『太宰君〜っ!』
嬉しそうな明るい声を上げて、赤色系の綺羅びやかな十二単衣(ヒトエ)を着た女性が、太宰を抱きしめた。
「一寸……玉藻前さん、離して…………」
多色の襟に包み込まれる中、太宰は抜け出そうともがく。
『ふふふっ、ご免なさいね』
玉藻前────天下一の美女と謳われ、その美貌と博識で帝から寵愛を受ける程の女性だが、実際は太宰と同じ九尾の妖狐なのである。
『元気そうで佳かったわ』
秀麗さを感じさせながらも可愛らしさを漂わせ、玉藻前は楚々と笑った。
漸(ヨウヤ)く太宰が玉藻前から抜け出す。
「玉藻前、元気にしてたか?」
側に居た中也が話し掛けた。
『えぇ、元気よ。其れより中也君、貴方また一段と強くなったわね』
「っ!そうだろ!」
中也は立ち上がって、自慢気に笑う。褒められたのが嬉しかったのだ。
『妖力を抑えきれてるわね、扱い方も上手になってるわ』
玉藻前に褒められ、中也は得意げにどんどん鼻を伸ばす。
『────あら?中也君、角は如何したの?』
目を少し丸くしながら、玉藻前が云った。
そう、鬼の中也は額に角が生えている。けれども今の中也は額に角が生えていないのだ。
「凄いンだぜ!コレ太宰がやったンだ!!」
キラキラした目で、中也は太宰に視線を移す。
急に自分が話題に出され、太宰はびくっと躰を揺らした。
『太宰君、中也君にしてあげたの?』
「………………まぁ、角生やした儘だと此処に来た時面倒くさそうだと思ったから………」
ぼぞぼそと呟くように太宰は云う。太宰も、狐の耳と九つの尻尾が消えていた。
『偉いわねぇ〜』
玉藻前が太宰の頭をヨシヨシと撫でる。
「ありがとな、太宰っ!」
中也が、にっと満面の笑みで云った。
「────そうだ……玉藻前さんコレ…………」
太宰は持ってきた風呂敷を解き、中の桜桃を玉藻前に見せる。
「佳い感じに熟してたから持って来た」
『嬉しいわ!太宰君の山で採れる桃、全部美味しいもの!』
玉藻前が嬉しそうな笑顔で云った。
『きっと帝も喜んでくださるわ』
ほんのりと頬を染め、乙女のような表情で玉藻前は云う。妖狐と知らぬ帝は彼女を寵愛しているが、玉藻前も自身が妖怪でありながらも、帝に好意を寄せていた。
『二人共、今日はありがとう』
太宰と中也に、玉藻前は嬉しそうな笑顔で云う。
中也は少年のような純粋な笑顔を浮かべ、太宰は口元を緩めて頷いた。
『そうだわ、二人にコレをあげましょう』
そう云って、玉藻前は欅の机の上に置いてあった漆黒に塗られた艷やかな箱を手に取り、蓋を開ける。
一つ一つの繊維が細かく綺羅びやかな赤布の袋には、見るからにずっしりとした何かが入っていて、玉藻前は其の袋を太宰に渡した。
『中には金銭が入っているわ、二人で都から出る途中に好きな物を買ってね。私からの一寸したお礼よ』
「佳いのか!?」
中也が玉藻前に聞く。
玉藻前は袖を口元に寄せて楚々と笑いながら『えぇ』と云った。
「…………ありがとう、玉藻前さん」
太宰がボソリと云う。
柔らかな笑顔で玉藻前は肯定の意を表した。
『それじゃあ、また遊びに来て頂戴ね』
几帳(キチョウ)を少し横にずらして顔を出しながら、玉藻前は二人に手を振る。
他の後宮の人間に自分達が居る事がバレないように、太宰と中也は喋らず、代わりに玉藻前に手を振り返した。
嬉しそうに微笑む玉藻前の姿が、二人の目に焼き付いた。
***
子供の二つの足音が響く。
赫色の髪の少年と、焦げ茶の髪色をした少年二人が、都の町を走っていた。
「太宰!次は其処の店の団子食おうぜ!」
中也が、太宰の手を引っ張りながら奥の店を指差す。
「一寸、先刻から食べ物しか買ってないじゃあないか!」
顔をしかめながら太宰が云った。手を引っ張って走って行く中也に合わせて、太宰も走り続ける。
「僕もう食べれないのだけど!?」
「俺が食ってやるから大丈夫だっ!」
何処から来るのか判らないが、太宰は其の自信に満ち溢れた笑顔を中也から向けられる。
店の前に来て、漸く走る足が止まった。
「おじさん!小豆団子、二つくれ!」
指を二本立てて中也が店の人間に云う。
「まいど!ボウズ達買い物か?」
「嗚呼!なっ、太宰!」
「えっ……ぁ、うん…」
隣で金銭の用意をしていた太宰は急に話し掛けられ、驚きながら曖昧に返事をした。
「はい、どうぞ」
「おじさんありがとな!」
中也が団子を受け取り、太宰が玉藻前から貰った金銭で支払いをする。
右手に持つ一本の小豆団子を、中也は餅一つパクリと食べた。
支払いを終えた太宰は、餅を頬張る中也をジト目で見る。
