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16年目のKiss

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16年目のKiss

4 - 夢に見る、会いたくなかった男-4

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2024年05月13日

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「お! 来た来た」

「お疲れ~」

「ビールでいい?」

「マジ、疲れたー」

「わ! 美味しそう。お腹空いたぁ」

「簑島、なんでスーツ?」

口々に挨拶を交わし、三人は空いている椅子に座る。

近藤が香苗の、槇《まき》ちゃんが簑島の正面に座る。

そして、三人目が、真っ先に私の正面に座った。

「久し振りだな、千恵」


匡《きょう》……。


夢に見た男。

会いたくなかった男。

記憶よりずっと大人びた雰囲気で、けれど記憶のままの声と、眼差し。

『熱、ある?』

夢の中の彼の台詞と、私を揺さぶる汗ばんだ身体を思い出し、私は彼から顔を背けた。

「あれ? 篠塚と柳澤《やなぎさわ》って仲良かった?」

「うん? 俺ら、一年一緒だったから」

匡が、簑島の問いに答える。

「ああ! そっか。あれ? 近藤も?」

「ああ。庄田《しょうだ》もだろ?」

「うん。私と千恵と近藤と柳澤が一年一緒。で、私と千恵と真奈美と簑島と槇ちゃん、近藤と柳澤が二、三年一緒」

「俺と槇野《まきの》、一年一緒だったよな」

「うん」

「懐かしーねー」

ワイワイ話しながらも、香苗は三人分の料理を取り分ける、簑島が手伝う。

全員が揃ったからと、もう一度乾杯しようと真奈美が全員のドリンクを注文する。

私は、近藤のロン毛を眺めながら、頬に感じる視線に気づかないフリを貫く。

「しっかし、バツイチ多くねー? ふたクラスでこんなにいんだろ?」

「今時、こんなもんじゃない? 五年後は倍になってるんじゃない?」

「それはそれで、再婚してる奴もいるだろうし、人数は変わんないかもな」

「折角集まったんだし、自己紹介の代わりに離婚理由でも言っとく?」

「マジ、やめて。忘れたいんだから」

「そうだよ。思い出すと暴れたくなるから」

「槇ちゃん、どんな別れ方したの……」

「あ、てか、みんな名字変わってない?」

「私、庄田じゃないよ。木下《きのした》を経て、現在は茶畑《ちゃばた》」

真奈美が言った。

この場では、唯一の既婚者だ。

というか、バツイチは『未婚』という表現に当てはまるのだろうか。

二択なら未婚になるが、『未だ結婚していない』という意味合いでは違う。

そんなどうでもいいことを思った。

「私は今、木下」と言ったのは香苗。

彼女の旧姓は鈴本《すずもと》だ。

「子供の名字変えるの可哀想で、元旦那の名字のままなんだ」

「木下かぁ……。秒で忘れんな」と、近藤が頷く。

「もう鈴本もピンとこないから、名前でいいよ」

「わかった、香苗」

「きゃー! 元旦那以外の男に名前呼ばれるのなんて、何年振りだろ。しんせーん」

既に酔っているかのようなテンションで、香苗は両手を頬に当てて、わざとらしく照れた仕草をして見せる。

「わかる! 私なんて元旦那にも名前呼ばれたのいつか思い出せないわ。『お前』呼びされてたから」

「槇ちゃん……」

全員分のビールと、ジンギスカンの唐揚げ、マルゲリータピッツァが運ばれてきて、テーブルが一杯になった。

改めて乾杯をする。

正面から目の前にずいっとジョッキが差し出され、私はジョッキの中の気泡を見つめたまま、一瞬だけ自分のジョッキをぶつけた。


どうして平気な顔、してられるの。


どんな顔をしているかはわからない。

見ていないから。

けれど、私を見ているのはわかる。

見られたくなかった。

若くて元気いっぱいで、卑屈になるなんて知らない私だけを憶えていてほしかった。

バツイチで、白髪染をして、肌はテカっていて。

彼にだけは、見られたくなかった。

「篠塚は東京にいたんだろ?」

ぼんやりしていたから、間近に簑島の声を聞いて、ハッと顔を上げた。

「あ、うん」

「離婚して帰ってきた?」

「そう」

「匡も東京じゃなかったか? 大学」と近藤が箸にザンギを刺し、小さく振った。

「ああ」と、匡が短く答える。

「親父さんが倒れなきゃ、東京で就職してたんだろーな?」

「え――?」


お父さんが倒れた……?


