その日仕事を終えた瑠璃子はバスに乗っていた。
最近雪雲に覆われた日々が続いていたが明日は久しぶりに晴れるようだ。
明日のシフトは夜勤なので出勤は午後からだ。だから今夜は久しぶりに夜更かしが出来る。
瑠璃子はバスを降りると買い物をしようといつものスーパーに寄った。
明日は大輔も夜勤なので一緒に出勤出来る。その時に何か夜食を作って大輔に渡そうと思っていた。
瑠璃子がスーパーに入った瞬間誰かが瑠璃子を呼んだ。
「瑠璃子さん!」
瑠璃子が声の方を見ると伊藤モータースの百合子が立っていた。
百合子は既に買い物を終えているようだ。
「わぁ百合子さん、この間はありがとうございました。お買い物ですか?」
「うん。今ね、カルチャースクールの帰りなのよ」
「ああ、それで。確か洋裁教室でしたよね?」
「そうなの。瑠璃子さんは今お仕事の帰り?」
「はい。あれ? 桃子ちゃんは? もう学校から戻ってる時間ですよね?」
「私が習い事の日は店に帰るように言ってあるので今頃主人と一緒よ」
百合子は笑顔で続ける。
「ねぇ、お茶でもしていかない?」
「いいですねぇ」
二人はニッコリ笑うとスーパーの隣にあるファミリーレストランへ向かった。
このファミレスは以前中沢と別れ話をした店だ。瑠璃子はその悲しい思い出を百合子との楽しいお喋りで上書き出来るかもしれないと思った。
席へ着くと百合子がメニューを見ながら言った。
「私はパフェにしようかな」
「いいですねぇ、私もここのパフェ気になってました。いっちゃいます?」
「いっちゃおう!」
二人はクスクスと笑いながらパフェとドリンクバーを注文した。
そして飲み物を取って来てから話し始める。
「木村さんお元気?」
「はい。あ、そういえば私この前異動になって今は岸本先生のところにいるんです」
「え? じゃあ内科から外科に移ったの?」
「はい」
そこで瑠璃子は今日の昼休みに起きた事を思い切って百合子に話してみる事にした。
ずっと悶々としていたので百合子に聞いてもらおうと思った。
「ええっ? 大輔さんの元カノが瑠璃子さんにそんな事を言ったの? 普通初対面の人に「元カノです」なんて言わないわよねぇ…それも職場の人によ? 常識的に考えても変よねぇ」
「はい。だからちょっとびっくりしちゃって」
「その方の事は前に主人から聞いたわ。もちろん私は会った事はないけどね。確か女性の方からかなりしつこく迫ったみたいよ。主人が言うには大輔さんはいつも自分からは行かずに女性に言い寄られて交際が始まるパターンが多いんですって。だからあの時もそんなもんかしらねーって二人で話してたわ」
ちょうどその時パフェが運ばれて来た。
「そうなんですね。二人は長くお付き合いされていたのですか?」
「ううん、短かかったわよ。確か1年も続かなかったんじゃないかな? 大輔さんは元々結婚願望がない人だから付き合う前にその事をはっきり伝えたみたい。そうしたら彼女もキャリア志向の方だったみたいでもちろん了承してからお付き合いを始めたみたいなの。ただ付き合ううちに段々と彼女が結婚を迫るようになったんですって。それで別れたみたいよ」
「…………」
「二人が交際していたのはもう6~7年くらい前かなぁ? あの頃の大輔さんは外科医としても大事な時期で仕事に集中したいっていうのもあったかもしれないわね」
「そうでしたか」
瑠璃子は大輔が陽子と別れた理由がなんとなくわかったような気がした。
外科医の仕事は大輔にとって最も優先すべきものだ。そしてその仕事の妨げになるような恋愛ならきっとしなくてもいいと思っているだろう。そのくらい大輔は人の命を救う事に全てを賭けている……瑠璃子はそう思っていた。
「大輔さんはその彼女と別れてからプライベートで病院関係者と関わるのをやめたみたい。職場恋愛で懲りたんでしょうね。こんな狭い町だと噂もすぐに広がっちゃうしね」
百合子は言い終えるとパフェを一口食べてたまらないといった顔をする。
「おいしーい! 瑠璃子さんも食べて、早く!」
そこで瑠璃子も一口食べる。
「うわ…とろけますね。美味しーい」
「でね、私は大輔さんには瑠璃子さんみたいな人がお似合いだなってずっと思ってるの」
コーヒーを飲んでいた瑠璃子は思わずむせる。
「えっ? そ、そんな事ないですっ。私なんてドジばっかりだし……それにくらべたら早見さんは美人で聡明で同性から見ても憧れるような人ですから」
