その頃、波瑠は崔将軍と共に馬に同乗し、大雨の中を決壊した場所へと向かっていた。
通り過ぎる道々では、皆が右往左往しながらも、我が住まいへの被害を最小限にしようと、流れ込んでくる雨水をかき出していた。
そんな、必死の様子に波瑠の心は痛んだ。
宮殿には、兵を含めて相当な人手がある。それなのに、王も、宰相も他人事のように惨事をみようとしない。
波瑠は苛立ちと同時に、自分は何ができるのだろうかと不安に苛まれた。
「王妃様!大丈夫!貴方様が現場に現れれば、皆の士気があがります!」
揺らぐ波瑠の心を感じ取ったのか、崔将軍が、励ましのような言葉を投げかけてきた。
「そ、そうかなあ。私が現地に行っただけで、収まるのかなぁ。だって、おじいちゃん、ひどい、とてもひどい水害だよ……」
「だからこそです。街の道々も、大元の河の決壊さえ留めれば何とかなります。皆、疲れ切っている。だからこそ、ここで貴方様のその元気と勇気を分け与えるのですよ!」
兵も民も協力して、決壊した河に土嚢《どのう》を積み上げ、水の氾濫を封じ込めているのだという。
小川ではなく、都でも一番の規模を誇る河が決壊したのだ。多少、土嚢を積み上げたところで何の足しにもならない。それは、波瑠も十分わかっていた。幼かった頃、一度だけ河の決壊の被害に遭っていたからだ。
その時は、街中の人が駆り出され、土嚢を山のように積み上げ、水の氾濫を抑え込んだ。
そんな過去がよぎりつつ、今に照らし合わせれば、どう見ても人が足りていない。というより、人は居るのに肝心の宮殿が、王が、他人事で何も動いていないのだから。
「私、役に立てるかな?」
ふと、王妃としてどうすべきか戸惑いを隠せず波瑠は、呟いていた。
「ええ、もちろんです!皆、わざわざ王妃様が足を運んでくださった、それだけで力がみなぎるものなんですよ!」
崔将軍の声には力が満ちあふれている。
「そうなの?!そうかっ、そ、それに、あたし、炊き出し手伝うからね!力仕事はできないけど、裏方の仕事は得意だから!」
波瑠は、めいいっぱい、期待に応えようとした。
「それは頼もしい!」
ははは、と、崔将軍は笑うがその声は降りしきる雨音に半ばかき消されている。
「……こんなに酷い雨なのに……」
王は、王宮は何もしないのかと、波瑠は喉を詰まらせる。
「……王妃様が動いてくださっている。それだけでも救いなのですよ……」
波瑠を抱え込むように馬にまたがる崔将軍は、手綱をぐっと握った。
どうやら、本心は波瑠と同じく、この状態に、いや、王宮の無関心さに失望しているようだ。
将軍は、朗らかに波瑠には対応しているが、伝わってくる体温のような気持ちの波は波瑠にも十分理解できた。
そう、皆、王の決断がないことに腹ただしく思っている。援護もなく、止めどなく振る雨に苛立つしかない状態に不満を超えた怒りを抱いている。
波瑠にも十分理解できた。これだけの水害が起こっているのに、上の者は誰にも助けに動かない。
自分達でなんとかできる範囲でもない。
そして、その前に、王妃の自分が現れたら……。きっと、非難の的になるだろ。もしも、波瑠が町娘のまま、この事態に遭遇したら、当然、王宮の人間へ罵声の一つもあげるに違いない。
つと、波瑠の体がこわばった。
「大丈夫ですよ。王妃様。誰も貴方様を責めやしない。貴方様のお気持ちは、皆に通じますよ」
「そ、そうかな……」
「炊き出しを手伝うのでしょ?」
崔将軍が、優しく言った。
「うん!皆の手伝いをするからね!だから……」
「ええ、その頼もしさが、民には必要なんですよ」
言うと、崔将軍は、馬に鞭打った。
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