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第4話 仮想外食
午後六時三分。
立花湊は仕事画面を閉じた。
視界いっぱいに広がっていた資料が折り畳まれ、小さなアイコンになって消える。
勤務終了。
その文字を確認してから、湊は椅子の背もたれへ身体を預けた。
現実では灰色の部屋着。
Linkcityでは黄緑のシャツに灰色のジャケット。
仕事が終わったのだから、この格好でいる必要もない。
湊は衣装一覧を開いた。
仕事用。
普段用。
ゲーム用。
旅行用。
その中から普段用を選ぶ。
数秒で着替えが終わった。
現実の服は何も変わっていない。
湊は時計を見る。
六時五分。
宮原結衣から通知が届いた。
もう仕事終わった?
終わった。
今日は何食べる?
その一文を見て、湊は冷蔵庫の中身を思い出した。
飲み物。
卵。
昨日の残り。
料理をしようと思えばできる。
しかし今日は金曜日。
朝から結衣と理央の三人で夕食を食べる約束をしていた。
まだ決めてない。
返信。
数秒後。
結衣から。
世界料理街行こう。
湊は少し考えた。
Linkcityの世界料理街。
各地域の料理店が集まる巨大な飲食ワールドだ。
現実の店舗が出店している場所もあれば、複数の調理施設をまとめて一つの店として営業しているところもある。
行く。
送信。
すぐに別の通知。
新堂理央。
俺も仕事終わった。
結衣が三人用のグループを開く。
中央入口集合。
湊は会社を出た。
転送先を検索する。
世界料理街。
候補が表示された。
本館。
東地区。
西地区。
夜市エリア。
予約店舗。
本館中央入口を選ぶ。
転送。
一歩。
空気が変わった。
もちろん、現実の空気ではない。
音だった。
人の声。
食器の音。
呼び込み。
店から流れる音楽。
巨大な通りの左右に、数え切れないほどの飲食店が並んでいる。
建物の形も統一されていない。
落ち着いた小さな店。
巨大なレストラン。
屋外席だけの店。
建物そのものが動いている店。
現実の店舗をそのまま再現した店。
上を見ると、案内板が何層にも重なっていた。
現在地。
人気店。
配送予測。
待ち時間。
おすすめ。
湊は中央入口の時計台へ向かった。
すでに理央がいる。
短い灰色の髪。
モカ色のシャツ。
グレーのパンツ。
現実とほとんど変わらない姿。
「早いね」
「会社から直接来た」
「俺も」
「結衣は?」
「飛んでくるんじゃない?」
二人が同時に上を見る。
数秒後。
本当に降ってきた。
長い紫色の髪。
黄色の上着。
グレーのスカート。
結衣がゆっくり地面へ着地する。
「お待たせ」
「やっぱり飛んできた」
「何?」
「予想してた」
「移動するなら飛んだ方が楽しいでしょ」
「転送の方が速い」
「速さだけで生きてないから」
結衣が胸を張った。
「それより、お腹すいた」
「何食べる?」
「それを決めるために来た」
三人は世界料理街を歩き始めた。
現実なら、これだけ多くの飲食店を一か所へ集めるのは難しい。
ここでは違う。
店舗と店舗の距離すら、必要に応じて変わる。
混雑すれば通路が広がる。
利用者が少なければ縮む。
人気店は入口が増える。
「肉」
理央が言った。
「麺」
結衣が言った。
湊は少し考える。
「米」
「全員違うじゃん」
「だから世界料理街なんじゃない?」
結衣が検索画面を出した。
三人の希望を入力する。
肉。
麺。
米。
さらに条件。
現実配送。
三十分以内。
三人同席可能。
一人二千円以内。
候補。
三百八十二店舗。
「多い」
「条件増やす?」
「評価四以上」
「それでも百以上ある」
理央が画面を横から覗く。
「AIおすすめでいいんじゃない?」
「それやると、いつも似た店になる」
「じゃあ歩こう」
「賛成」
結衣が検索を閉じた。
三人は目的地を決めずに歩き始めた。
右側の店。
巨大な鍋が店の上で回転している。
