そして撮影は続いた。
引っ越し業者と撮影スタッフが入り混じる中、岳大の荷物は次々と運び込まれる。
優羽は隙あらばカメラの外に逃げようと試みたがすぐに保坂に引き戻されてしまう。
結局引っ越しの間中優羽は常に岳大の傍にいた。
時間が経つにつれ優羽は段々カメラにも慣れてきた。
スタッフ達は皆気さくで感じの良い人ばかりなので時折言葉を交わし合いながら撮影は進む。
とにかくここが片付かない限り岳大も井上も優羽もここで仕事が出来ないのでなんとか室内を使える状態にする。
途中一度休憩が入り、優羽は持って来た飲み物と三橋からの差し入れを並べた。
若いスタッフ達はお腹が空いていたのか大喜びする。そしてあっという間にカウンターの前に行列が出来た。
「こちらの差し入れは今夜お泊りになる山神山荘のシェフからのものです」
優羽が説明すると若者達は「あざーっす!」と言って食べ物を受け取った。
そこで保坂も言う。
「お心遣いありがとうございます。今夜宿に行ったらお礼を言っておきますね」
「ありがとうございます。実は私も普段は山荘で働いているのでまたお会いするかもしれません」
「えっ? 山荘でもお仕事を?」
そこで岳大が保坂に説明する。優羽は元々山荘のスタッフとして働いていたが自分がスカウトをしたと。
それを聞いて保坂は納得した様子だった。
休憩を挟んだ後もう少し撮影をしてからその日の密着は終了した。
スタッフが機材を片付けているところで優羽が岳大に言った。流星を迎えに行く時間が迫っていたからだ。
「あのそろそろ流星をお迎えに行かないと」
「そうだったね。間に合いそう?」
「はい、ここからは近いので大丈夫です」
優羽は笑顔でそう答えると荷物をまとめて袋を肩に担いだ。
「ではお先に失礼します!」
優羽が挨拶をするとスタッフ達が「お疲れ様でしたー」と返した。
開け放したドアからは優羽が車に乗り込むのが見えた。それを見ながら保坂が聞いた。
「彼女は何か用事ですか?」
「あ、いえ実は彼女はシングルマザーなんですよ。息子さんがこの近くの保育園に通っていて今からお迎えなんです」
「そうだったんですか。いやー頑張るお母さんか、凄いね。あの華奢な身体でなかなかガッツがありますね」
保坂の言葉に岳大が微笑む。
「ええ、彼女はとても頑張り屋さんですよ」
岳大はしみじみと言った。そんな岳大を保坂はとても穏やかな表情で見つめていた。
その日の山荘の食堂は賑やかだった。
冬山登山上級者の宿泊客4名の他にテレビ局のクルーが計11名、真冬だと言うのに山荘は満室だ。
クルーのカメラマンには山岳撮影を得意とする登山に詳しいスタッフもいたので登山客と意気投合し山の話に花が咲く。
三橋が作った美味しい食事と共に酒を酌み交わし盛り上がっている。保坂もかなりご機嫌で皆との会話を楽しんでいた。
そんな中優羽は配膳作業に精を出していた。今夜は舞子も手伝いに来てくれていたのでかなり助かる。
新しい料理を運んだついでの空の皿を集めて厨房へ持って行く。忙しい最中でも優羽は時折三橋夫妻や舞子と笑顔で言葉を交わしながらテキパキと働いていた。
保坂はバツイチだった。今年53歳の彼は若くして結婚したが結婚8年目に離婚する。
当時妻との間には5歳になる息子がいたが、テレビ局勤務という激務な仕事の為息子の親権は泣く泣く妻へ渡した。
幸い離婚後も息子とは良い関係が続いている。息子が大学生の頃には元妻と一緒に入学式や卒業式にも参列した。
そんな息子も昨年無事に結婚した。もちろん式にも参列し息子の晴れ姿を見る事が出来た。
保坂は一生懸命働く優羽の姿を見ながら、なぜかそんな事を思い出していた。
その時小さな男の子が食堂へ入って来て優羽の傍まで駆け寄り自分で作った折り紙を一生懸命母親に見せ始める。優羽がしゃがんでその折り紙を手に取り「上手に出来たわね」と褒めると、男の子ははちきれんばかりの嬉しそうな笑顔になる。
そこへ三橋夫妻と舞子が来て更にその男の子を褒める。男児は皆に褒められ満足したのか「ママお仕事頑張ってね」言って部屋へ戻って行った。
そんな光景を見た保坂の目頭がジーンと熱くなった。
(俺もあいつにはこんな苦労を掛けていたのだろうか?)
いつも仕事中心で子供の世話は元妻に任せっきりだった。感謝の気持ちはあっても口に出すのは照れくさくて何も言わなかった。あの頃の自分は身勝手で思いやりのかけらもなく今思えば最低の夫だった。あの時少しでも妻を思いやる気持ちがあったなら今頃は違った人生になっていたのだろうか? 人は失ってみてから本当に大切なものに気づく。
保坂はそんな事をつらつらと考えながら酒の入ったグラスを口に運んだ。
コメント
3件
保坂さん、岳大さんの優羽ちゃんへの気持ち判ったのかな?保坂さんも良い縁があります様に🙏
保坂さんの中で何かが変わった瞬間かも…そして今後の彼の仕事にもいい影響を与えたかもしれませんね。
保科さんも結婚生活は途中でピリオドを打ったんですね…偶然見た優羽ちゃんと流星くんの生活を垣間見て、やっぱり過去の自分や家族との生活に後悔が。。文中の失って気づくはまさにその通りで、感謝や労いは心で思っても態度や言葉で表さないと伝わらないもの。 特に男性はパートナーの大変さや辛さや寂しさを感じても放っておきがちで、いつの間にか離れていく結果に…サビシイヨネ😢 後悔先に立たずですね💧