「何かもう殆ど君が買いたいの買ってる気がする………」
「…モグ……そうか?」
「そうだよ」
太宰が溜め息混じりの息を吐いた。
よく噛んだ餅を中也は飲み込む。
「ほら、美味ェぞ」
中也は左手に持っていた太宰の分の餅を、太宰に向けた。
鬼とは思えぬ程、少年のように無邪気に笑う中也の頬には、餅の上に乗っていた小豆が付いている。
「………………はぁ…」
太宰は小さくため息をついて、中也から小豆餅を受け取ると、中也の頬に付いた一欠片の小豆をひょいっと取った。
「は、?」
中也は太宰が何をしたのか判らず、目を丸くする。
「小豆付いてたよ」
そんな中也に、太宰は小莫迦にするような表情でそう云うと、パクっと小豆を食べた。
薄い甘さが太宰の口内に一瞬宿る。
「お子様だねぇ、中也」
「な…!」
中也の心中の奥底から羞恥心が湧き上がった。
「お子様じゃねェし!気付かなかっただけだ!!」
顔が赤くなっているのを隠す為か、恥ずかしいと云う心持ちから遠のく為か、中也はゴシゴシと自分の頬を手の甲で拭った。
太宰はそんな中也をクスクスと笑いながら、渡された小豆餅を食べる。
然し先程の薄くても程良く感じられた甘さとは違い、何処かうざったらしく感じてしまうような濃い甘みの小豆が、太宰の口内を今度は名一杯広がった。
「……意外と、甘いね」
先刻の中也のように餅を頬張らせながら、太宰は云う。
「小豆だからな」
羞恥心が消えたのか、元通りの表情で中也は残りの小豆が乗った白餅を一つ食べながら云った。
「ふーんモグモグ……それで?次は何買うの?」
「そうだなぁ…」
中也は残りの餅を食べ、側に在ったゴミ箱に串を捨てる。
「まだ腹八分目って処だから、もう一寸何か食いてェンだよなァ…………かき氷───否、アレは頭がキーンってなって食べにくいし云々かんぬん…」
顎に親手を添えながら、中也は真面目に考える。
太宰は興味なさげに中也を見た。
「何でも良いけど、無駄遣いは駄目だよ」
串を捨てにゴミ箱へと歩きながら太宰は云うが、中也の耳には届かないようだった。
中也に視線を移し、元に戻して小さく溜め息をつく。
ゴミ箱に串を入れた。
──────サアァァ…
風と共に舞った桜の花弁が、太宰の頬をなぞる。
顔を上げると、一つ奥の店に“青い宝石の首飾り”が置いてあった。
(中也の瞳と同じ色………)
鮮明で苛烈に、その首飾りは太宰の目に映る。
只、何も思わず何も考えず、太宰は首飾りを見つめた。
「太宰?如何した?」
「っ!」
中也に声をかけられ、太宰は躰を揺らしながら勢い良く振り返る。
「何か欲しい物でも在ったか?」
「別に?何でもないよ」
ニコッと笑顔を顔に浮かべて太宰は云う。
「……?」
「ほら、疾く次行こうっ!」
太宰はそう云って首を傾げる中也の手を掴み、走り出した。
***
辺りは茜色に染まり、賑わっていた町の住民も家族の元へ帰った時間帯。
二人の少年が町を歩いていた。
「そろそろ帰るか」
中也が太宰に云う。
「もう帰るの?まだ夜じゃないよ?」
「だからだよ」
──────パチャ……
刹那、後ろから水面を叩いたような音が聞こえる。
太宰が振り向いた。
然し其処には誰も居ない。
中也は後ろの方に意識を向けながら、目を少し細めた。
太宰の手を掴んで走り出す。
「ぅわ!」
急に手を引っ張られた太宰は転びそうになるも、如何にか足を踏み出して、走った。
「一寸中也!急に何!?」
手を掴み走り続ける中也に、太宰は声を張りながら聞く。
「此処から出るんだよ!」
太宰の方を見て中也が声を張った。
「何故出る必要があるの!?」
「今の時刻は逢魔(オウマ)が時!この時間帯は悪い魔物と遭遇しちまうンだ!」町の出口へと向かいながら中也は説明する。「特に此処等辺の妖怪は同族でも喰う奴がいる!」
「共喰いって事…!?」
「嗚呼!」
──────パシャ……
再び、れいの水面を叩いたような音が響いた。
太宰も中也も、何かが変だと云う事を感じ取る。
「ねぇ、中也!何か可怪しい!」
──────パチャ…
また一つ。
「煩ェ!其れくらい判ってる!兎に角走れっ!」
──────パチャ…パシャ……
音が続いて響き渡った。
「っ……」
二人は足を速める。
──────パチャ…パチャ…パチャ…
音と音の間が狭くなって行った。
まるで二人を追いかけるように、れいの音はどんどん大きく近付いているように聞こえる。
「中也っ!!」
「俺の手絶対離すな!」
手を握る力が、互いに一気に強くなった。
──────パチャ…パチャ…パチャ…パチャッ!
