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「たってき、これくらいで、どうでしょうねぇ?」
お浜が、引出しから取り出して並べた中から、三枚の着物を選んだ。
「あっ、もちろん、お好きな物があれば、そちらで構わないんですよ!」
三枚に限らず、出されている物は、すべて正絹の着物にしか見えず、櫻子はその豪華さに戸惑った。
家の中で、それも、家事をこなすうえで、絹の着物は、場違いどころかの話。おろおろしながらお浜を見る。
「あーー、気に入らなかったですかー、ですよねぇ、あたしらの、好みと、お嬢さん育ちの奥様じゃあねぇ。なにより、織物問屋の育ちなら、はあー、目も自然と肥えてますわ」
用意した物の質が悪かったかと、お浜は、がくりと肩を落とした。
「お、お浜さん!違います!私は、女中としてお世話になるのですから、このような、豪華な着物は、困ります」
「いや、困るのは、あたしの方ですよ!ご主人様と女中とか、ごっこ遊びは、キヨシと勝手にやっといてもらうとして、で、だからって、奥様に、木綿の着物はないでしょう」
ですからっ!と、お浜は、言い切り、さっと一枚手に取ると、櫻子の肩へかけた。
「あれ!お顔映りの良いこと!!鏡台を覗いてごらんなさいなっ!」
小さくなる櫻子の背を押して、お浜は櫻子を、部屋に備わる西洋式の鏡台の前へ立たせた。
あざやかな赤紫色──、紅紫《こうし》の生地に、白く抜かれた薔薇の花柄が、とても、モダンだった。
櫻子の肌色にぴったり、というべきなのか。
肩にかけられている着物は、柳原の家でお粗末な扱いを受けていた、少し青白い顔色をしている鏡の中の乙女の頬を、ほんのり紅色に染めて見せた。
左肩に、薔薇の大輪が敷き詰められるように描かれ、身頃には薔薇のつると、小さな蕾が絡み合うようにのびている。
確かに、モダン。ではあるが、その分、大胆な意匠だった。
「あれあれ、街に出てご覧なさい。皆、これぐらいの柄を着こなしてますよ」
お浜は、戸惑う櫻子へ、微笑みかけた。
「じゃあ、この帯で、どうですかねぇ」
お浜は、意気揚々と、選んでいた、黄色い帯を櫻子の右肩へ掛け、鏡を覗きこむ。
「うん、いい感じだ!なにせ、今日は、ハリソンさんが、来られますからね、奥様には、あちらが、ド肝を抜くぐらい、決めてもらわなきゃー、キヨシの顔も立ちゃしない」
……ハリソン……。
櫻子の耳がとらえた、異国人の名前は、どこか、聞き覚えがあった。
「あの、お浜さん?その、ハリソンさんというのは?」
「ええ、金原商店のお得意様、というか、なんですかねー、海の向こうと商う時は、そちらを通すんですよ」
お浜も、商いのことは、詳しくないようで、うやむやな口調で、櫻子へ言った。
「でも、お浜さん?私は、女中で……」
言い淀む櫻子へ、うーん、と、眉間にシワを寄せたお浜は、
「なんで、女中にこだわるのかねぇ。キヨシったらそんなに、女中が、好きなのかい?いや、まあ、とにかく……」
「うわあーー!!」
そこへ、お浜の言いかけた言葉を打ち消すように、若い男の叫びが響いた。
「お、お浜さん!何ですかいっ!これっ!!空巣がっ、いつのまにっ!!いけねぇや!龍の兄貴ーー!!兄貴ーー!!」
入り口で、薄色の肉襦袢に前掛け、股わり姿の男が、慌てふためき龍を呼んでいる。
「ちょいとっ!虎!」
「なんすっか!こんなに、荒らされてて、お浜さん、なんで、落ち着いてるんっすかっ!!」
はあー、と、お浜はため息をつくが、やっかましいぞーと、龍が、怒鳴りながら、ドタドタ足音を立ててやって来た。
何故か、手には火吹き竹、着物の裾ををまくり上げ、端を帯に挟む、尻絡げの格好だった。
「おや、龍、朝からごくろうさん。で、奥様の前なのに、ふんどし丸見えだよ、ついでに、ポロリと何かが出てるけど?」
「お、おおっーー?!」
大きく叫ぶと、龍は、まくり上げている着物の裾を直し、櫻子へ頭を下げ、
「お、奥様、すみませんっ!ど、どうか、こちらの不手際は、見なかったことに!」
などと、必死に詫びる。
「あははは!冗談だよっ、冗談!奥様には、かなわないってか!あははは!」
お浜は、腹を抱える勢いで、大笑いしている。
「てめーが、俺を呼ぶからだろうがっ!」
龍は、恥をかいたと、前掛け姿の若い男の頭を、火吹き竹でコンと殴った。
「い、痛ってぇーー!龍の兄貴、殴るこたぁねぇでしょ!空巣、空巣ですぜっ!!」
「空巣だっ?!」
部屋の入り口では、男二人が、血相を変えているが、櫻子も、お浜も、さっぱり、わからない。
「お、浜さん?何か誤解が、あるようですけど……」
男達の勢いに、櫻子は、恐る恐るお浜へ声をかけた。
「なんでしょうかねぇー、あたしらは、着物を選んでいただけなのに……」
「着物?!」
龍が、裏返った声を出す。
「お浜!その散らかり様は、選んでいたじゃ、ねぇーだろうっ!!」
箪笥の引出し全開、床に散らばる数々の着物に、どうやら、男達は、大きな勘違いをしたようで……。
「えー!そっちが、勝手に勘違いしたんだろ!」
「あ?!そんなに散らかってたら、勘違いもするわっ!!」
一触即発、なのか、お浜と龍は、睨みあっている。
「……お二人とも……」
櫻子が、ヒヤヒヤしながら止めに入ったその時、ガラガラと玄関のガラス戸が開く音がした。
「キヨシー、いるかーい!」
表から、どこか訛りのある声が流れて来た。