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「……ん……」
どのくらい気を失っていたんだろう。目を覚ますと、そこは駅のホームではなかった。
岩壁に囲まれた狭く暗い道。
湿った土の匂いの後に、錆のような血の匂いとカビが混じった腐臭がする。
肌を刺すような冷気に身震いした。
(……硬いな)
背中に当たる岩の感触に顔をしかめる。
(繁忙期、オフィスの床でダンボールを敷いて寝ていた時と比べたら、まだマシか……)
悲しいことに、俺の体は劣悪な環境に順応しすぎていた。
ハッとして、それまで握っていたはずのスマホがないことに気づく。
(あれ、どこやったんだ……?)
どこを探してもない。
パニックになっていると、突然目の前に薄ぼんやりとしたホログラムのような文字が浮かんだ。
『接続完了:犬飼真守(SYSTEM ID:002)』
「002……? 二人目ということか? 001は誰だ?」
文字に触れようと手を伸ばすが、透けていて触れることはできなかった。
「……まさか。一人目は夢猫ちゃんのことか?」
背中がゾクッとする。
立ち上がり、目の前のゴツゴツとした岩壁に触れる。 今度はしっかりと感触があった。
指を見ると、泥がこびりついている。
「これ、さっきの画面で見た場所じゃないか」
見渡すと赤黒いランプが岩壁を照らしている。ランプの形に見覚えがある。
夢猫ちゃんが配信していた洞窟にそっくりだった。
「この洞窟……間違いない」
(でも、どうして?)
再度、岩壁に触れる。やはり冷たく、硬い。
(夢でもなく、ゲームでもない……)
ホログラムの文字を思い出す。
『接続完了』
(俺たちはゲームの世界にプレイヤーとして、読み込まれたってことか?)
さっき配信画面で見た夢猫の姿を思い出す。恐怖に引き攣った顔、地獄から這い出してきたような叫び声。あれは、演技でも何でもなかった。
少しだけ腕をつねってみる。
(……痛い。)
痛みはある。夢じゃない。ということは、ここで死ねば本当に死ぬということだ。
足が震える。
(夢猫ちゃんを助けると決意したものの、こんな空間に放り出されてどうするんだ? 生きて帰れるのか?)
画面で見ていた虚構のものではなく、この世界のリアルな感触に呼吸が浅くなる。
酸素が足りなくなる感覚が全身を襲う。
「きゃあぁぁぁーーーーーーーっ!!!!!」
洞窟の奥から叫び声が響いた。毎日、画面越しに聞いていた推しの声だ。思考より先に、体が動いていた。
(まだ生きてる……! 俺が行けば間に合う!!)
俺は震える足を両腕で叩き、喝を入れる。
(俺が助けないと……!)
ゴクリと唾を飲み込んでから、声のする方へ走って行った。
――
しばらく走っていくと、広い空洞が見える。
息が苦しく、心臓がバクバク鳴っている。スーツの革靴が泥だらけになっている。
(これだけ走ったの、久しぶりだな)
就職してから野球もやめ、コンビニ弁当で済ませてきた社畜の体には、この疾走は堪えた。
だが、革靴のヒールを地面に食い込ませる感覚は、スパイクのそれに似ていた。
(走れ……! まだ足は動く!)
空洞まで走っていくと、異様なものが目に入る。それは複数の目を持ち、触手をくねらせていた。
触手からは粘着質の液が滴り、地面に落ちた。
魚が腐ったような臭いが空間に広がる。
うねうねと動く巨大な生き物を目の前にし、足がすくむ。
さっき配信で見た、夢猫を追いかけていた魔物だ。 実際に見ると思っている以上に大きく、全身から汗が吹き出た。
(こんなやつと戦ったら、死ぬだろ……)
ハッとする。
(戦うんじゃない。夢猫ちゃんを助けるために来たんだ。)
目線を動かすと、地面にへたり込んでいる夢猫がいた。
あの可愛らしいピンクのブラウスは袖が引きちぎれ、漆黒のジャンスカは泥と血で汚れている。
フリルを震わせて、泣きじゃくる彼女の姿を見て、心臓が苦しくなった。
この禍々しい洞窟と魔物のいる空間に、彼女の姿はあまりに異質だった。
その姿が、これは安全なスタジオや映画の撮影などではなく、命を奪い合う戦場なのだと残酷に突きつけてくる。
魔物の目は彼女を狙っていた。
目をギョロギョロと不気味に動かし、彼女を舐め回すように観察していた。
(あれは……)
俺は、その視線に既視感を覚える。
自分より弱いものをいたぶって楽しむ目つきだ
「いや……いや……もう、来ないで……」
彼女の声を無視して、一本の触手が彼女の元に伸びていった
その瞬間、俺はもう何も考えられなくなった。
(このままだと、夢猫ちゃんが死んでしまう……!)
画面越しに何百回と見てきた、あの大きな瞳。
毎日残業して稼いだ給料とボーナスを、スパチャで送った大切な人。
(俺の社畜人生を救ってくれた、唯一の心のオアシスの夢猫ちゃん)
怖い。
怖い。
死にたくない。
でも……
俺が動かないと、全てが砕けて消える。
死ぬ?
殺される?
(そんなものはどうでもいい!)
気づくと俺は、魔物の前に飛び出していった。
「その子に手を出すな!」
叫びながら駆け込むと、触手についた目玉がギョロリとこちらを睨む。
(もうどうでもいい……! どうにでもなれ……!!)
真っ直ぐ走っていき、伸びてきた触手に、腕を滅茶苦茶に振り回してぶつかっていく。
払いのけるというより、体ごとぶつかりに行った感じだ。
そして、夢猫の目の前に立ちはだかった。
「夢猫ちゃん! 俺、毎月スパチャしてた真守だ! 助けに来た!」
息を切らし、精一杯の笑顔で俺は名乗った。
彼女の目が一瞬見開く。
しかし、すぐに冷めた目でこちらを見つめる。
静かに口を開く。
「えっ……誰……?」
声は、ひどく静かだった。