何かを堪えるように、歯を食い縛って太宰は後ろを向く。
「────っ!」
太宰の瞳に光が宿った。
────太宰の能力の一つである“魔覗化”(マシカ)は、遠くの光景を視る事が可能であると共に、妖魔を視る事ができる。
然し同じ妖魔である太宰にとっては、他の妖魔を見る事など力を使う迄もなく。
現に似たような能力を持つ中也は、通常から遠くの光景や妖魔が視れる。
だが太宰の能力の魔覗化は、所謂『狐の窓』のような役目なのである。
例え同族でも、姿を消されては中也の目でも視る事は出来ない。
然し太宰の魔覗化は、姿を消している妖魔が視れるだけでは無く、“一度視た妖魔の姿を顕在させる”事が可能なのだ。
「っ…!?」
映し出されたモノに、太宰は目を見開く。
【………⊕………∅…∌……Δ…!……τ…∀…?¿!!】
ソレは漸く形を成す。
黒い影が太宰と中也を包み込んだ。
「なっ!!」
後ろを向いた中也も、其れを見て目を瞠る。
【…∈……⊕…Δ………○…Θ……Φ……!¿…?】
獣のように彼方此方から毛を生やし、人間の手足を無理矢理付けたかのように、細い両腕と両足があった。
【………∇…⊅……∝……∌──────ラ…ア゙、ァ】
ギョロッと五つ程の目を開き、ソレは太宰と中也を見た。
【ゥ……マ、そウな…ニオい………】
「っ!太宰逃げるぞっ!!」
中也は背中から追ってくる死の気配を肌で感じ、太宰の手を引っ張って走り出す。
「うんッ」
太宰も中也の手を離さないよう確りと握って走った。
血のように赤い舌を見せながら、ソレはニヤリと不気味に笑う。
【…キつネ…ト………ォ…ォ…おニ、ノ………コ…どモオォォ!!】
妖魔は毛を逆立て、大人丸々握りつぶせる程の大きな手を広げて、逃げる太宰と中也を追った。
魔の手が太宰の背中をとらえる。
「ッはぁ……はぁっ……は────っ!!」
スローモーションのように動きがゆっくりになった。
妖魔の手が太宰に触れようとした其の瞬間。
「太宰っ!!」
中也が太宰を庇うように抱き締める。勢いで横に進み、妖魔の鋭い爪が中也の髪を散った。
「中也っ」
地面に擦れるようにして転がる。鋭い音を立てて、勢いが止まった。
「太宰!大丈夫か!?」
中也が起き上がって太宰に聞いた。
彼方此方にできた掠り傷の痛みを堪えながら、睫毛を震わせて太宰はゆっくりと瞼を開ける。
「っ……うん、大丈夫」
其の言葉に中也は安堵した。
【ア…ァ゙…おナカ………ス、イタ……】
妖魔が濁った水の色をした体液を口から溢れさせながら、太宰と中也に近付く。
溢れ出た体液は地面に生えていた雑草の上に垂れ、ジュワッと不気味な音を立てながら溶けた。
「っ………太宰、下がってろ」中也がそう云って、ゆっくりと立ち上がる。「俺が此奴を倒す」
「ぇ……中也…?」
中也は思い切り地面を蹴って、飛び上がった。
拳を固く握り、振りかぶる。鋭く痛々しい音が響いた。
殴られた勢いで妖魔は地面に躰をぶつける。
「凄い……」
太宰が口から声をこぼす。
──────パチャ…
刹那、れいの水の音が太宰の耳元で響いた。
「っ!」
勢い良く後ろを振り向く。
影はどんどん色濃くなっていき、やがて形として姿を表した。
【…⊄……⊕…∅…?……Θ────キツね…サ、ァン……みィツ…けタァ】
「っ!──ぅわ!?」
足を捕まれ、太宰はずるりと宙に逆さになる。
【ヒヒッ………アハハハハハハハ!!】
甲高い不気味な笑い声を上げながら、妖魔は自分の躰を裂く程に大きく口を開けた。
「太宰っ!!」
太宰の助けに入ろうと、中也が走り出す。
刹那、先程迄地面に這い蹲っていたもう一匹の妖魔の手が、中也の躰を掴んだ。
【ツ…ゥ…カまヱ…タァ……】
「ッ…!」
中也は鋭い光を宿しながら妖魔を睨む。
「俺の邪魔を───」足を振り上げ、妖力を集中させた。「すンじゃねェッ!!」
妖魔はボロボロと崩れていき、中也を掴んでいた魔の手がパンっと弾け飛ぶ。
「太宰!」
中也は地面に着地し、勢い良く振り返った。
