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夜間に活性化する繁華街の居酒屋にて、亜美は独り呑んでいた。
周りはガヤガヤと賑わっていたが、耳障りな程でもない。静かに飲みたいなら場末のBARだろうが、寧ろ今の心境としてはこれで心地好かった。
静かだと色々と考えてしまう。
元より酒は苦手な方だが、今日だけは呑みたい気分だった。ペースも速い。既に体内には相当量のアルコールを摂取してはいたが、不思議と少しも酔えなかった。
“このまま酔い潰れてしまえば、少しは楽になるのに……”
亜美はグラスに注がれた吟醸を、一気に煽る。これで実に五杯目だ。
――結局の所、亜美のこれ迄の事は、全て徒労に終わったも等しい。
狂座の中核とも思われた幸人。彼からはっきりと拒否されたのだから。
何より、自分の想いまで同時に受け入れられなかった事が、哀しさと虚無感を加速させた。
つまり失恋のやけ酒にも近いが、元より亜美はこれまで恋等した事もなかったし、する必要もする暇もなかった。
だからこれは失恋ではないと、自分に言い聞かせても、彼の事を想うだけでこんなにも苦しく、はっきりと明言した訳ではなくとも、やはり失恋になるのだろう。
“人を好きになるのがこんなにも苦しいなんて”
諦めたくはない。でも諦めざるを得ない。
妹の事を差し置いて、この事に悩ませる自分自身の感情に、亜美は更に自分を責め立てた。
河岸を変えようと、亜美はふと席を立つ。やはり静かな所がいいのだ。
“本当に今日は酔えない……”
自分でもしっかりとした足取りと思考に、冷静に分析しながら亜美は店を出る。
「ありがとうございました!」
その後ろ姿に視線を送る者には、流石に気付いてなかったみたいだが。
「ねえねえっ――」
「……はい?」
店を出てすぐの事。誰かの呼び止められる声に、亜美は怪訝そうに振り返った。
「一人で呑んでもつまんないっしょ? 俺らと呑み直そうよ」
亜美は一瞬で嫌悪感を顕にする。見ると若い者三人組。典型的なチャラ男。
「良い場所知ってんだよ」
「お姉さんも満足出来ると思うよ、くくく」
店から出たという事は、この下品な三人も同じ店に居座り、明らかに亜美を追ってきたという事。
早い話がナンパだが、その風体や態度が更に亜美の苛立ちを加速させた。
「ちっ……」
亜美は汚物で見るかのように、わざと聞こえるよう舌打ちする。
彼女にとって、最も嫌いなタイプの人種だった。
「ほらほら無視しないで~」
「足腰ふらついてんよ~」
「俺らが介抱してやるからさ」
“五月蝿い”
――どうしてこの手の男は、こうまで解りやすい迄に欲望を醸し出しているのか。
きっと妹も、この手の連中に凌辱されたに違いない。
そう思うと亜美は、この三人に怒りにも似た苛立ちを隠さずにはいられなかった。
「…………」
だが今はこんな連中に構ってはいられない。
無視するに限る――と亜美は三人には目もくれず、その場から踵を返して立ち去った。
「無視しなくてもいいじゃん」
だが三人組は諦めず、からかうように亜美の後を追う。
“しつこい”
下手に関わっても、この手の輩は調子に乗るだけ。罵りたい気持ちを抑えながら、無視を貫く亜美は早足に。
「ご機嫌ななめだね~」
「一人で呑んでたって事は……もしかして彼氏に振られちゃったとか?」
この一言に反応したのか、亜美は立ち止まる。
『彼氏に振られた』とは違う。元より付き合ってさえいない。だが意味合いは違っても、結果的には同じ事。
亜美が立ち止まってしまったのは、悔しくも図星だったからに他ならない。
「あら、図星かなぁ?」
「酷い彼氏だね~。俺らが慰めてやんよ、ギャハハ」
そんな亜美を見てとったのか、三人は更に囃し立てた。
「……五月蝿い」
「あん?」
耳を澄まさねば聴こえない程の呟きに、三人の喧騒も止まる。
「五月蝿いって言ってんのよこのゴミクズ! 何が慰めよ揃いも揃って馬鹿面並べて!」
次の瞬間、亜美は有らん限り三人へ罵倒していた。
「あぁもう! こんな馬鹿に絡まれるだけでも最悪だってのに」
心底毛嫌いするタイプの人種に、勘に障る図星。更には酒の力も手伝ってか、自身の隠したい地をさらけ出してしまっていた。
虫の居所が悪いのもあったが、暴言を吐いた事に対しては言い過ぎ感もあったが、特に呵責を感じた訳でもない。寧ろ少しは気も晴れたというもの。
「ふん」
亜美は固まっている三人を余所に、颯爽と踵を返して立ち去ろうとした。
「……待てや」
だがすぐに呼び止められる。
「まだ何か馬鹿面並べて用?」
反応して振り返る亜美の表情は、完全に三人を侮っていた。含み笑いさえ浮かべている。
「――っ!?」
だがそれは間違いであった事に気付く。
「人が下手に出てりゃ調子に乗りやがってこのアマ!」
その手には折り畳み式ナイフが。
一人が怒りを顕にしながら、取り出したナイフで亜美に斬り掛かっていたのだ。
反射的に後ずさった為、その刃は空を切り――届かず。
“えっ……何?”
