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夜のオフィスは静かだった。
蛍光灯の光が、机の書類を白く照らすだけ。
時計はすでに九時を回っていた。
「先輩、まだ残ってるんですか?」
新人の隆也が、肩越しに声をかける。
俺はキーボードから目を離さず、苦笑した。
「いや、ちょっと片付けてるだけだ。お前はもう帰れよ」
でも、隆也は席を立たない。
小さな缶コーヒーを手に、机の端に腰掛ける。
彼の視線が、無言のままこちらを追う。
「……差し入れです」
差し出された缶を受け取り、ラベルを眺める。
「ありがとう。でも、なんでわざわざ……」
隆也は照れたように笑った。
「先輩、いつも遅くまでいるから……せめて、これくらい」
缶を開け、口元に運ぶ。
甘さと苦味が、静かな夜に溶ける。
隆也の存在も、さりげなく心に溶けていくようで、思わず目を細めてしまった。
書類を整理しながら、視線が何度も彼に向かう。
隆也は無言のまま、自分のペンを握っている。
時折、目が合うと、どちらともなく笑みがこぼれる。
深夜のオフィスという小さな世界で、互いの存在が確かに感じられる時間。
「先輩、あの……質問してもいいですか?」
突然の声に、手を止める。
「なんだ?」
隆也は少し顔を赤らめながら、書類に目を落とした。
「……どうやったら、先輩みたいに落ち着いて仕事ができるんですか」
その質問に、言葉を探す。
「……落ち着くっていうか、慣れるしかないな。こういう夜も、何度も経験して、気づいたら平気になってる」
俺の言葉に、隆也は小さくうなずいた。
その仕草が、妙に可愛らしくて、胸が軽く熱くなる。
数十分、二人で書類を整理しながら、ほとんど会話はなく、ただペンの音とタイピング音が重なるだけだった。
それでも、互いの存在は十分に伝わる。
小さな距離、微かな温度、息遣い。
全てが静かに、心を満たす。
「……もう終わりそうですね」
隆也が立ち上がる。
俺も書類をまとめ、椅子を引く。
深夜の静けさの中、二人の影が並ぶ。
廊下の蛍光灯の下、缶コーヒーを手渡す。
隆也は照れたように受け取り、でも目をそらさない。
「先輩……」
声が震える。
俺は微笑み、言葉を探す。
「……ありがとう」
その一言で、隆也はほっとしたように微笑む。
深夜のオフィスに、穏やかな空気が残った。
エレベーターに二人で乗り込み、無言のままフロアを下りる。
その静かな時間が、なんだか心地よく、いつまでも続いてほしいと思った。
夜風に当たり、玄関前で缶を捨てる。
隆也の小さな手が、俺の腕に触れる。
その瞬間、胸の奥に温かいものが広がった。
「……先輩、俺、やっぱり、ずっと好きかもしれません」
言葉にした途端、隆也は照れたように目を伏せる。
でも、背中越しに伝わる柔らかさに、自然と俺も笑みを返す。
静かな夜に、二人だけの時間が、ぽっと残った。
言葉はもう十分だった。触れ合う距離と、互いの鼓動だけで、すべてが伝わる。