左側。
店内全体が森のようになっている。
少し先。
床が川になっていて、料理の画像が船に乗って流れてくる。
「ここ面白そう」
結衣が足を止める。
「料理じゃなくて店見てるだろ」
「店も大事でしょ」
「現実で食べるのに?」
「Linkcityで外食するんだから雰囲気も大事」
湊はその言葉に頷いた。
料理だけ欲しいなら、配送アプリで注文すればいい。
わざわざアバターで店へ行く必要はない。
店を探す。
友人と歩く。
席へ座る。
話しながら待つ。
それも含めて外食だった。
三人はさらに進んだ。
一軒の店の前で理央が止まる。
入口には大きな料理画像。
米。
肉。
野菜。
麺料理もある。
「ここなら全部ある」
「配送は?」
「今二十二分」
「近いね」
「入ろう」
店へ入る。
店内は現実の食堂を少し広くしたような造りだった。
茶色のテーブル。
植物。
窓の外には架空の街。
席へ案内する人はいない。
床に案内線が現れる。
三人用。
窓側。
奥。
静かな席。
結衣が窓側を選んだ。
三人が席へ座る。
テーブル中央からメニューが立ち上がった。
料理画像が並ぶ。
湊は指で送っていく。
肉料理。
麺。
丼。
スープ。
デザート。
「これにする」
理央が早い。
肉料理。
結衣はまだ迷っている。
「これもいい」
「さっき麺って言ってたじゃん」
「麺にもいっぱいあるんだよ」
「そりゃそうだ」
湊は丼を選んだ。
料理画像の横に、現実側の情報が表示される。
調理拠点。
中央第七キッチン。
配送距離。
二・八キロメートル。
予測到着。
二十四分。
AI配送。
湊は注文を確定した。
決済。
Linkcity用クレジット。
ポイント利用。
確認。
注文完了。
テーブル上に小さな料理模型が現れた。
理央も注文。
結衣はまだ迷っている。
「二人とも早すぎ」
「もう注文したよ」
「待って」
「料理届く時間ずれるぞ」
「分かってる」
結衣が二つの麺料理を交互に見る。
片方を選ぶ。
戻る。
もう片方。
「どっちでもいいんじゃない?」
「その言葉が一番困る」
「じゃあ右」
「なんで?」
「なんとなく」
「理由ないじゃん」
「左」
「変えた」
「じゃあ自分で決めて」
結衣がしばらく悩む。
最終的に右を選んだ。
注文。
三人分の配送状況がテーブルへ表示された。
調理中。
湊は背もたれへ寄りかかった。
「これ、考えたら変だよね」
結衣が言った。
「何が?」
「三人とも同じ店にいるのに、料理作ってる場所違う」
「俺と湊は同じところだよ」
理央が表示を見る。
「結衣だけ西第三キッチン」
「家が違うから」
「店は同じなのにね」
Linkcity上では、三人は同じテーブルに座っている。
現実では、三人とも別の家。
料理も利用者の現実の位置に合わせ、最適な調理拠点が選ばれる。
同じ料理でも、同じ場所から届くとは限らない。
「味は同じになるようにしてるんだよね?」
「レシピと調理機器が共通なんじゃない?」
「前に動画で見た。最終調整もAIがやるって」
「便利だな」
調理中。
あと十八分。
三人は話し始めた。
仕事。
結衣の引っ越し。
新しい椅子。
「買ったの?」
湊が聞く。
「買った」
「早い」
「マウスも」
「全部買ってるじゃん」
「コントローラーはまだ」
「時間の問題だな」
結衣が笑う。
テーブルの表示が変わった。
調理完了。
配送準備。
数秒。
配送開始。
三人の前に、それぞれ小さな地図が現れた。
AI配達ロボットの現在位置。
湊の料理は中央第七キッチンを出発。
道路を進んでいる。
理央の配送機も別方向へ分かれた。
結衣の配送機は西第三キッチンから出る。
「競争しよう」
結衣が言った。
「何を?」
「誰が一番早く届くか」
「予測時間出てるじゃん」
「変わるかもしれないでしょ」
「俺二十一分」
「私十九分」
「俺十七分」
湊が言う。
「湊有利」
「注文したの早かったから」
「じゃあ競争にならない」