だがその刃が瞳のぎりぎりを通過していた事に、亜美は背筋が凍る思いをする事になる。
今のは完全に目を狙っていた。一瞬でも反応が遅れていたら、今頃視界は闇に閉ざされていたに違いない。
しかもこの手口、かなり“やり慣れて”いる。
「大人しく従ってりゃ、痛い思いせず済んだのによ。もうブチキレだわマジで」
目の色が尋常じゃない。人を物としか見ない、凶悪犯罪者の類いそのもの。
「まあ獲物は活きが良い方が“ヤり甲斐”があるってか?」
「ギャハハ」
他の二人も同様だ。明らかにこの手口に慣れている。
間違いなく日常的に、このような暴挙を繰り返しているのだろう。
“従わなかったら力ずくで”
このままではヤバイ――と亜美は本能で直感した。
どう見ても話して通じる相手でもない。
だがどうする? ただでさえ大の男三人を相手に、女一人でどうにかなるものではない。
なら取るべき道は――
「おっ――逃げた」
護身術の心得も無い、というより凶器を持った複数人を相手には、多少心得があったとしても退くのが当然。亜美は一目散にその場から駆け出していた。
「活きがあっていいね~」
「さあ狩りの開始だ!」
三人は寧ろ、この行動を待ってましたかのように、亜美の後を追う。
――それにしてもこの辺りが、人通りの少ない裏通りだったのは致命的だった。
横に逸れて入り組んだ狭い路地裏で撒こうとするも、三人の予想以上のしつこさに加え、亜美の身体にも異変が。
「ヒャハハ! そんなに遅いと簡単に追い付いちゃうよ~」
脚がもつれて上手く走れないうえ、息切れも激しい。
やはり気分的に酔っていないと錯覚していただけで、痛飲したアルコールは確実に身体に回っていた。
「はぁはぁっ――」
“このままじゃ……”
確実に捕まり、無理矢理凌辱される。もしかしたら命まで奪われる可能性もあるだろう。
――勿論どちらも嫌だ。その思いが、ふらつく足取りを鼓舞し続けた。
「そんな……」
だがその思いは敢えなく潰える。
“行き止まりって!?”
眼前に聳える路地裏の建物。勿論、前はおろか左にも右にも行き場は無い。しかも一本道だったので当然――
「残念でした~」
振り返ると醜悪な笑みを浮かべた三人。舌なめずりしながら、ゆっくりと亜美へ歩み寄ってくる。
「やっぱ嫌がるのを無理矢理ってのが一番だよな~」
「くっ――」
亜美は浅はかさを恥じた。奴等にとってこれは、日常的な欲望解消以外の何物でもないのだ。
これまで数多の女性が、彼等の毒牙に掛かってきたに違いない。
そして今、正に自分の身にも――
「おうおう、まだ諦めないって感じの顔がそそるね~」
虚勢だった。亜美は三人をきつく睨みつけたが、逆効果は否めない。だが最後まで抵抗してみせる――と。
女性が力ずくで何とでもなると、勘違いしている卑劣な連中に屈せない――
「……ん? なぁんかコイツ、どっかで見た事がある気がするんだよな~」
襲い掛かろうとする間際、一人の男が呟いた。
「ああ俺もそんな気がしてた。そうだ女子高生だ! 何年か前に襲った奴で、反抗的な目がそっくりなんだよコイツと」
“――えっ!?”
その声に亜美の心が揺れる。幾ら何でも偶然過ぎる――が。