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「どうしてまた、お前らと飲むことになってんだよ」
溝口さんが不機嫌そうに言った。
「悩める部下の話を聞いてやろうと思って」と、千堂課長が俺を見て言った。
前回の営業会議で札幌に帰って来た溝口さんを捕まえて三人で呑んだのは、半年前。
千堂課長と七歳年上の恋人、冨田課長の結婚について話した。
今回の議題は、俺。
「だからって……」
千堂課長が言うには、溝口さんが明日の営業会議のために前日に帰って来ることは、堀藤さんに聞いて知っていた。明日の夜は会議の流れで呑みに行くから、個人的に会うなら今夜しかないことも。ついでに、堀藤さんがお子さんの参観日で有給を取っているから、今夜は会わないことも知っていたらしい。
「とりあえず、お疲れのかんぱーい!」
千堂課長がジョッキを持ち上げ、乱暴に俺と溝口さんのジョッキに乾杯し、さっさと冷えた一口目を喉に流し込んだ。
今日は前回の居酒屋ではなく、焼き鳥屋。
溝口さんの到着前に、千堂課長が串の盛り合わせAとBを注文してあったから、一杯目のビールと共にテーブルに並べられた。
引っ張られるように、俺と溝口さんもコツン、と乾杯をしてジョッキに口をつけた。
「で? 何を悩んでるって?」
溝口さんがメニューを見ながら聞いた。
「可愛い女の子に告られて振ったくせに、すっげー暗い顔してるから、連れて来てみました」と、千堂課長が超ざっくりと説明する。
「告られたことを悩んでるのか?」
「――んなわけないじゃないですか」
「だよな。長年好きな女がいるって言ってたよな」
俺はジョッキをグイッと持ち上げ、一気に飲み干した。二杯目を注文する。
いつもはそんなハイペースで飲まないし、自分のプライベートを話したりしない。特に、あきらのことは。けれど、今日はめちゃくちゃに酔いたかったし、あきらとのことを誰かに聞いて欲しかった。
「大学の時からずっと好きだったんです。けど、彼女には長く付き合ってた恋人がいたし、諦めなきゃと思って俺も恋人を作ったりもして――」
あきらと再会し、彼女を忘れていないと気づいて、恋人と別れた寂しさに付け入るようにセフレになったこと。子供を産めないことを理由に、振られたこと。俺は、あきらと結婚したいこと。
話し出したら止められなくなって、適当に誤魔化すことも出来なくなって、洗いざらい話してしまった。
話し終えた時、俺は四杯目のジョッキを手にしていた。五杯目なのかもしれない。
「お前……一途すぎだろ」
千堂課長が呟いた。
「俺もお前みたいな女に、一途に愛されたい」
「――いや、色々おかしいだろ」と、溝口さんが静かに突っ込む。
「つーか、そんなに本気で惚れてて、何を悩んでるんだ?」
「はぁ? 溝口さん、何言ってんですか! そりゃ、悩むでしょ。友達に戻ろう宣言されたんですよ? かんっぺきに振られたってことじゃないですか!」
千堂課長の言葉が、グサッと頭のてっぺんから突き刺さる。
「もともと、友達だったんだろ? 大学時代の友達であり、セックスフレンド。関係性はさほど変わってなくね?」
「え?」
「つーか、セフレ解消したってことは、飲み会の参加も自由ってことだろ? その、どっちかに恋人がいる時は他人だから一緒に飲み会に参加しない、とかいう訳の分かんねールールは、もう無効だろ? だったら、友達の立場を最大限に利用して、押しまくればいいんじゃね?」
溝口さんは串から豚肉を歯で引き抜いて、続けた。
「まぁ、彼女が子供を産めないことを気にしてる以上、結婚にこぎつけるのは大変かもしれないけど、お前が諦めきれないなら、まずはそれを伝えるとこからだろ。振られて落ち込むのはわかるけど、悩んでてもどうしようも――」
「堀藤さんに振られた腹いせに、釧路支社を立て直しちゃうような男の言うことは違いますねー」
千堂課長が水を差す。
「溝口さんだって、俺がお膳立てしてあげなきゃ、いつまでもグチグチしてたくせに。ミゾグチだけにグチグチ、なんちゃって」
人差し指で背筋をなぞられたような、悪寒がした。
「ワンコは黙ってろ」
更に凍りつくような、溝口さんの射るような視線と低い声。
「ホントのことじゃないですか! 俺が彩さんを釧路に行かせなかったら、今頃は――」
「――うるせぇ。飼い主呼ぶぞ」
蛇に睨まれた蛙のように、いや、ライオンに睨まれた子犬のように、千堂課長はテーブルの隅で丸くなって串を頬張る。
垂れた耳が見えそうだ。
溝口さんが部下の不祥事の責任を取って釧路支社に異動になり、代わりに二課課長として赴任してきたのが冨田課長。
