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第四話 ③【ロッカー27】
帰り道、三人とも妙に口数が少なかった。
新宿の夜はうるさいはずなのに、今日は雑踏の音が遠く感じる。
誉はさっきの写真のことを考えていた。自分の無防備な背中。知らないところで撮られていた日常。ぞっとする。
「……あの」
駅の階段を下りながら、誉は口を開いた。
「“本名で呼べ”って」
「今それ聞く?」とシオン。
「聞きますよ。だって明らかに重要でしょう」
「重要だけど面倒」
「ずっとそればっかりだな」
「だって面倒だし」
詩織がシオンをちらりと見た。
「……秋山、本名を知ったとき、すごい嬉しそうだった」
シオンの表情が少し硬くなる。
「知ったって、どうやって」
「昔の知り合いから聞いたんじゃないかな。私も詳しくは知らない。でもそのあとから、“シオン”じゃなくて別の名前で呼ぼうとするようになった」
「最低」
「うん」
「それで俺、完全に切った」
誉は眉をひそめる。
「そんなに嫌なんですか。本名」
シオンは答えなかった。
代わりに、ホームに入ってきた電車の風の中で、ぼそりとだけ言った。
「……嫌だよ」
その声は、今まで聞いたどの声よりも静かだった。
⸻
誉の部屋に戻ると、三人はローテーブルを囲んだ。
今夜だけで二度目だ。もうおかしいとも思わなくなってきている自分が怖い。
シオンは封筒の中身を広げる。
写真、USB、メモ。
「とりあえず写真から整理しよう」と誉。
「真面目」とシオン。
「誰かがやらないと進まないでしょう」
誉は写真を順に並べた。
撮影場所ごとに分ける。駅、ライブハウス周辺、路地、コンビニ前。
その中に一枚だけ、明らかに雰囲気の違うものがあった。
「……これ」
詩織が身を乗り出す。
写真には、雑居ビルの非常階段らしき場所が写っている。
夜。手すり。薄暗い踊り場。
そして、階段の角に立つ二人の男。
一人は、シオンだった。
遠目でも分かる。髪型と背格好、ベースケース。
もう一人は、顔が半分しか写っていない。
だが、コート姿で、帽子を深くかぶっている。
「……秋山?」
誉が言うと、詩織は首を振る。
「違うと思う。秋山、こんな背高くない」
「じゃあ別人」
「でもシオンは会ってる」
誉は写真を見つめた。
シオン本人も見ている。
なのに何も言わない。
「……これ、いつ」
誉の問いに、シオンはようやく口を開いた。
「先週」
「先週?」
「ライブのあと」
「誰ですか」
シオンは数秒黙り、諦めたみたいに息を吐いた。
「昔の知り合い」
「ざっくりしてるなあ」
「本名知ってる側の人間」
誉はメモの文言を思い出す。
本名で呼べ。
ぞくりとした。
「その人が秋山さんと繋がってる?」
「分かんない」
「でも可能性はある」
「ある」
詩織が不安そうに言う。
「ねえ、それって秋山、なんか危ないとこに首突っ込んでたってこと?」
「最初からそうかも」とシオン。
「どういう意味ですか」
「秋山は俺を追ってたんじゃなくて、“俺に近づく誰か”を追ってた可能性がある」
「誰かって」
シオンは写真のコートの男を指で軽く叩いた。
「こいつ」
誉は息を止める。
「じゃあ、昨日駅でシオンを見てた男は」
「秋山かもしれないし、別のやつかもしれない」
「また分からないことが増えた……」
「でも線は増えた」
誉は写真をもう一度見た。
シオンとコートの男。
そこに秋山が絡み、自分まで巻き込まれている。
「USB、見るしかないですね」
自分で言って、嫌になる。
もう完全に巻き込まれる側の発言ではない。
「パソコンある?」とシオン。
「ありますけど、ウイルスとか大丈夫ですか」
「北松、そういうとこちゃんとしてる」
「これくらい普通です」
誉はノートパソコンを出した。
USBを差す直前で手が止まる。
「……やっぱりやめません?」
「今さら?」
「今さらです」
「北松」
「はい」
「差して」
「嫌です」
「でもやる顔してる」
「やらせる気満々じゃないですか」
最終的に、誉は深く息を吸ってUSBを差し込んだ。
認識される。
中身はフォルダが一つだけ。
_delivery
「配達、受け渡し、みたいな意味か」
シオンが言う。
「英語できる感出さないでください。読めます」
「そこ突っ込む?」
フォルダを開く。
中には動画ファイルが一つ、音声ファイルが二つ、そしてテキストファイル。
「……動画」
「見るしかないね」
「本当に嫌だな」
誉が再生をクリックすると、画面が暗転したあと、手ぶれの激しい映像が流れ始めた。
夜の路地。
誰かがスマホで隠し撮りしているような映像。
そして数秒後、画面の奥に、見覚えのある顔が映る。
