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アドラル皇国
18
1,373
#日常
寿命㌫(主) 🔮🖤ᩚ
2,231
「その方の主は、儂か。それともスブタイか」
バトウの声が、鋭く響いた。
橋はすでに奪取した。
川の向こうには、モネ平原が広がっていた。
バトウはそこへ軍を渡し、そのまま展開させようとしていた。
だが、副官は命令を受けても、すぐには動かなかった。
「い、いえ。もちろん、我らの主はバトウ様です」
「ならば、なぜ動かぬ」
副官は言いにくそうに口を開いた。
「ただ……作戦では、スブタイ様の軍が渡河するのを確認した後、
我らも進む手筈だったのではないかと」
バトウの眉がぴくりと動いた。
「よいか」
低い声だった。
「この征西軍を率いておるのは、儂――バトウである」
副官は黙る。
「儂が軍を動かしたならば、それに合わせるのが副将たるスブタイの務めではないのか」
「ですが、スブタイ様には何かお考えが――」
「くどい!」
バトウが怒鳴った。
天幕の外にいた兵たちまで、思わず振り返る。
バトウは川向こうへ目を向けた。
遠くでは、敵兵らしき影が少しずつ集まり始めている。
まだ大軍ではない。
今ならば、先に平原を押さえられる。
「敵もちらほら集まっておるではないか」
バトウは苛立たしげに言った。
「それなのに――」
視線を後方へ向ける。
スブタイの軍勢は、まだこちらに到着していない。
「スブタイは、何をしておるのじゃ」
バトウ本軍が橋を渡り、すでにモネ平原への展開を始めている。
その報告を受けても、スブタイは表情を変えなかった。
「……待てなかったか」
小さく呟く。
(グユク殿も、いらぬことを申されたものだ)
(焦らずともよいものを)
スブタイは、静かに戦場を見渡した。
この戦場には、すでにいくつもの罠が仕掛けられている。
陽動に出していた二万の騎兵。
その軍勢は二手に分かれ、北西と南東から大きく迂回しながら、
今まさにこの平原へ近づいていた。
敵はまだ、それに気づいていない。
いや。
気づいた時には、遅い。
橋。
川。
平原。
そして、その周囲を大きく回り込む騎馬の群れ。
この戦場そのものが、すでに巨大な網の中にあった。
あとは獲物が、その中心へ入ってくるのを待つだけである。
ただ――。
スブタイの目が、平原の一角で止まった。
深紅の軍旗。
整然と並ぶ兵。
こちらの動きを警戒しながら、容易には前へ出てこない。
「……スパルーニャのワルキューレか」
レイナ。
幾度も戦場を生き抜いてきた女王。
スブタイは、わずかに目を細めた。
「少しは骨がありそうだ」
口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
「お手並み拝見といこうか」
レイナは、少しずつ戦場の全貌を掴みつつあった。
渡河地点は三か所。
現在、モンゴリア軍が渡ってきている中央の橋。
そして、そこから上流と下流に一か所ずつ。
「上流は?」
「まだ橋を架ける作業が進んでおりません」
「下流は」
「半ばほどまで完成しております」
レイナはしばらく黙って考えた。
中央では、すでにバトウの本軍が川を越え、平原へ展開を始めている。
そして下流でも橋が完成すれば、さらに敵兵が流れ込んでくる。
「ジャンヌを下流へ向かわせよ」
「はっ」
「橋を壊せとは言わぬ」
レイナは言った。
「ただし――決して渡らせるな」
「承知しました!」
伝令が駆けていく。
レイナがスパルーニャから連れてきた兵は、およそ五千。
そのうち騎兵は二千ほどしかいない。
決して多くはない。
むしろ、この広大な戦場を守るには少なすぎる。
だが――。
レイナは南東の地平線へ目を向けた。
まだ何も見えない。
それでも、胸の奥に嫌な感覚があった。
敵は中央の橋だけを使うつもりではない。
そんな単純な戦をする相手ではない。
(ジャスミン……)
ふと、かつての友の顔が浮かぶ。
(お前なら、こう言うだろうな)
――全部を守ろうとするな。
――一番嫌なところを殴れ。
レイナは小さく笑った。
「騎馬隊」
「はっ!」
「行けるか」
傍らの騎士が即座に答えた。
「行けます」
レイナは馬首を南東へ向けた。
「これより、南東より接近する敵騎馬軍を迎え撃つ」
周囲の騎士たちが、一瞬だけ顔を見合わせる。
まだ敵影すら見えていない。
それでも、誰一人として問い返さなかった。
レイナが剣を抜く。
「続け!」
次の瞬間。
レイナは一騎、平原を駆け出した。
その後を追って、二千の騎馬が一斉に動き始めた。
「急げ! 急げ! 急げ!」
シバンは馬上から叫び続けていた。
「戦闘が始まってしまうぞ!」
モンゴリア軍の騎馬隊は、ウシの街を大きく迂回し、
南東からモネ平原へ急行していた。
将はシバン。
バトウの弟である。
天狼隊からモヒの情勢が伝えられるや、シバンはすぐに軍の編成を変えた。
行軍速度の遅い部隊を後方へ回し、軽装騎兵だけを先行させる。
そして夜通し、馬を走らせていた。
一刻も早く戦場へ。
兄の軍が敵を引きつけている間に、その側面へ回り込む。
それだけを考えていた。
やがて空が白み始めた頃――。
前方に、何かが見えた。
「……なんだ、あれは」
騎馬の一団。
こちらへ向かってくる。
シバンは目を細めた。
その先頭を走っているのは――。
女。
甲冑をまとった、一人の女騎士だった。
「女……?」
次の瞬間だった。
銀光が走った。
シバンの視界が大きく傾く。
空が見えた。
大地が見えた。
そして――。
首を失った自分の身体が、馬上から崩れ落ちていくのが見えた。
レイナは止まらなかった。
シバンの横を駆け抜け、そのまま後続の騎兵へ突っ込む。
「なっ――!」
「敵だ!」
「敵襲!」
遅い。
モンゴリア騎兵たちは、まだ行軍の隊列だった。
戦うための隊列ではない。
そこへ、スパルーニャ騎兵二千が正面から叩き込まれた。
槍が胴を貫く。
剣が首を薙ぐ。
落馬した兵が、後続の馬に踏み潰される。
急停止した馬へ、後ろの騎馬が次々と衝突した。
「止まれ!」
「散開しろ!」
「敵だ! 敵が――!」
怒号が飛び交う。
だが、何が起きているのか理解できている者はほとんどいなかった。
彼らは戦場へ向かっていた。
もうすぐ戦いが始まる。
そう思っていた。
だから――。
まさか。
戦場の方から、自分たちへやって来るとは思っていなかった。
コメント
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眠狂四郎さん、第24話読了です。 バトウとスブタイ、同じ陣営なのに指揮官同士の呼吸が合わない緊張感がヒリヒリしましたね。一方でレイナの判断の速さと、二千を率いて自ら先陣を切る姿に胸が熱くなりました。「まさか戦場の方から来るとは思っていなかった」というモンゴリア兵の驚き、書かずとも感じさせる一文が本当に巧いです。次が気になります🔥