翔太の部屋に行くと、そこはもぬけの殻だった。
それでも同じ階にいるのだろうと、娯楽室や、待合室や、他の共有スペースを探してみたが何処にも姿が見当たらない。
扉を開けたまま、部屋にあるソファに座って翔太が戻るのを待っていたら、通りすがりの介護士さんに声を掛けられた。
『渡辺さんなら、外にいましたよ』
言われた通りに建物を出て、駐車場へ向かうと、胸の高さくらいあるブロック塀の上に翔太が座っていた。
翔太は、塀の上で足をブラブラと振りながら、気持ち良さそうに歌っている。
5月。
梅雨へ向かう前の晴れ間。
夏日のような眩しい晴天の下だ。
以前の、美容を気にする翔太ならそんなことをするなんて考えられない。
今は日焼けも、身の回りのこともそれほど構わなくなった。
それでも以前よりずっと綺麗に見えるのは、翔太があまりにも自然に笑うからだ。
💙「〜♪」
何処かで聴いた、懐かしいメロディー。
一瞬、グループの曲かと思ったけれど、とぎれとぎれでよく分からない。
翔太は俺と目が合うと、にっこりと微笑んだ。
💙「来てくれたの!!えっと……」
💛「いいよ。思い出せなくても」
翔太の腋に手を差し入れて、抱きつく翔太を塀から下ろす。
翔太は俺を見上げて、へへへ、と笑った。
不安に涙したり、苦しむ時期はもうとうに過ぎ去った。今はただ穏やかに、終わりの時を待つだけだ。
💙「あのね、仕事の話、聞かせて?」
💛「今日はね……」
💛「若年性認知症?」
代表して、医師の説明を聞く俺の声は震えていた。支えるように隣りにいるふっかの、息も止まっている。
『渡辺さんの進行は特に早くて、もしかしたら芸能活動のストレスが良くないのかもしれません。常に人に見られるお仕事ですし』
翔太の病気は、翔太が繰り返し帰り道に迷い続けて、とうとう自分の家がわからなくなった時に判明した。
泣きながら俺に電話を掛けて来た翔太の、震えるような声を思い出すと、未だに胸が締め付けられる。
それからしばらくして、様子を見に翔太の家に行くと、いつも物が少なく片付いているはずの翔太の部屋は、泥棒に入られたかのように荒れていた。
💛『翔太をグループから脱退させる』
俺の決断に異を唱える者は誰もいなかった。 メンバー全員が苦しそうにそれを了承して、ファンのみなさんへは病気のことは隠した。 翔太は初めこそ、怒ったり、悲しんだりしたが、記憶がどんどん抜け落ちていく毎日に疲弊し、最後には諦めたようにみんなに頭を下げた。
💙「ごめん、今までありがとう。楽しかった」
翔太はテレビやスマホは見なくなった。
時々思い出したように涙しては、ぼんやりと考え事をしている。
一時期読書に耽っていたが、次第に以前に読んでいた内容を覚えていられなくなり、いつのまにか、読むのを止めてしまった。
翔太の前では気丈に振る舞う俺も、耐え切れなくなって泣いてしまったことがある。
翔太はごめんな、と言いながら何度も頭を撫でてくれていた。俺は我慢できず声を上げて泣いた。
意地なのか、しっかりした性格が残っていたからなのか、翔太は身の回りのことはまだなんとか1人で出来る。しかし、医師の話だとそれもまもなくできなくなると言う。
最後まで一緒にいたいと、俺は空き時間に介護の勉強を始めた。いよいよとなったら仕事を休むことも考えている。
翔太はすっかり穏やかになり、今はいつも笑顔を見せてくれる。分からないことも、困ったようにだが笑ってくれる。それが唯一の救いだ。
月夜のその日。
翔太は久しぶりに頭が冴えていた。
💙「ひかる」
久しぶりに名前を間違えずに言われて、胸が躍った。
💛「うん?」
💙「抱きしめて?」
💛「どうした?」
💙「今夜、照を好きなことだけは、ちゃんと覚えていたい」
💛「いつも、にこにこしてくれてるよ」
💙「誤魔化して笑ってる時もあるから…。今日は大丈夫だから、もっと顔が見たい」
💛「わかった」
また泣きそうになるのを、懸命に堪えた。翔太は涙に敏感になっているから、笑わなきゃ。
💙「照の笑顔が好きだ」
💛「ありがとう」
💙「俺のこと、好きになってくれてありがとう」
💛「………」
俺は、泣き顔を見られないように、顔が隠れるぎりぎりまで笑顔のまま、翔太をぎゅっと抱きしめた。
おわり。
コメント
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泣いちゃう😭😭
しょぴが明るいのが尚更切ない😢