「自分で言い出したんだろ」
地図の上で三台が動く。
AI配達ロボットは歩道の端や専用経路を使う。
信号。
横断歩道。
工事。
人。
他の配送機。
周囲を認識しながら進む。
湊の配送機は順調だった。
あと十二分。
理央。
十四分。
結衣。
十五分。
「縮まってる」
「道路状況じゃない?」
「頑張れ、私のロボット」
「AIに応援届かないぞ」
「気持ち」
その直後。
結衣の地図が止まった。
「あれ?」
配送状況。
一時停止。
経路確認中。
「止まった」
「何かあった?」
結衣が詳細を開く。
配送経路上に障害物を検出。
自律走行継続困難。
遠隔操作オペレーターへ接続します。
「お」
理央が身を乗り出す。
「初めて見た」
「私も」
結衣の配送画面が切り替わった。
現実の映像。
細い道路。
片側に工事用の柵。
反対側には一時的に置かれた荷物。
通れる幅がかなり狭い。
AIは安全に通過できると判断できなかったらしい。
数秒後。
表示。
遠隔操作開始。
同じ頃。
Linkcity内の配送管理センター。
鳥越紗季は通知音に顔を上げた。
短くまとめた茶色の髪。
黄色の配送用ジャケット。
グレーのパンツ。
彼女の周囲には何十枚もの配送状況が浮かんでいる。
ほとんどは緑の正常表示。
一つだけ対応要請。
紗季が触れる。
配送番号。
料理。
現在地。
停止理由。
通行幅不足。
周囲映像。
「これは迷うね」
紗季は操作席へ移動した。
現実の配送ロボットと接続。
視点が切り替わる。
道路。
柵。
荷物。
歩行者。
AIが選べなかった二つの経路が表示される。
左。
狭い。
右。
段差。
紗季は右を選んだ。
速度を落とす。
ロボットがゆっくり動く。
前輪が段差へ乗る。
傾斜。
停止。
角度を調整。
再び進む。
Linkcityのレストラン。
結衣が地図を見つめていた。
「あ、動いた」
「人が操作してる?」
「オペレーター操作中って出てる」
ロボットがゆっくり進む。
一メートル。
二メートル。
三メートル。
狭い場所を抜けた。
表示が変わる。
安全な経路へ復帰。
AI自律走行へ移行。
「戻った」
結衣が言う。
地図上の配送機が速度を上げた。
理央が感心したように画面を見る。
「全部AIじゃないんだ」
「難しいところだけ人がやるんだね」
「その人もLinkcityから操作してるんだよな」
「たぶん」
湊は地図を眺めた。
AIが走る。
困ったところだけ人間が入る。
抜ければ、またAI。
配達する人が危険な暑さや豪雨の中をずっと移動する必要はない。
人は安全な場所から、必要な数分だけ手を貸す。
結衣の画面に小さな通知が出た。
遠隔操作完了。
配送を継続します。
「オペレーターさん、ありがとう」
「聞こえてないぞ」
「気持ちだから」
またそれだった。
湊の配送機。
あと三分。
「俺そろそろ来る」
「ずるい」
「競争やめたんじゃなかった?」
「再開した」
湊は現実側の玄関カメラを表示した。
AI配達ロボットが建物へ入る。
共用通路。
エレベーター。
指定階。
玄関前。
到着。
「来た」
「早い」
「取ってくる」
湊は現実表示へ切り替えた。
レストランが消える。
自分の部屋。
机。
キーボード。
コントローラー。
窓の外は薄暗くなっている。
玄関へ向かう。
受け取り口。
認証。
扉が開く。
温かい料理。
容器を取り出す。
配送ロボットは受け取り完了を確認すると、自動で扉を閉じた。
湊が部屋へ戻る。
再接続。
レストラン。
「戻った」
「早いな」
「玄関だからね」
料理を食事台へ置く。
Linkcityでは、アバターの前にも同じ料理が表示された。
理央の配送。
あと一分。
結衣。
あと三分。
「結局私が最後」
「途中止まったからね」
「でもちゃんと来てる」
理央も料理を受け取る。
残りは結衣。
三人は待った。
地図上の配送機が建物へ近づく。
入口。
停止。
認証。
進入。
エレベーター。