「……秋山」
詩織が息を呑む。
秋山らしき男が、誰かと言い争っている。
相手はコート姿で、顔がほとんど見えない。
音は遠いが、途切れ途切れに聞き取れた。
『……渡せって……!』
『だから、確認してから……』
『余計なことするな』
ぶつ、と大きく映像が揺れる。
次の瞬間、何かがぶつかる音。
画面が斜めになる。
そして一瞬だけ、コートの男の横顔が映った。
「止めて」
シオンが鋭く言った。
誉は慌てて一時停止する。
「……知ってる顔ですか」
シオンは画面を睨んだまま、低く答えた。
「知ってる」
「誰」
「……まだ言えない」
「なんでですか」
「俺の勘違いかもしれないから」
「でも本当は」
「北松」
シオンは珍しく、少しだけ困ったような顔をした。
「それ、当たってたら面倒どころじゃない」
誉はその表情に、少しだけ言葉を飲み込む。
軽口で逃げているだけじゃない。
この男には、本当に触れたくない場所がある。
その時、画面右下に表示された再生時間に気づいた。
動画はまだ三分以上残っている。
「続き、見ますか」
誉が静かに言うと、シオンは数秒黙り、やがて頷いた。
再生。
倒れたらしい撮影者の視点で、映像は地面を向いている。
息遣い。靴音。誰かが近づく。
そして、低い声が入った。
『……撮ってんじゃねえよ』
そこで映像は終わった。
部屋が静まり返る。
「撮ってたの、秋山?」
詩織がかすれた声で言う。
「たぶん」と誉。
「じゃあ倒れたのは、このあと」
「かもしれない」
「昨日の路地と、同じ場所なのかも」
誉がそう言うと、シオンが頷く。
「秋山は何かの受け渡しを見張ってた。あるいは奪おうとしてた」
「それがロッカーの中身?」
「かもしれないし、別口かもしれない」
「ほんとに“かもしれない”多いな……」
誉は頭を抱えた。
だが次の瞬間、テキストファイルの名前が目に入る。
KH
空気が変わる。
「……俺?」
誉の指先が冷たくなる。
「開いて」
シオンの声は低い。
「でも」
「開いて」
誉はマウスを握った。
クリックする。
テキストファイルは、短い文だった。
北松誉はただの巻き添えじゃない。
先に気づいていたのは、あいつのほうだ。
誉は固まる。
「……は?」
シオンと詩織も画面を見ている。
「意味分かんない」と誉。
「北松」とシオン。
「俺、何も知らないですよ」
「うん、知ってる」
「でも“先に気づいてた”って」
誉の頭の中で、昨夜の光景がよみがえる。
ホーム。
柱の影。
コートの男。
——あ。
「……まさか」
「何」
「俺、最初に見てた」
「何を」
「柱の影の男。シオンより先に、ホームで」
詩織が目を見開く。
「それで?」
「それだけです! それだけだけど……でも、もしかして誰かがそれを見てたなら」
「北松が“最初に異変に気づいた側”ってことになる」
シオンが静かに言った。
「だからK.H.」
「いや、でもそんなの……」
「巻き添えじゃない、ってのはそういう意味かも」
誉は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
自分はただ巻き込まれた一般人だと思っていた。
でももし、“見てしまった人間”として認識されているのだとしたら。
「……最悪」
ぽつりと呟くと、シオンが珍しくすぐには茶化さなかった。
その代わり、少しだけ真面目な声で言う。
「うん。今回はほんとに最悪」
その一言が、妙に現実味を持って胸に落ちた。
そしてその時、誉のスマホがまた震えた。
画面には、相良刑事。
三人は同時に画面を見た。
「……出ます」
誉が通話ボタンを押す。
「もしもし」
相良の声は落ち着いていた。だが、その内容は落ち着いていなかった。
『北松さん。今どちらにいますか』
「自宅ですけど」
『シオンさんも一緒に?』
「……います」
『なら、すぐに外へ出ないでください』
誉は凍りついた。
「え」
『先ほど、新宿西口のロッカー付近の防犯カメラに、不審な人物が映っていました。あなた方を追っていた可能性があります』
誉は思わずシオンを見る。
シオンも表情を消していた。
『それともう一つ。被害者——秋山圭介さんですが』
相良は一拍置いた。
『見つかりました』
「……生きてるんですか」
誉の問いに、相良は短く答えた。
『それを今から確認しに行きます。だから、絶対に一人で外に出ないでください』
通話が終わる。
部屋の中には、ノートパソコンの白い光だけが残った。
詩織が震える声で聞く。
「……見つかったって、どういう意味」
誰もすぐには答えられなかった。
その沈黙の中で、玄関の外から、かすかに足音がした。
止まる。
誉の部屋の前で。
東屋 朧
蒼乃(キャラボ中〜!)