカーで行く気にはなれない。長旅は愛車で行きたかった。
そこでこの展示車に目が留まる。色もグレードも仁が求めていたものと合致した。
このディーラーとはjeepを買うまで長い付き合いがあった。もちろん営業マンの岡村とも顔馴染みだ。直談判すればなんとかなると思い今日はあえてここに来たのだ。
仁はご機嫌な様子で手続きと支払いを済ませると自宅へ戻った。
帰りの車で仁は昨夜の『エンジェル』とのやり取りを思い出していた。昨夜『エンジェル』は少し元気がないように思えた。
(文字だけじゃぁ感情の細かい所まではわからねーなー)
仁はそう思いながらマンションへ戻った。部屋に戻るとすぐに机の前に座る。
軽井沢には来週行く予定にしているのでそれまでに少しでも新作の執筆を進めておきたい。ついでに2~3依頼が来ているコラムやエッセイもまとめてやっつけすぐに寄稿した。急ぎの仕事は片付いたのであとはノートパソコンを持って行って向こうで執筆しようと思っている。
仁はとりあえずキリのいい所まで仕事を片付けると夕食を食べに再び外出した。
翌週の月曜日、仁は国産SUV車を無事に納車してもらった。5日という過去最短での納車に尽力した岡村に対し仁は労いの言葉と菓子折、そして出版社から貰った今上映中のSF映画のチケット2枚を渡した。
岡村はちょうど観たい映画だったと泣いて喜ぶ。
マンションの駐車場に納車されたSUV車はもちろん外も中もピカピカだった。展示車とはいえ店に来てまだ数日だったのでほとんど新車と同じだ。
装備のオプションも仁が必要とする物はほぼついていたので仕様にも問題はない。
仁は早速納車されたばかりの車にjeepの中の必用な物を移し替えていった。そして車の準備が整うと今度は部屋に戻りスーツケースを出して旅の準備を始める。
出発は明日の火曜で期間は2泊3日だ。別荘に行くのは久しぶりだったので本当はもっと長く滞在したかったがどうしても金曜に東京での仕事があるのでそれが限界だった。
準備を終えた仁が再び執筆へ戻ろうとすると『エンジェル』からメールが来た。
【『フロストフラワー』読み終えました。Godさんが仰った通り今の私には必要な本だったかもしれません。とにかく読み終えた後すっきりした気持ちで私もヒロインの真悠子のように強く生きたいって思えました。最後の阿寒湖でのシーンには思わず泣いてしまいました。私もいつか阿寒湖でフロストフラワーが見てみたいです】
『エンジェル』の感想を見て思わず仁の頬が緩む。そしてすぐに返事を書いた。
【素敵な感想をありがとう。今度神楽坂先生に会ったら伝えておくよ。きっと喜ぶと思います】
【神楽坂先生には本の寄贈の件くれぐれもよろしくお伝え下さい。本当だったら何かお礼をしたいのですが…】
【お礼なんて気にしなくていいよ。それにお礼なら感想で充分だと思うよ】
【Godさんがそう仰るのなら…。あ、じゃあお仕事中お邪魔しました。また!】
【あ、ちょっと一つ聞いていい? 今週って道の駅に行くの?】
【? 行こうとは思っていますが…でもどうしてですか?】
【あ、いや、そろそろ新蕎麦の季節かなーって。もし食べたら感想聞かせてくれる?】
【わかりました。Godさんもお蕎麦好きでしたもんね】
【うん。そっち行って僕も食べたいなー】
【フフッ、私がGodさんの分も食べておきますのでご安心下さい】
それを読んだ仁は思わず微笑む。
【ズルいなー。じゃあまたね】
二人はそこでメールを終えた。
仁はスマホをデスクの上に置くとキッチンへ行き先ほどドリップしたコーヒーをカップに入れる。そして一口飲んだ。
(俺は一体何をしようとしているのか? 会ってどうする? もし『エンジェル』がとんでもない不細工でイメージとは全く違ったら? そうじゃなくてももしかしたら『エンジェル』には旦那がいてごく普通の主婦だったりしたら? いや他にも色々な可能性はある。メールだけでのやり取りだと良いイメージばかりを想像しがちだが現実は全く違う事だってあるだろう。それでも会いに行くのか? がっかりするかもしれないのにわざわざ会いに行く価値はあるのか?)
仁は自問自答する。そしてその答えがわからずに頭をクシャクシャっと掻き回す。
(いや、それでもエンジェルがどんな女性か知りたいんだ。悦子にはドラマ制作の為と嘘をついてしまったが本当はエンジェルがどんな女性なのかが気になって仕方ないのだ。だから俺は行くんだ。彼女を一目見るだけだ。一目見たらそれでいい。決して話し掛けたり交流は持たないと心に誓う。毎日メールのやり取りをしている女の生活をほんの一瞬覗き見するだけだ。彼女には決して気付かれないよう細心の注意を払うんだから……)
そこで仁はハッとする。
「おっ、そうそう帽子とサングラスを忘れないようにしないとなー。おっとマスクもか?」
仁はクローゼットへ帽子を取りに行った。
その夜寝る前仁は思い返していた。初めて『エンジェル』とメールを交わした時の事を。
『エンジェル』から貰ったメールにはなぜか『死』が付きまとっているような気がして気がかりだったのを覚えている。
それは彼女のプロフィールに『生きる事の意味』を問う内容が記されていたからかもしれない。
しかしメールのやり取りを重ねるうちに仁が感じていた『死』の意味がわかった。彼女は交通事故で息子を亡くしていたのだ。
メールを始めた頃『エンジェル』には生きる意志があまり感じられなかった。
しかしメールを続けるうちに彼女は徐々に『生』へと向かい始めた。そしてここ最近は生きる事を楽しもうとしている素振りさえある。
だから仁は心からホッとしていた。
ここ最近仁は『エンジェル』の事が気になってしかたがなかった。
外出中や家で執筆をしている時にふと『エンジェル』の事が頭を過る。しかし頭に思い浮かんだ『エンジェル』の顔はいつもわからないままだった。
「よーし、明日確かめて来るかぁ!」
その時仁は、明日が自分の人生を変える運命の一日になるとは全く想像もしていなかった。
コメント
7件
仁さぁ〜ん❣️のっけから車がほすぃーのー!ってもう爆笑!🤣🤣🤣明日が仁さんの人生を変える運命の一日になる✨きゃあ〜❣️私も待ち遠しいー💓🤭
メールのやり取りを重ねながら、 どんどんエンジェルさんに惹かれていっているような印象のGodさん.... エンジェルさんにどうしても逢ってみたくて、 急いで新しい車まで用意してしまう この必死さ....💕🤭 彼女に逢った時、いったいどんな反応を見せるのだろうか⁉️
ꉂꉂ◟(˃᷄ꇴ˂᷅๑)༡仁さん!!!どんだけ綾子さんに逢いたくて逢いたくて仕方ないのよぉ〜(,,>ლ<,,)プププッ− 変装🥸の準備もOK、車もOK!岡ちゃんありが〜(๑•🐽•๑)㌧💖w もうすぐ❗️もうすぐ〜(〃'艸'〃)キャー綾子さんを見て仁さんが発する最初の言葉、感情、表情が楽しみで仕方ない💓