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少女は一度も疲れを口にせず、ただ地図と小さな帳面を片手に、作業の優先順位を決め、白木蓮たちに命令を飛ばし続けた。「ここのドアは外枠ごと交換。……そこ、歪んでる」
「道を整えて。石畳は大小を組み合わせて」
「街路樹は三歩ごとに。間隔は絶対に乱さないで」
「この一帯は家を連ねる。孤立させると景観が壊れるから」
「井戸はレンガで囲って。……いい? 飾りじゃない、実用優先よ」
無表情な指示は冷たく響くが、白木蓮たちは寸分違わず従った。ぎこちない木の手がハンマーを打ち、石を積み、木材を担ぐ。その光景は、まるで無口な職人集団のようだった。
少女は進捗を確認する。通りに積もっていた瓦礫はすでに姿を消し、道の両脇には若木が並び始めている。壁を失った家々には新しい板壁が組み込まれ、穴の空いた屋根には赤茶色や緑色の瓦が載せられつつあった。
「……あと少し」
低く呟く声には焦燥も高揚もなく、ただ“事実”を述べているだけだった。
___
それから少女は朝昼夕と休むことなく最後の仕上げを繰り返していた。
「ここのドアをこうして、、、こう」
「道を整えて」
「街路樹をここに植えて」
「ここらは家一帯にして」
「井戸はレンガで作って」
淡々とした指示を無表情で口にし、その通りに作業は進んでいく。白木蓮たちが颯爽と働き、その結果、少しずつ元の街並みが戻ってきた。
「あと少し、、」
少女は一人ごとのように呟く。
街並みは、確かに昔の美しい場所に近づいていた。
屋根の修復が終わった者から色塗り作業に移り、そこら一面は新しいペンキの匂いで満ちている。まさに街全体が「新しく息を吹き返した」ことを匂いで告げているようだった。
その最中――白木蓮の一人がペンキのバケツを木の枝に掛けていた。
ゴン、
「痛った、、」
少女は街並みに気を取られていて、木に額をぶつけた。
ヨロッ、
「おっと、と、、」
バランスを崩した彼女の手が枝に当たり――
ドン、、、ガシャン
ドバッ、
「、や、やって、、しまった」
赤茶色の液体が頭から降りかかる。髪から滴り、服も肌もベトベトに染めていく。
「、、、はぁ」
誰にも見られていないのを確認してから、少女はため息を一つ。
じっーと誰かに見られている気配がしたので、振り向けば、
「、、、、」
枝にペンキバケツをかけていた白木蓮がその姿を見て、一斉に木の枝を伸ばし、拭こうとする。
「……笑うなよ」
もちろん彼らに笑う顔などない。ただ枝がせわしなく揺れるばかりだ。
だが少女の口元が、ほんのわずか――自嘲にも似た歪みを見せた。
「、、、、見てないで仕事して」
だが落ち着きを失うことなく、そのまま次の作業へ取りかかった。
___
約束の二週間が迫る頃。
執務室に座りながら、頭を押さえていた。
「、、、ッ、くっ、、」
魔力が暴れている。心臓を握りつぶされるように痛み、呼吸が苦しい。
〘信じない。信じない。信じない〙
ずっと、耳の奥で声が響いていた。呪いのように、過去から離れない声だ。裏切られ続けた記憶、喪失、絶望。それが「信じる」という言葉を拒むたび、彼を苛むのだ。
「はぁ、はぁ、、」
額に冷や汗を滲ませたそのとき、扉を叩く音がした。
コンコン、、
「主様、、例の子供がお会いしたいと。どうされますか」
護衛騎士フェムルの声だった。
「、、はぁ、なんでもない。、、会おう」
声は掠れていたが、それでも答える。
心の中では、すでに結末を決めつけていた。
(どうせ無理だ。折れただろう。泣き顔を拝めば、少しはこの苛立ちも収まる、、)
〘信じない〙
〘信じない〙
〘また裏切られるだけだ〙
〘あの者のように〙
自らに言い聞かせるように、同じ言葉を繰り返す。
___
重い扉が開かれると、そこに立っていたのは――
「ご機嫌麗しゅうございます、陛下」
にこりと笑う、あの白髪の少女。
(、、このガキ)
だが第一印象は「笑顔」ではなかった。
頭も服も、ところどころ赤茶色に染まっている。その白髪だからこそ、汚れがよく目立つ。
「お前、、なぜ汚い」
「、、えっと、ペンキをかぶってしまいまして。落としたつもりだったのですが、、すみません」
(哀れみを買うつもりか、小賢しい)
内心で舌打ちする。
「して、何の用だ。もう折れたのか」
「残念ながら、、違います」
「なんだ。もしや期間を延ばしてほしいのか」
「いえ。陛下に、見ていただきたいものがあります。ぜひ、来てください」
「、、、見てどうする。意味がない」
「いいえ。これは意味のあることです」