上昇。
結衣が立ち上がる。
「来た」
一時現実へ。
数十秒。
戻る。
「来た!」
「おめでとう」
「なんで配達だけで達成感あるんだろ」
三人分が揃った。
現実では別々の場所。
Linkcityでは同じテーブル。
「いただきます」
三人が食べ始める。
湊は丼を一口。
まだ温かい。
理央は肉料理。
結衣は散々迷った麺。
「どう?」
湊が聞く。
結衣が麺を食べる。
数秒。
「右で正解」
「右って言ったの俺」
「私が選んだ」
「俺が右って」
「最終決定したのは私」
「そういうことにしとくよ」
店内には多くの利用者がいる。
家族。
友人。
一人で食べている人。
仕事仲間。
現実では全員が別々の場所にいるのかもしれない。
同じ家から接続している人もいるだろう。
遠く離れた国同士かもしれない。
それでも同じ店に座る。
料理は現実へ届く。
会話はLinkcityで続く。
味覚まで仮想にする必要はない。
本物の料理を食べればいい。
距離だけをLinkcityで縮める。
結衣が箸を止めた。
「これ、外食って言うのかな」
「店に来てるから外食じゃない?」
理央が答える。
「でも外出してない」
「仮想外食」
湊が言う。
「そのまんま」
「実際そう呼ぶじゃん」
「まあね」
結衣が店内を見回す。
「でも配送だけ頼むのとは違う」
「違うね」
「店探して、三人で歩いて、私だけ料理選ぶの遅くて」
「そこは毎回だな」
「配送ロボット応援して」
「それは今日だけだろ」
「一緒に食べる」
結衣は少し笑った。
「外食だね」
「じゃあ最初から聞くなよ」
「確認したかった」
三人は食事を続けた。
店の外ではLinkcityの夜が始まっている。
現実側では、それぞれ別の街。
別の建物。
別の部屋。
道路ではAI配達ロボットが次の荷物を運んでいる。
ある機体は完全な自律走行。
ある機体は工事を避ける。
ある機体は雨の中を進む。
そして、ときどき。
AIだけでは判断できない場所で止まる。
そのときだけ、Linkcityのどこかにいるオペレーターが操作を引き継ぐ。
数十秒。
数分。
難しい場所を抜ければ、またAIへ返す。
人間が料理を持って街中を走ることは減った。
しかし人間が配送から消えたわけではない。
いる場所が変わっただけだった。
食事を終える。
結衣が満足そうに背もたれへ身体を預ける。
「次どこ行く?」
「もう次の外食?」
「来週」
「早いな」
「今日歩いてたとき、気になる店あった」
「どれ?」
「川に料理流れてたところ」
「料理じゃなくて画像だろ」
「分かってるよ」
理央が笑う。
「じゃあ来週そこ?」
「決定」
「俺たちの希望は?」
「今聞いてる」
「ほぼ決めてるじゃん」
三人の笑い声が重なる。
現実では誰の声も同じ部屋にはない。
それでも。
三人は同じ店で、同じ時間に夕食を食べた。
湊は食べ終えた容器を片づけながら、次の店の情報を保存した。
来週。
またLinkcityで待ち合わせる。
店を探す。
料理を選ぶ。
現実へ届けてもらう。
そして一緒に食べる。
玄関を一度も出なくても。
この時代では、それも立派な外食だった。
ruruha
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コメント
1件
みぅです🤍🥀 第4話、読み終わったよ…! 「仮想外食」ってタイトル、すごくしっくりきた。同じテーブルに座ってるのに、みんな別々の場所で、料理も別々のキッチンから届く。それでも「外食」って言えるのが、この時代なんだね。 特に、配送ロボットが止まってオペレーターの人が操作してるシーンがじーんときた。AIだけじゃなくて、人が必要なところだけ手を貸すっていう距離感が、優しくてちょっと切なかったな。 結衣の「右で正解」とか、3人の会話の空気感がすごく自然で、読んでてこっちも一緒に食べてる気持ちになったよ🍜 新作、楽しみにしてるね🌙