「どうかな。就活苦戦してたから、やっぱ帰ってきてたかもな」

ははは、と匡が笑う。

私は簑島に顔を向けたまま、視線だけ匡が持つジョッキに動く。


なんで、そんな嘘……。


『やっぱ、就職しようかな』

両手を組んで頭の上にのせ、んーっと上体を仰け反らせて身体をほぐしながら、匡は言った。

『彼氏が学生って、恥ずかしくない?』

私は小さなキッチンで、インスタントコーヒーが入ったカップ二つにお湯を注ぎながら、『どこが?』と聞く。

『ヒモみたいじゃん』

『養う気なんかないけど?』

『それでも! そんな男やめて俺にしなよ、とか言い寄ってくる奴、いそうじゃね?』

カップの中をスプーンでかき回す私は、ふんっと笑う。

『二年後にはあんたより高給取りになってるんで、って笑ってやる』

『すげープレッシャーなんだけど?』

『じゃ、のりかえる』

『できないくせに』

『なんでよ』と、今度はムッとする。

二つのカップを持って、ソファにもたれるように座る匡の元にいく。

カップを一つ渡すと、『サンキュ』と言って彼は口をつけた。

『二年後に俺が就職したら、もう少し広い部屋に引っ越そうな』

『そう? 私は気に入ってるけど、この狭さ』

匡の隣で膝を曲げて座り、カップの中の黒い液体にふぅっと息を吹きかける。

『セックスん時、落ちる心配のないベッドが欲しい』

『不純な動機ー』

ケラケラと笑う私の肩を抱き、匡が頬に口づける。

その唇は、ほんのり温かい。

『これほど大事で切実な動機はないだろ』

ジョッキの中でしきりに湧き上がる気泡を眺めながら、懐かしい、幸せだったひと幕を思い出す。

匡は大学院に進む予定だった。

就活なんてしていない。

結果的に大学院には行かなかったが、就活に苦戦して実家に帰ったなんて真っ赤な大嘘だ。

それだけじゃない。

卒業式の三日前、いつもより少し強引に、かなり激しく私を抱いた後で、匡は言った。

『俺、実家帰るから』

整わない呼吸が一瞬止まる。

『兄貴がさ? 実家継ぎたくないって言い出して』

『だからって、今すぐ?』

『継ぐなら、大学院に行く必要ないし』

狭いベッドの上で、匡は仰向けで頭の下で手を組み、天井を見ながら言った。

『一緒に来るか?』

何の熱も感じない問いに、私も反射的に答えた。

『バカにしないで』

匡は私を見ない。

『なんで? 未来の社長夫人だぞ?』

だから、私も彼から顔を背けた。というか、背を向けた。

『興味ないわ』


あの時、匡はどんな表情《かお》をしてた……?


十六年も前のことだ。

今更だ。

匡の言葉の何が嘘で何が本当か、わかったところで今更だ。

社長夫人に興味がないと言った私は、その三年後にちゃっかり社長夫人となった。

それを、匡が知っているかはわからない。

きっと、知っているだろう。

だからどうということはない。

今更だ。

「千恵?」

ぼうっとしたいたせいで、名前を呼ばれて思わず顔を上げてしまった。

思いっきり、匡と視線が絡む。

「熱、ある?」

夢の中で聞いた台詞。

夢と現実、過去と現在が交差する。

夢の中で、私は『ある、かも』と答えた。

過去の私も、そう。

けれど、私は夢の中の私とも過去の私とも違う。

もう、違う。

だから、私は言った。

「ないわ」

匡がどんなつもりで聞いたかなんて、わからない。

だから、どうして少し寂しそうに笑ったのかも、わからない。

わかりたくない。

わかるのが怖い。

「嘘つきだな、俺たち」

匡が、言った。

口元は笑っているのに、目が笑っていない。

会いたくなかった。

匡の嘘も、本当も、知りたくなかった。

それ以上に、知られたくなかった。

私の嘘と本当を、知られたくなかった。

『一緒に来るか?』

十六年前。

匡は最後まで『一緒に来てほしい』とは言わなかった。

『行かない』

私は、何度目かもそう答えた。

『お前には、俺じゃなきゃダメだろう?』

最後の時、匡が言った。

朝ご飯の後で歯を磨いた匡が、使った歯ブラシをゴミ箱に捨てた。それを見た時、残された私の歯ブラシを見た時、身体の半分を失ったような、多分、そんな気持ちになった。

それでも、私は、笑った。

笑って、言った。

『バカにしないで。あんたじゃなくても幸せになれるわ』

私は嘘なんて言ってない。

私は、匡とは違う。

だから、そう言った。

何でもないようなことのように。

「私は、嘘つきじゃない――」

自分のその声が、やけに嘘っぽく聞こえた。

私は中身が半分残ったジョッキを、一気に空にした。

「そうだな。千恵は、嘘つきじゃない」

匡が私の手からジョッキを抜き取り、「お代わり注文する人!」とみんなに聞いた。

真奈美がタブレットで、みんなの飲み物を注文する。

何杯飲んだかわからない。

トイレに行こうと立ち上がって、ふらつくくらいは飲んだ。

力強い手に支えられてトイレに行き、席に戻った。戻ろうとした。

「千恵は、素直じゃないだけだよな」

瞼の重みに耐えかねて、目を閉じるとともに、聞こえた気がした。

夢にまで見た、匡の声。


あ、夢か。


目が覚めたらまた病院のベッドかもしれないな、なんて思いながら、私は意識を手放した。

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