少女は目を逸らさず、真っ直ぐにそう言った。
「言葉では言えないのか」
「見ていただきたいのです」
「、ハァ。つまらなかったら燃やす」
「はい!ぜひ、騎士様もご一緒に」
その言葉にフェムルがわずかに眉を上げた。
「……私もですか」
「お前も来い。証人だ」
「、、わかりました」
「では行きましょう」
(、、、信じない)
三人は扉を開けて店を出た。
___
外の光が差す。長いこと閉じこもっていた魔法使いには、仮面越しでも眩しすぎた。
「、、、ふぅ」
長らく篭もりきりだった体には、ただ歩くだけでも疲労がのしかかる。
歩を進めるたび、かつての荒廃が目に入る。半壊した建物、放棄された広場、ゴミ溜めのような通り。
〘お前が放棄したせいだ〙
(もう捨てたんだ、、期待しても仕方がない)
〘信じない。信じない〙
期待など意味がない。絶望するだけだ。
――そのはずだった。
「、、、おい」
足が止まる。
通りの先。そこには、全く別の景色が広がっていた。
石畳は光を反射して整然と並び、両脇には若木が等間隔で立っている。風が吹けば、まだ小さな芽が一斉に揺れる。
家々は真新しく、白壁と色とりどりの屋根が連なっていた。窓辺には小さな花台が取り付けられ、蕾を抱えた草花が陽を浴びている。
さらには、中央にある井戸。レンガで美しく囲まれ、側には木製のベンチまで据えられていた。人影はまだないのに――まるで誰かがここで腰を下ろし、談笑する未来が想像できるほどだった。
「、、、直したのか」
「はい。汚れを落とし、壊れた部分は作り直しました。屋根も色を統一し、街路樹を植え、、、“生活の匂い”を取り戻しました」
「生活の、、匂い?」
「ええ。人は、花や色を見れば“誰かが住んでいる”と錯覚します。そういうものです」
淡々とした口調。だが街は、言葉以上に雄弁に語っていた。
フェムルが目を見開く。
「、、主様、これは、素晴らしい」
「、、元の景色どころではない」
魔法使いは呟いた。記憶の奥に沈んでいた光景が呼び覚まされる。
日差しが差し、領民の笑い声が響いていた、あの日の街並み。
そのとき、横を歩く少女を見た。
「お前はなぜ、、そんな目をする」
「どんな目ですか」
「俺の嫌いな、、自信に溢れた目だ」
「自信に溢れているからですよ」
「答えになっていない、、、何を期待している」
「陛下も期待してください」
質問の答えになっていない。
「、、そんなものに意味などない」
その瞬間、脳裏に古い記憶が蘇る。
『そんなことありませんよ』
『貴方はすぐに難しく考えすぎです。もっと柔らかく、楽観的に生きてください』
『期待していいんですよ。私は貴方を期待しています』
楽観的で、太陽のように笑う女性の声。
あの日失った人影と、目の前の少女の姿が重なる。
少女は一歩前に出て、真剣な瞳で言った。
「陛下、私をこの地で働かせてください。決して、貴方の期待を裏切りません」
信じていいのか――。
「私は必ず、、この地を美しい場所へと変えてみせます」
その言葉に、脳裏で再びあの声が響く。
『本当は誰かを信じたいんでしょう。期待したいんでしょう』
『信じない、、信じたい、、、貴方自身を見てください』
(信じない、、信じたい、、)
そうだ。
この少女は、不可能を可能に変えた。
誰も信じなかったことをやり遂げたのだ。
「、、、いいだろう。約束は守る」
少女の顔に、初めて嬉しそうな色が差す。
___
「改めまして。アイリスと申します。これから、どうぞよろしくお願いします。主様」
「、、レガリスだ。一応、大公爵で魔法使い」
二人は握手を交わした。
フェムルはその光景を見て、静かに頷く。彼女を完全に信じ切った表情だった。
「領地開拓の許可を、ということでよろしいですか」
「……勝手にしろ」
「はい。私なりに勝手に、させていただきます」
彼の心は、この小さな存在を信用していた。
「主様。いくつかお願いがあります」
「なんだ」
「私に店を出す許可をください」
「……店?」
こんな場所で、、、
「部下として雇うのは分かるが……店とは?」
「私は薬屋では働きません。薬屋は陛下の場所ですし、店番にはもう人がいますから」
「……新しく店を出しても意味はないだろう」
監視のために薬屋で雇えば一石二鳥だと考えていたが、それは潰された。
「ご心配なく」
「……で、何を企んでいる」
「私はここで、喫茶店を営みたいのです」
「…………喫茶店だと?」
レガリスは思わず息を呑んだ。
しかし少女の瞳は、無表情の奥で確かな光を宿していた。
――人が集い、笑い声が響く未来を、その小さな頭脳はもう見据えていたのだ。