【ィ、イ…イィ……イたダキ────「その汚い手でッ」太宰は妖魔に向かって掌を前に出す。「僕に触るな!!」
凝固された妖力の塊が、硝子の破片のように昇り始めた月の光を反射して、鋭い速さで妖魔を貫いた。
「わっ!」妖魔の躰が崩れ、手から開放された太宰は地面に尻餅をつく。「痛っ……!」
「太宰!!」
荒い息遣いを整えながら、中也は太宰に駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「うん、中也は?」
「俺も大丈夫だ……」
二人は目を合わせて見開きながら、荒くなった息を整える。
そして──────。
「「──────ぷっ……あはははっ!//」」
腹を抱えて笑い出した。
「凄いよ中也!僕達二人で倒しちゃった!あっははは!」
「それな!俺達凄過ぎだろ!あはははっ!」
空が藍色に染まっていく中、二人の少年の声が響き続ける。
「あははっ!おかしすぎるって!」
お腹を抑えながら、笑い涙をこぼして太宰が云った。
「ふはっ、あっははは!」
地面に横になりながら太宰と同じように腹を抑えて中也も笑う。
互いに何処に笑う要素があったのかは判らない。其れでも、笑わずには居られなかった。
一笑して疲れると、太宰と中也は地面に仰向けになりながら、息を整えていった。
「何か、凄かったな」
「うん」
「──────あ、そうだ!」
中也が行き成り声を上げながら、勢い良く起き上がる。
驚いて、太宰がびくっと躰を揺らした。
「太宰!」
太宰に近寄って、中也が名を呼ぶ。
「っ!……なに?」
そう太宰が聞くと、中也は懐から何かを取り出した。
「……?」
起き上がって、太宰は中也の手を見る。
中也がゆっくりと手の力を緩めると、掌に置いてあった物が顕になった。
「っ!」
太宰が目を見開く。
それは──────青色の宝石の首飾りだった。
「……これって……………」
太宰が口先から声をこぼす。
「昼間ン時手前が奥の店で見てたやつだろ?欲しいのかと思ってな」
にっと中也は満面の笑みで云った。
「僕にくれるの…?」
「おう!」
煌めきと揺らめきが、太宰の眼の前で起こる。
「……………」
太宰は中也の掌にのった首飾りを、ゆっくりと手に持った。
じいっと見つめる。
「…………ど、如何だ?」
返事を太宰がしない事に不安に思ったのか、中也が顔を曇らせて聞いてきた。
「……………、…」
「……若しかして別のやつだったか…!?」
中也の言葉に、太宰は首を振る。
「じゃあ、何で黙り込んでるンだよ……」
「──────っ……」
太宰は中也から貰った青色の宝石の首飾りを握りしめた。
息を吸い、吐く。
そして絞り出すような声で云った。
「────こう云う時、如何すれば佳いのか僕には判らない」
中也が目を丸くする。
「なァンだ」
そう呟いた後、中也は立ち上がって満面の笑みで云った。
「そンなの『ありがとう』って云えば佳いンだよ!」
月光が中也を照らし、青い瞳がくっきりと浮かび上がる。
「───────そっ、か……」
口先から声をこぼして太宰はゆっくりと立ち上がった。
裾に付いた土や汚れを手で払った後、太宰は青色の宝石の首飾りを付ける。
そして同じように満面の笑みで云った。
「ありがとう!中也っ!」
──────君の瞳と同じ色をしてたから見てた、なんて絶対に云ってやらない。
「ああ思ってたけれど、矢張り教えれば佳かったなぁ……」
縁側に座りながら私はボソリと呟く。
月光が辺りを照らし、明るい宵だった。私は再び嘆息する。
小綺麗に切られた桜桃を爪楊枝で刺し、口に運ぶ。
何故か味は感じられなくて────。
──────あの時うざったらしく思ってしまった酷く甘いあの小豆餅を、私は再び食べたくなった。
コメント
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( '-' )スゥゥゥ.....最高ですね... やっぱり控えめに言って神ですね...私涙脆いんでこれ読んで普通に泣けますね(?) いつもいつも神作品をありがとうございます✨✨