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チリン、、チリン、、「いらっしゃいませ」
カウンター越しに、無表情のまま小さな声で告げる。けれど店内に漂う香りと、整えられた内装が、その一言を補って余りある歓迎の雰囲気をつくっていた。
「、、コーヒー」
「はい」
私は手際よく豆を挽き、湯を注ぐ。静かな湯気が店に満ちていく。
「、、まさか、本当に店を出すとは」
「私はやると決めたらやりますので」
カウンター席に腰掛けているのは、護衛騎士フェムル様。店を開いた次の日から、彼は必ず足を運んでくれるようになった。武骨な顔つきに似合わず、湯気越しに微かにほころぶ口元が見えた。
「フェムル様が来てくださり光栄です」
「、、貴殿に、店を営む上でやるべきことを多く教えてもらったからな」
「ふふふ、、ぜひ活用してくださいね。どうぞ」
「、、コーヒー、うまっ」
そう言って苦みを含んだ液体を喉へ流し込み、わずかに目を細める。その姿に、私もつい口元をゆるませた。
――ニッコリ。
、、、。
それから私たちは改めて自己紹介を交わした。以前は硬い敬語でしか話してくれなかったフェムル様も、今では時折笑みを浮かべて声をかけてくれる。人は変わるのだと、私はコーヒーの香りと共に実感した。
___
前回、薬屋で契約を交わした時のことだった。
『フェムル様、、掃除の心得を、ご存知ですか』
『知らない、、』
『、、やはり』
予想通りだった。薬屋は荒れ果てていて、私は思わずため息をついた。彼も主様も、店が汚いと告げても大して気にしていなかったのだ。
「綺麗ですよ」と笑っていたフェルト様。
「別に問題なかろう」と素知らぬ顔の主様。
、、この二人は根本的に掃除ができない人種らしい。
私は即座に雑巾を持ち、ゴミを分別し、埃を払い、古い棚を新調することを決意した。
『フェムル様、、、逃がしませんよ』
主様は戻っていったが、この人だけは逃げる前に捕まえ協力してもらった。
『フェムル様、それはいりません』
『、、まだ使えるだろう』
『フェムル様、それは燃えないゴミです』
『、、なんだそれは』
『フェムル様、雑巾はちゃんと絞ってください』
『、、力を入れすぎると破ける』
『フェムル様、物は分けてください』
『、、お前は、、掃除の鬼か』
そんなやりとりを繰り返し、半ば呆れられながらも作業を進める。やがて埃に埋もれていた薬屋は、新しくできたばかりの店のように輝きを取り戻していた。
私は“毎日やることリスト”を作り、壁に貼り付けた。フェムル様には鎧を脱いで、私お手製のエプロンを着てもらった。本人は「変だ」とは思っていないらしいが、あの鎧姿のままではただの不審者だ。
(、、まぁ、どうせすぐ真っ黒にするんでしょうけど)
「、、正直、掃除は面倒だがな」
「薬屋を営む上で汚れたままでは駄目です。そのうち、店の様子を見に行きますからね」
「、、うっ」
情けない声を漏らす彼を見て、私は心の中で決意する。いずれこの人の部屋も掃除することになるだろうと。
___
「、、一ついいか」
「なんでしょう」
「書類仕事をしながら店を営み、領地開拓計画を進める、、そんなこと、大丈夫か」
「今のところ問題はありません」
「、、、」
眉間にしわを寄せるフェムル様。その眼差しは、ただの不安ではなく、心配そのものだった。
あの時、店を出す許可と共に一つ役割をもらった。
「主様、、部下としての役職は、秘書兼領地開拓部門代表者でよろしいですか」
「、、勝手にしろ」
面倒くさそうに肩を竦める主様の姿を思い出し、私は小さく笑う。
主様がやらなかった分結構な量が溜まっており、王城からの書類も混じっていた。そのうち、城に行かねばならない日が来る。
けれどその裏で、フェムル様はため息をついていた。
「お前、背負い込みすぎだ」
「背負うしかありませんから」
「、、、そういうところがな」
その言葉に少しだけ胸が熱くなる。無表情を崩さず、私はコーヒーを落とし続けた。
___
喫茶店の準備は住民たちの協力もあり、順調に進んだ。看板、大きなドア、テーブル、カウンター、椅子――かつての廃墟が少しずつ形を変えていく。
やがて『喫茶 黒猫』がオープンすると、広場には人々の声が戻った。
『ほんとうにできるなんて』
『ありがとうございます』
『懐かしい、、』
小さなカウンターに並ぶコーヒーとケーキ。それを口にした領民の頬に浮かぶ笑み。
「アイリスちゃん、お店頑張ってね」
「はい」
宿屋の夫婦も笑顔で応援してくれた。
宿も広場側の方へ移動してもらった。壊れた家の瓦礫は装飾に使い、壁はおしゃれに仕上げた。応援への小さな恩返しだ。
将来、住民地区、農作物地区、商売地区、憩いの場地区をつくろうと思うのでそこに移動してもらった。まだ、周りは廃墟まみれだがそこも全て綺麗にしていきたい。
___
「なんで、書類仕事まで引き受けたんだ」
フェムル様が静かに尋ねてくる。夜、片付けを終えた店内。私は机に積み上がる文書へ視線を落とした。
「この領地の現状を詳しく知る必要があるからです」
「、、あれは、古い記録だ」
「古くても必要な情報があります。今まで、どのようなことをしてきたのか知るのは大事です」
「、、そうか」
フェムル様は腕を組んだまま黙り込み、やがて小さく呟いた。
「、、お前がそこまで背負うことはないだろう」
「背負える者が背負うのです」
「、、本当に、大人顔負けだな」
苦笑いを浮かべるフェムル様。その声音は諦めではなく、どこか誇らしげだった。
「フェムル様は書類仕事したことありませんか」
「…ないな」
「…領地以前に問題だらけですね」
これからは、綺麗にするだけではなく他にもやるべきことが山積みだ。
「フェムル様、お暇なら手伝ってください」
「、、暇ではない」
「そうですか」
「、、だが、少しくらいなら見てやる。書類の山に埋もれる小娘を放っておくのも気が引けるからな」
私は一瞬だけ目を見開いた。けれどすぐに、いつものように無表情へ戻る。
「、、頼りにしています」
「、、ふん」
彼の頬がわずかに赤らむのを、私は見逃さなかった。
こうして、私は喫茶店を営みながら、領地の未来を考え続けている。背負うものは山のように多い。けれど隣には、ぶつぶつ言いながらも支えてくれる苦労人の騎士がいた。
――きっと、この街はもう一度蘇るだろう。