「えっ? ドジって何かやらかしたの?」
そこで瑠璃子は朝の出来事を百合子に話した。
「えぇっ? 大輔さんが運転の指導をしてくれたの? おまけにこれから毎朝瑠璃子さんを迎えに?」
「はい。多分放っておくと大変な事になると思って仕方なくそうしてくれたんだと思います」
「えーっ? それは違うと思うな。だって大輔さんは誰にでも面倒見がいい訳じゃないわよ。それに自分から申し出たって事は瑠璃子さんの事を本当に心配しているんだと思うな―」
「そうでしょうか?」
「うん、絶対そうだと思う」
百合子は嬉しそうにニコニコしている。
二人はその後一時間ほどお喋りをしてから別れた。
瑠璃子は再びスーパーへ寄り買い物をしてから家に帰った。
その頃大輔はまだ医局にいた。
今のところ急変しそうな患者はいなかったが、たまっていた事務作業が残っているのでもう少し片付けるつもりだ。
その時まだ医局に残っていた長谷川が言った。
「それにしても昼休みはびっくりしたねぇ。早見女史と付き合っていたのはだいぶ昔の事だろう? それを今さら瑠璃ちゃんの前で言うとか……女って怖いねぇ」
「___もう過去の事ですから」
「わかってないねぇ。ああいう女の嫉妬の炎がどんどん燃え広がると収拾がつかなくなるぞ。だからボヤのうちに消しておかないと」
長谷川はやんわりと大輔に忠告する。すると大輔は少し何かを考え込んでいる様子だった。
その後大輔が医局を出たのは23時少し前だった。
外に出ると吐く息は真白でかなり冷え込んでいる。夜空を見上げると久しぶりに空は澄んで星が綺麗に見えた。
大輔はピンクの車に乗り込むとすぐにエンジンをかける。そしてエンジンが温まるまでの間そのままでいた。
運転席と助手席の間には一冊の本が落ちている。大輔が本を手に取り表紙を見るとそれは有名な詩人の本だった。
その本をぱらぱらとめくってみるとしおりが挟まれていた。
そこには『夜明けの空』という詩が綴られている。
しおりが挟んであるという事はきっと瑠璃子のお気に入りなのだろう。そう思った大輔は詩を読んでみた。
ちょうど読み終えた時エンジンが温まったので大輔はアクセルを踏んで瑠璃子のマンションへ向かった。
瑠璃子のマンションへ到着すると車を停めてからエンジンを切り鍵をポストに入れた。
そして自分の車へ乗りエンジンをかける。
その時あまり聞き慣れないエンジン音が響いたので、瑠璃子は大輔が戻って来たのだとわかった。
瑠璃子は風呂上がりでスッピンだったが急いでダウンを羽織るとベランダへ出る。すると大輔が今にも車を発進させようとしていたので瑠璃子は叫んだ。
「先生っ! ありがとうございましたっ」
その声に気付いた大輔は声の方を振り返る。
そこにはすっぴんの瑠璃子がいた。
仕事中はきちんとメイクをし髪を後ろで一つに結んで隙のない格好をしている瑠璃子だが、今大輔が目にしているのは柔らかな長い髪がふわりと垂れ下がり艶々と輝く肌であどけない表情を見せている瑠璃子の姿だった。
その純真無垢で無防備な姿はまるで天使のようだ。その天使が笑顔で一心に手を振っている。
大輔は瑠璃子の姿に目が釘付けになり一瞬にして心を奪われていた。
大輔が何も言わないので瑠璃子は「どうしたんだろう?」という顔をしてからもう一度叫んだ。
「先生っ! 帰り道お気をつけて!」
大輔はその声にハッとした。
「うん、また明日! おやすみ」
大輔は瑠璃子に手を振ると車をスタートさせた。
瑠璃子は大輔の車が見えなくなるまで笑顔で手を振り続けた。
暗い夜道を運転しながら大輔は珍しく自分が平常心を失っている事に気付く。
今見た瑠璃子のあどけない姿が目に焼き付いて離れない。そして心臓の鼓動はドクドクと高鳴ったままだ。
「僕は心臓のプロのはずなのに……ハハッ、参ったな」
大輔はそう呟くと何かを決心したように前をじっと見据えた。
コメント
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ふふふっ〜瑠璃ちゃん、薄化粧の方が似合ってるよ〜ん💄
大輔先生大丈夫ですか?天使のような瑠璃ちゃんを見て心臓❤️❤️❤️瑠璃ちゃんに想いを告げる決意出来たのでかしら?👏👏👏
いただきました♡『参ったな』(♡﹃♡*)ジュルリ ほんと参っちゃう🥰 長谷川せんせーこれからもその何気ないアドバイスで背中を押してあげてください😊