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その日の本邸からの荷物に含まれていたそれは、淡い橙色の布に大事そうに包まれていた。朝食後にソファーでくつろいでいる時に世話係から受け取って、布を広げると出て来たのは、書店の名の入った紙で包装された書籍。
書物の注文はした覚えがないはずと、不思議そうに首を傾げながら包み紙をほどいてみる。
「あら、本にされたのね。ケヴィン先生からだわ」
そう言って、ベルは膝の上に乗せた書物の一冊を向かいに座る少女へと渡す。全く同じ本が二冊入っていたということは、ベルと葉月へ一冊ずつ送ってくれたのだろう。
紺色のシンプルな背表紙に、白い文字で描かれているのは『我が国における迷い人の軌跡』。長年に渡っての研究をまとめた物らしく、迷い人を祖先に持つ自身の自己紹介から始まって、グランとシュコールで見聞きし調査した結果。そして、現存する迷い人の話から推測する、異世界間の転移について。
「私には難しくて読めないです……」
「葉月の名前はちゃんと伏せてあるわ。ざっと見ただけだけど、ここで話した内容そのままって感じね」
ばさりと切り捨てるベルに、葉月は苦笑いした。読めない単語を補足してもらいながら、転移に関するページを読んでみる。迷い人の研究者であるケヴィン・サイトウは転移の原因となる魔法を発動した可能性があるのは聖獣であり、おそらく猫か梟だろうと記載していた。
「迷い人の謎をさらに解明するには、今後は聖獣に関する研究も必要となるだろう、ですって」
「今、いっぱい居ますけどね、ここ」
ホールの隅に置かれた木箱には、三毛猫の親子が授乳中。ソファーに腰掛けるベルの隣にはトラ猫が、葉月の隣には白黒猫がそれぞれ丸くなっていた。少し臆病なナァーと人見知りの激しいくーは無理だろうが、人懐っこいティグならケヴィンが来ても逃げずに顔を見せてくれるかもしれない。
現在、この館にいる猫は子猫5匹を含んだ8匹。完全に猫屋敷状態である。猫を幻獣と呼ぶのが信じられないほど、猫まみれだ。まだ子猫達は木箱から自由に出てくることはないが、何をどうやったのか親猫が目を離した隙によじ登っている時がある。その内に兄弟を踏み台にして脱走する子も現れてきそうだ。
授乳が終わったのか、三毛の母猫がトンと軽く飛び越えて木箱から出てきた。途端、まだ飲み足りないのか「みー、みー」と子供たちは騒がしく鳴き始める。遺跡で見つけた時よりも随分とその鳴き声も大きく逞しくなったように思う。
「ナァーちゃんの分はちゃんと取ってあるわよ。さあ、召し上がれ」
「ナァー」
木箱を離れると迷うことなくマーサの元に擦り寄っていく。瘦せこけていた面影はもうすっかり消えていた。子供達が鳴いていようが平然と食事が取れるようになったので一安心だ。
弱っていた時だけじゃなく、ナァーはいつも静かに食事をする。くーよりもさらに小柄な三毛猫は小さな口で少しずつ食べるのだが、他の成猫2匹とは違って声を出すことはない。育児中なので誰よりもたくさん食べるのだが、誰よりもお上品だ。
「あ!」
肩を震わせて笑いを堪えながら、葉月が隅の木箱を指さした。ベルとマーサも振り返って見ると、木箱からよじ登り出ようとしているチビ達の姿があった。三毛と黒、トラ猫が箱の淵から身体の半分を出している。木材で作られた箱は爪を引っ掛けて登り易いのだろう、簡単に脱出できるようになるのは時間の問題だ。
そのまま頭から落ちたら大変だと、慌てて駆け寄る葉月。脱出寸前の3匹を順番に箱の淵から降ろそうとするが、小さな爪で踏ん張って抵抗されてしまう。
「落ちたら危ないから!」
「出たがるのを止めるのは無理そうだし、浅めの箱に換えた方がマシかしら?」
「そうですね……踏まないように気をつけないと」
しっかり歩けるようになって来たので、ホール中で駆けっこや隠れんぼされるのは目に見えている。間違いなく高そうな調度品類も猫達が傷付けないように片付ける必要がある。
「夜中に走り回る音がする時があるのですが、あれは大人の猫達でしょうか?」
「だと思います。猫は夜行性なので」
一匹飼いなら虫などの獲物を狩って来た時くらいだが、多頭飼いになれば成猫でも遊びの一環で賑やかに追い掛けっこすることがある。大人猫のじゃれ合いは激しくて騒々しい。
ホールのすぐ隣にある使用人部屋で休んでいるマーサなら、ここでの騒動はよく響いて聞こえるのだろう。
「あれが、8匹になるんですね……」
ボソッと呟いたマーサの台詞に、ベルと葉月はいろいろと察した。二階で眠る葉月でさえ、たまに起きてしまうくらいなのだから、すぐ横の世話係ならそれ以上なのだろう。
「マーサも二階の部屋を使えばいいわ」
「……最悪の場合は、そうさせていただきます」