冨田課長は、溝口さんが入社した時の指導係で、古い付き合い。先輩である冨田課長を呼び捨てにする理までは知らないが、とにかく気心の知れた仲のようだ。
ちなみに、溝口さんは釧路支社の営業部長なのだが、異動になったすぐ後に『直属ではなくなったんだし、部長はなしで』と言われていた。
「ったく、もう酔ったのかよ」
「昼飯食い損ねたって、クッキー食ってましたから」
「空きっ腹にがばがば飲みやがって」
気にしていなかったが、千堂課長が座っていた場所には、空のジョッキやロックグラス、タンブラーが並んでいる。
「しかも、ちゃんぽん」
そりゃ、酔うはずだ。
「けどさ、お前は本当にいいのか?」
「何がですか?」
「子供。好きなんだろ?」
「そうですね」
「今はその好きな女しか目に入らなくて、子供を持てなくてもいいって思っても、いつか欲しくなったらどうするんだ?」
「それは――」
「――ってことが、彼女は不安なんだろ? その不安を取り除くのは、骨が折れそうだな」
そうなのだ。
これまでも、俺は自分の気持ちを伝えてきた。
あきらも俺を好きだと感じていた。
けれど、どんなに好きだと伝えても、結局、あきらは自分が子供を産めないこと、俺が子供を欲しがっていることで、俺を拒む。
だが、どんなに考えたところで、あきらが子供を望めないことも、俺が子供を望んでいることも変えようのない事実であって。たとえば、俺が『あきらがいてくれるなら、子供なんていらない』と言ったところで、信じてもらえる気がしない。
だったら、どうしろと言うのだろう。
「なんか……ムカつくんですけど」
「んー?」
「あきらは、自分を諦めて子供が産める女と結婚しろ、みたいに言うけど、俺は子供が欲しいから結婚したいなんて思ったことはないし、結婚したって子供が出来る保証もない。実は俺も不妊の原因を持っているかもしれないし、結婚した相手との相性が悪いだけかもしれない。でも、そんなことはわからないじゃないですか。子供が持てなくても、あきらと二人で幸せになれるかもしれないし、やっぱり子供が欲しかったと思うかもしれない。そんなこと、その時になってみなきゃわかんないんだから、今から最悪のパターンで決めつけられたって、俺はどうしたらいいんですか!」
呼吸もろくにせずに一気に話して、俺は肩で息を吸い込んだ。酔いが回ってきているのか、動揺して頭が上手く働いていないのか、考えが上手くまとまらない。
「つーか! もう、ホント、あきら以外の女なんて、ホント、どうでもいいし! ホント、なんも感じねーし! 勃たなきゃ、子供も作れねーじゃん!」
「ホントに、なぁ」と呟いて、溝口さんがフッと笑う。
「そのまんま、言ってやれ」
「聞いてるとさぁ――」と、テーブルの隅から千堂課長が言った。
「お前の好きな、その、あきら……ちゃん? が一番、子供にこだわってるよな」
「だな」と、溝口さんが注文用のパッドを操作しながら言った。
「お前、他の女に子供だけ産ませて、その子を手土産にプロポーズしたら?」
「は?」
「俺の子供を育ててくれ、って」
「なんすか、それ」と聞いたのは、千堂課長。
グラスを片手に、隅から移動してくる。
「お前は子供を持てる、好きな女とも結婚できる。相手にしても、子供を持てる、お前とも結婚できる。万々歳じゃないか?」
「――んなわけ――」
「――極論だが、彼女がこだわってるのはそういうことだろ? 自分は産めないから、他の女に産んでもらえって。じゃ、そうするから一緒に育ててくれって頼んだら、するのかね」
「まさか――。女を子供を産む道具にしか思ってないのかって、殴られますよ」
「――だろ!? けど、彼女が一番、女は子供を産むための道具、みたいに言ってね? 子供が産めない自分には価値がない、みたいにさ」
「確かに、確かに」と、千堂課長が大きく頷く。
「こんなにあきらちゃんが好きな谷に、しつれーだな!」
口に出せる雰囲気ではないが、俺の上司に『あきらちゃん』とか呼ばれてると知ったら、あきらが怒りそうだと思った。
『ちゃん』なんて柄じゃない、と。
「やっぱ、ここは泣きながら『俺が欲しいのは子供じゃない! お前だけだ!!』とか言ってみるのが一番じゃないか?」
「うわ、最悪だな」と、溝口さん。
「クサすぎだろ」
「けど、事実じゃないですか」
「それにしたって、言い方ってもんがあるだろ。それに、泣くって――」
「――とか何とか言って、彩さんに振られそうになったら、溝口さんも泣きながら縋っちゃったりするんですよ」
千堂課長がケラケラ笑う。
「千堂、次に彩を名前で呼んだら、犬小屋にぶち込むぞ」
酔いも醒めそうな溝口さんの低い声に、またも千堂課長の頭に垂れた耳が見えた。そのうち、股の間に丸まる尻尾も見えるんじゃないだろうか。